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私自身に100点を。正解にとらわれていた自分を認めるまでの道のり

コピーライターの阿部広太郎さんが主宰する連続講座「企画でメシを食っていく」通称:企画メシ。講座の参加者は代々「企画生」と呼ばれています。
その講座の2022年度の企画生に対し「あなたはどのようにして『企画メシ』と出会い、何を学び、これからどこへ向かうのか?」と訊いてきました。

職業も違えば、価値観も違う。
育ってきた環境も、重ねた経験もてんでバラバラ。
けれども、同じタイミング、同じ場所に、
同じ立場で共にいる。
当たり前のようで、滅多に起こり得ないことです。
だから、一人ひとりの言葉に真摯に耳を傾けたい。
そんな思いで綴りました。

「企画メシ」には、その年ごとのテーマとなるような枕詞がつけられています。
2022年のテーマは「自分の道を言葉でつくる」。そのおかげか、昨年の企画生の中には「今まさに生き方を模索している最中です」という方も少なくありませんでした。

今回お話を伺ったNNさん(仮名)もその一人です。彼女は「これまでとは違う自分へと変わるのだ」という決意を持って企画生となりました。

自分を変えることは困難です。一度染みついた考えや価値観を更新するには、大変な努力と長い時間を要するからです。これまでの成功や失敗を振り返ったり、新たな挑戦に取り組んだりして、自分が本当に望むものは何なのか模索する。その困難な作業を根気よく続けた末に、初めて新しい自分と出会うことができるのです。
彼女はどのようにして自分自身を知り、変えていく決心をしたのでしょうか。そして彼女は半年間にわたる「企画メシ」の講座を通して、新たに進むべき自分の道を綴ることができたのでしょうか。

そっちの水はどんな味?

公共団体の職員として働く傍ら、有志の地方創生プログラムにも参加していたというNNさん。「企画メシ」への参加も含めプライベートでも積極的に活動している彼女ですが、根底にあったのは「今までの自分とは違う人生を歩みたい」という想いでした。

今の仕事は「決められたことを、ひたすら間違いなく進める」のが基本的な働き方で、慣れてくると刺激がなくて、楽しくないなって。
もっと自分で考えて、新しいことを生み出してみたい。そう思ったのが企画メシにエントリーした理由の一つですね。

自らのアイデアを武器に答えのない問いに取り組んでみたい。けれど、今いる場所で求められているのは、決まりきった仕事を機械のようにそつなくこなすこと。NNさんは、自分のありたい姿と現実との間にギャップを感じていました。

今のままではいけないのはわかっているけど、どうすればいいか分からない。
NNさんはまさに、自分の道をつくる言葉を探している最中でした。 

彼女の葛藤は、企画メシの初回講義で提出した課題の中にもあらわれています。

かつてのNNさんは、誰かが決めた正解を追求する生き方に疑念を持つことはありませんでした。しかし就職活動や社会人生活を経験する中で、これまでとは違う生き方を見つけなければいけないと考えるようになったといいます。

小中高と、それまでずっと「こうしなさい」とか「これが正しいんだよ」って周りの大人に言われ続けてきたのに、いきなり「あなたは何がしたいんですか」と訊かれて、答えられなかった。自分で何がやりたいのかも、何が好きなのかもわからない。就職活動を機に初めて気づきましたね。

学校では「自力で正しい答えを出せる人」が評価されますが、社会人では必ずしもそうとは限りません。状況によっては間違いでも素早く結論を出すことが求められますし、時にはカンニングも必要になります。

学生と社会人とでルールが変化したことで、NNさんがそれまで持ち続けていた価値観が逆に重荷となっていたのです。

私にはこれしかなかった

NNさんの「誰かが決めた正解を追い求めるのが良いことだ」という価値観は、小学生のころには芽を吹き始めていました。

小学校のとき、容姿に自信がなかったんです。その上運動もそんなにできなかったので、勉強を頑張ることに決めました。
「私は勉強でしかみんなに勝てない」「勉強がなくなったら、自分には何もなくなってしまう」と思っていました。ネガティブな気持ちが原動力だったのかもしれないですね。

小学校の教室は、おそらく現代人にとって「個人の能力差」を目の当たりにする初めての機会です。「あいつは運動ができる」「あの子は顔がかわいい」など、周りから評価される能力を持っている子には注目が集まる一方、特に秀でた能力を持たない子の存在はしばしば埋もれてしまいます。

勉強を頑張ってテストで良い点を取ることは、子供にとって初めての「小さな社会」でなんとかやっていくための生存戦略だったのでしょう。しかし、NNさんにとって勉強それ自体は決して苦痛をともなう作業ではなく、むしろ結果を出すためのプロセスに楽しみを見出していました。

「どうすればもっと良い結果が出せるだろう?」と考えて、自分で対策やプランを立てて努力して、成果が出たらやっぱり嬉しいです。
「このやり方で合っていたんだ、良かった」って気持ちですね。

暗記科目が苦手だったんですよね、社会とか。がむしゃらに数をこなして覚えるよりも、数学みたいに考えて答えを出すものが好きで。
計画を立てるときなんかも同じ。テストの点数をマイナスからプラスに改善しようと思った時に、量でカバーしようと試みるよりは、計画を立てるとか考えるとかを、無意識にやっていた感じですね。

