バーチャルグランドマザー

小林幸子さんのキャリコン的考察

小林幸子さんがデビュー55周年だそうです。少女歌手から紅白歌合戦の常連になり、今やラスボスとしてVR界でも活躍している小林さんの歌手人生を、キャリア理論で考察してみたいと思います。来歴に続くカッコ内が相当する理論です。

1964年、歌まね番組でグランドチャンピオンになりレコードデビュー。古賀政男さんが楽曲提供し20万枚のヒット。10歳でキャリアをスタート。

楽屋ではしゃいでいたら島倉千代子さんに呼び出されたり、美空ひばりさんの真似がウザい、とひばりさんの母親から疎まれたり、芸能界の洗礼を受けます。(エドガー・シャイン「リアリティ・ショック」

その後15年間に亘る低迷期を迎えます。一人で地方興行へ、昼間は各地の興行を行いながら地元のレコード店やラジオ局、有線放送局などへ一人でキャンペーン廻りをします。酔客の相手をしながら歌っていた日々は数々の苦労と焦燥を味わいますが、この時期の経験が次にはばたく原動力になるのです。(ウィリアム・ブリッジス「ニュートラル・ゾーン」

1979年『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついてついに200万枚の大ヒットになります。その後の活躍はご承知のとおり、新宿コマ劇場で初の単独座長公演、個人事務所の幸子プロモーションを設立、紺綬褒章を受章、演歌界のみならず、演劇界、ポケモン映画主題歌など子ども向けにも幅広く活躍、芸能界で確固たる地位を得ます。(エドガー・シャイン「組織の3次元モデル」

2012年、個人事務所の社長と専務とのトラブルが発端で紅白出場が連続33回でストップ。当時の社長が続けてきた地方の営業も全滅してしまった。(ナンシー・シュロスバーグ「イベント・ノンイベント」

その後、大手レコード会社と契約解除。新レーベル『Sachiko Premium Records(サチコプレミアレコード)』を立ち上げます。若手のアイディアを登用して斬新な戦略に打って出ます。コンサートの動画をネット配信したり、ボブ・サップとのプロレス試合をニコ生で生中継したり、コミックマーケット(コミケ)に参加したり、幅広い支持層を得ます。若い人の意見を素直に取り入れ、それをどんどん拡大していった。それまでの自分やプライドにかかわらず、度肝を抜いた戦略を次々に打ち出す姿勢が復活のカギとなります。(ナンシー・シュロスバーグ「転機における4S点検」)

コミケに初出店した時の評判が印象的です。コミケでは暗黙のマナーがあって、出店の向こう三軒両隣には挨拶として自分の作品を持っていくのだそうです。あの大御所だった小林幸子さんが、嬉々として挨拶をする姿がとてもナチュラルで、コミケ常連も胸襟を開いたとか。低迷期に地方営業でレコードを手売りしていた経験と相通じるものがあって、ご本人にも抵抗なくできたのでは?というのが私の周囲の若者の見解です。(クルンボルツ「計画的偶発性理論の5つの要因「好奇心」「持続性」「楽観性」「柔軟性」「冒険心」

2015年、コミケやネットに親しんでいる層から「ラスボス」という愛称で呼ばれるようになって、紅白歌合戦に特別出演という形で復活を果たします。デビュー当時は存在しなかったネットの世界で変幻自在にゴージャスな出で立ちを披露しています。(ダグラス・ホール「プロティアン・キャリア」

※個人の見解です。小林幸子さんのキャリアや理論家を軽視する意図は全くなく、キャリコンの受験勉強をされている方に理論をイメージできる一助になれば嬉しいです。

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