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考え方のルーツの話①:オラPの学生時代

言葉が好きで、制作の現場が好きで、大人との飲み会はもはや第2の大学で。


マーコムやPRという職に辿り着いたのは、そもそも、言葉によって何かを表現することが好きだったから、というのが根底にあるように思います。

子供の頃から「国語」が好きでした。本を読むのも、自分で文章を書くのも好きでした。物心がついた頃から、2週間に一度、母親が図書館に連れて行ってくれて。小学生の頃、一番好きだった本は「アルジャーノンに花束を」。その後よしもと(吉本)ばななさんの「TSUGUMI」に出会ってどハマりし、著書は全冊読破。大学あたりから三島由紀夫や幸田文を読み始めたんだっけな?いつからか、きれいな表現、きれいな日本語に憧れ続けています。

大学時代には「日本語教師養成講座」を副専攻で履修し、今はなき池尻大橋の新世界語学院へ教育実習にも行きました。同時期にCanCamの編集アシスタントにも応募しました。「変な眉毛をプロがレスキューする」みたいな企画で初めて編集部に呼ばれて、意気揚々と腕まくりして編集部に事前のお打ち合わせに出向いたら、なぜか結果、出る側(読者モデル側)でヘアメイクさんに眉毛をレスキューされました。そんなに変な眉毛だったかな・・・・・。

当時は読者モデル全盛期ということで、出演者側としての女子大生の需要が高かった気がします。知人伝手を中心に撮影現場に呼んでいただくことが何度かあって、たまーにスチールやCM、あとは雑誌など、演者側で撮影のお手伝いをさせてもらいました。制作現場が好きだったから、制作側の仕事に興味があったけど、一員になれるなら立ち位置はどっちでもいいやって感じでした。見た目はそんなに優れていないけれど、だけど何か役に立つならどうぞどうぞ、ってスタンスでした。

私が通っていた大学は田舎だったことや、外国語学部だったことも相まって、結構皆お嬢さま気質と言うか、のんびりしていた気がします。スペイン留学から帰ってきた友人は「日本人働きすぎ〜」って言うし、就職活動ものんびり傾向。でも母から「仕事ができる自立した女になれ」と教育されてきた私は、「大学のこの雰囲気も友人たちも大好きだけど、この空気に染まっちゃいけない!!」と、隙あらば渋谷青山六本木に繰り出してました。

方向性間違ってるだろ!と思うかもしれませんが、そこで某大手広告代理店の大御所CMプランナーの方となぜか複数名でイツメンになるわけです。その方はとても自由な人でした。まとう空気そのものが。センス良くて頭いいなって思ってました。クレバーな人って、楽しいんだけど怖さもある。ただ、上辺だけイキっても見透かされてバレるな、と思えば取り繕わなくて済むので逆に楽。それで、ただただ尊敬してました。ものすごくお若く見えたけど、ご年齢はかなり上だった。まだ生きてるかな?(失礼)

そこでよく集っていた中の一人(その方ももちろん目上の方)に、「彼があんなに自由なのは何でか分かる?」と聞かれたことがあります。私がうまく答えられずにいたら、「彼が自由なのは、(立場が)偉いからだよ。あなたも自由にやりたければ、偉くなりなさい」と言われて。その言葉は、いまだにずっと残っています。エビちゃんになりた〜い!とか抜かしてるいち女子大生に、そんなこと説きます?私は恵まれてましたね。

「私はまだ偉くないのだから」
社会人生の中で、この言葉で何度踏ん張ることができたかと思います。まあ、一向に偉くはならないのですけど、だからずっと仕事を続けていられる気もします。

いろんな価値観に触れるぞ!と泥臭く。


さて、当時、私は大学まで片道1.5時間という遠距離通学をしていて、さらに学内外でマスコミ講座みたいなものも受けてました。

学内におけるマスコミ講座は、新聞社ご出身の講師の方で、主に自由テーマの小論文の添削。マスコミへの漠然とした憧れと文章力をあげたかったのかな。100人くらいの受講者の前で一人一人めちゃくちゃボロクソにダメ出ししてくる鬼のような講師で、脱落者が続出していたのですが、その中でただ一人私だけ褒められたこともあれば(その時はたしか宗教に関する話を書いて、人生で一番ってほど絶賛された)、誰よりもひどい内容だと罵られたこともありました。あの講師の爺さん生きてるかな?(また)

学外では神保町のマスコミ塾みたいなのだったかな。マスコミ塾はアットホームな雰囲気で。前出のCMプランナーと出会うまで、恥ずかしながら「広告代理店」の存在を知らなかったんですよ。だから、このマスコミ塾では、「どう受かるか」ではなく、「どんな仕事があるか」を学ばせていただいた感じだったと思います。生徒一同で日テレ内を見学した思い出があるなあ。ぼんやり覚えている名前で検索してみたけど出てきませんでした。残念。

そんなこんなで、大学生時代は、「井の中の蛙にならないよう、いろんな価値観に出会おう。モノを知らない私にとっては何でも学びになるはず」という行動指針みたいなものを無意識に、でもハッキリと決めていて、お声をかけていただいた場には、雑な飲み会かもしれないけど、せっかくの縁だからと極力伺うようにしていました。(富裕層のタワマン異業種交流会的な会だけはどう考えても胡散臭いだろと思って、怖くて一度も行きませんでした)

若くて体力もあったし、あとは完全に親の協力でなせたスケジュールだったと思います。

情報が溢れ、簡単に入手しやすくなったことで、効率よく要領よく動けるようになったり、かと思えばコロナ禍に見舞われたり・・20年弱でいろんなことが変わったことは理解していますが、私は学生時代にたくさん本を読んだり、書いたり、撮影の現場に身を置いたり、そうやっていろんなところに泥臭く出向いて、会える限りの人と会って良かったと思ってます。会える限りの人と会った自負があります。忘れちゃった人も忘れちゃった出来事もたくさんありますが、それらが今の私を形成していることは間違いない。

何が言いたいかと言うと、学生の方にはたくさん勉強してたくさんの人と出会って、人の数だけ多様にある価値観と触れてね、ってことです。学生時代に響いた言葉が今でも頭に残っていたり、あの頃知り合った大人たちの中には、その後も社会人の先輩として相談をさせていただいたり、今だにたま〜に連絡を取り合ったりする人がいたりするのです。

いいなあ、学生。未来選び放題ですね。
毎日好きなことを学んで、それをすっと記憶できることが心底羨ましいです。笑

ていうか、別に学生に向けたメッセージ記事みたいにするつもりはなかったのですが。まあいいか。大人の皆さんも、私も、可能性を広げる行動は続けていきたいものですね。


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