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#89 やっぱりフェミニストでいたい

2021年8月9日(月・祝)、前日友人に勧められた映画「Promising Young Woman」を妹と2人で観てきた。約2時間、抑えきれない怒りと恐怖と悲しみで涙と吐き気が何度も湧き、見終わった後トイレに駆け込むと身体が微かに震えていることに気付いた。怒りと恐怖と悲しみが、次第に自分に過去の出来事や言葉を思い出させてくれて、今まで感じたことのないパワーが漲ってきた。(←今ここ)

そして私は自分自身に誓った。

「やっぱりフェミニストでいたい」と。

1年前の3月、国際女性デーに私はこんな記事を書いた。

今改めてこの記事を読んで、同じ問いを自分に問うてみる。
「あなたは女に生まれて、よかった?」
今の私の答えは「ノー」だ。でもこれは別に男に生まれればよかったとか、生まれてこなければよかったとか、そういう極端な答えでも、簡単にまとめられる答えじゃない。今もこれを書きながら一体ちゃんと言葉にできるのか確信は持てていない。でも書き留めておきたい。

フェミニストであることは、私のアイデンティティの1つである。春日希であること、日本人であること、ミュージカル俳優であること、〇〇大学卒であること、〇〇高校卒であること、東京都出身であること...。そういう自分が大切にしたいと思っているアイデンティティの1つ。アイデンティティは移り変わるもの。一つに絞らなくちゃいけないものではない。あの映画を見て怒った自分は間違いなくフェミニストであり、それを隠す必要も恥じる必要も一切ない。もしそれを誇りに思えないのなら、それは自分自身を誇れないということ。もしそれを誰かが侮辱したら、その人は私の存在を侮辱したということ。

この1年間、生身の人間と会話をしたり複数人のコミュニティの中に長時間いることが少なくなったので、私はたくさん本を読んで心の感度を高めようとした。

他にも本、映画、音楽...まだまだある。たくさんの声を聞いて心が動いて疲れたり満たされたりした。そして1年前よりも感度が高まった私は気がついた。いや、気がついたというよりも思い出した。

女に生まれて、怖かった。

恐怖を感じながら生きることに慣れすぎて、麻痺していた。「自分は大丈夫。痴漢されたことないし、変な人に絡まれてもガン飛ばせばいいし。」そう思っていたし周りにもそう言ってきた。でも、実際はどうだったんだろう?夏場に電車内でノースリーブを着ていた私。向かいに立っていた男性が私の胸元を盗撮した。それに気づいた人が盗撮者に注意をして、私に「この人あなたのこと撮ってたよ」と大きな声で伝えた。その時私は突然怖くなった。怖くて何も言えなくなった。やっと出た一言は盗撮者ではなく、注意した人への「ありがとうございました」だけだった。ドアが開いてすぐに電車から飛び降りで私は駅を後にした。

なぜ盗撮者に向かって「写真見せてください。今ここで削除してください。」と言えなかった?なぜ駅員に通報しなかった?注意した人も男性だった。なぜその人に礼を述べて助けを求めなかった?なぜ逃げた?

自分が弱くて、すごく怖かったからだ。

この出来事を忘れかけていた。嫌だったからもう思い出さないようにしていた。でも昨日の映画を見終わった後にフラッシュバックしてきた。

稽古帰りの夜道に男性にナンパされた時も。

ムカついてムカついて逃げてブログ書いて、強い自分アピール?みたいに書いているけど、待ってよ。あの時も怖かったんだ。相手は自分より強い男。断っても断ってもしつこく話しかけてくる男。手を出されたら勝てない、刺されたら死ぬ。弱い私。怖かったんだ

今の世界ではまだ「女に生まれた=弱者に生まれた」なんだ。弱者でいるのは幸せではない。強者によって声を消されるから。いないものとされるから。だから「女に生まれて、よかった?」の答えは「ノー」だ。でも私は強者になりたくない。自分より弱いものの声を抹殺するものには死んでもなりたくない。じゃあどうするの?

フェミニストであるの。
自分だけでなく、自分と同じ立場、自分より弱い立場の人々が怖がらずに生きることができる世界を作るために。

フェミニストであるというアイデンティティ、誇りがあれば、私は声を出せる。「盗撮した写真消すから携帯よこせ」と、「駅員に通報するから来い」と。「嫌ですの意味分かってんのか?嫌の意味は嫌。」と、「人が嫌がっていたらやめるのが真っ当な人間だ。」と。彼らが後悔するように。同じ罪を繰り返さないように。怖い思いをする被害者が一人でも減るように。

今までフェミニストだと言って怪訝な顔をされたことは何回もある。その時私まで嫌な気持ちになって相手に分かるはずないと諦めて境界線を引いていた。でもこれじゃあ世界も未来も変わらない。次から同じような状況になったら、相手にどう思っているのか聞こう。フェミニストを嫌う男性の多くは自分たちに権力があることを知っている。力が剥奪されると思い込み、拒否反応を起こす傾向にあるそうだ。そもそもフェミニストは女性だけがなるものでもないし、男性でもフェミニストはいるし、男性でも女性でもないフェミニストもいるし...そういうことも多分知らないんだと思う。知らないから拒否して、気づかぬうちに多くの人たちを傷つけているんだと思う。じゃあそういう人たちに知らせないと。声を聞いてもらわないと。私が拒否してしまったら何も始まらないから。

生まれてよかったと思える世界にするために、私はフェミニストとして今日からまた新たな気持ちとともに立ち向かっていく。怒りと恐怖と悲しみ、恥と後悔、そして勇気と希望とともに。

Be Hope, Be Mare!


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