傾向を分析し、対策を練り、練習を重ねる。結果が出たら嬉しいし、うまくいかなければ次はどうすれば良くなるかを考え、また計画を立てる。そのサイクルを繰り返していく中で、「与えられた課題に対して正解を導き出す」スタンスがいつしかNNさんのアイデンティティとなっていました。

自分が何者かなんて、わかるわけがない

大学進学を機に上京。言語学を専攻する傍ら、所属していたミュージカルサークルでは衣装制作に打ち込んでいました。高校生までより自由度は圧倒的に上がったものの、それまでの「他者から評価されるにはどうすればいいか」という感覚はなかなか抜けなかったそうです。

音楽や芸術の授業で、エッセイとかに何を書けばいいかすごく迷ったのを憶えています。その時もまだ「自由に表現していいんだ」って気持ちはなくて「どうすれば良い評価がとれるだろう」ばかり考えていました。

屈託なく自分を表現する友人たちを時折うらやましく思うことはあっても、自分も同じようには振る舞えない。「人は人」と、半ば諦めたように割り切っていたといいます。

大学生活も終わりに差し掛かるころ、NNさんの価値観は揺らぎ始めます。
そのきっかけは、NNさん自身「人生で一番の後悔」と振り返る就職活動でした。

例えば面接で、総合職採用でどの部署になるかも決まっていないのに「何がやりたいですか?」とか聞かれるじゃないですか。で、答えたら答えたで「いや、その部署には行けないかもしれないよ」とか「そこ以外だったらやる気ないんですか?」みたいなことを言われる。
もうわけがわからない。理不尽だ、と思っちゃって。

学校のテストとは異なり、就職活動の結果には一貫した評価基準がありません。それまで「ただひとつの正解」を追求してきたNNさんにとって、面接での採用担当者の反応も、それに応じる自分自身の受け答えも、理解不能で納得のいかないものでした。

自己分析をしてみても、「そもそも自分は何がしたいのか」という問いの答えは見つからない。それよりも、今はもっともらしい答えを返せる会社を見つけた方がいい。そう考えたNNさんは、就職先の候補をシステムエンジニア職に限定し、周りからは少し遅れつつもなんとか内定を得ることができました。

NNさんはこの時の判断を、「早計だった」と振り返っています。

業種も業界も、ちょっと私には選択肢が広すぎて手に負えない。だから自分の志向に合いそうなところを選んだ。本心ではないけれど、とりあえず一貫性のある受け答えができたので、結果内定が出た感じですね。でもその選び方があまりに適当すぎて、入った後で全然合わないことがわかりました。

新卒で入社した会社では、NNさんはソフトウェアのテスト工程を定めた手順書の作成や、実際のテストで使用するサンプルプログラムの構築などを担当しました。

システムエンジニアの仕事は「トライアンドエラーを繰り返し、成果物を望ましい状態に近づける」という点で、学生時代の勉強と共通点がありました。しかし、社会人になって同じように取り組んでみても、全く面白さを感じられなかったといいます。

たぶん、頑張っても先がないからじゃないですかね。
中学生や高校生だったら「ここの高校、ここの大学に入りたい」って、次の目標がある。でも就職したら、それがなくなっちゃって。目標がないのに、誰かが決められた答えだけを出し続ける日々が、奴隷みたいに思えてしまったんです。

苦労して入った会社ではあったものの、やりがいを感じられなくなって2年足らずで退職。それまで「与えられた課題に対して正解を導き出す」という信条を疑わずにいたNNさんでしたが、この時初めて「このままではいけないのでは?」と考えるようになりました。

「わからない」だって正解になる

新卒での失敗を機に、NNさんは改めて自分自身と向き合います。
過去を振り返ったり、友人の仕事の話を聞いたりする中で、“正解のない問いに、ロジックで切り込む”ことができる「企画の仕事」にあこがれを持つようになりました。

システムエンジニアの仕事が合わなかった理由を考えてみた結果、自分は「論理的思考を使って答えのない問いに取り組みたかったのだろうな」と思ったんです。
ゴールに至るまでの過程での「どうなるかわからないワクワク感」が欲しかったのかもしれない。

数ある企画やクリエイティブの手法の中でも、「感覚勝負のようで、計算ずく」の世界である広告コピーへ興味を持ち、NNさんは宣伝会議の「コピーライター養成講座」を受講します。その折に阿部さんの存在を知り、企画メシへとエントリー。晴れて企画生の一員となることができました。

喜びの一方で、不安な気持ちもやってきました。

 企画メシに参加できて、もちろん嬉しかったですけど。一方で、ここで得たことを直接活かせる場は現状ないな、とも思っていて。
「私が参加している意味はあるのかな?」と、ふと思うときもありました。

2度の転職を経てたどり着いた職場でも、型にはまった仕事を淡々とこなすだけ。広告や企画の仕事に就いていればいいけれど、これ以上考えなしに転職をして履歴書をぐちゃぐちゃにもできない。変わりたいけど、それ以上に変わるのが怖い。時には「自分が参加する意味はあるのだろうか」と悩むこともありました。

キャリアを変える恐怖や社会的信用がないことへの不安が強く、それを打破できる実力もなかったので、動けなかったんだと思います。
自分でどんどん実績を作って、自分の成果を評価された証拠があれば、動くこともできたんでしょうけど。

公募やコンペなどで選ばれた実績があれば、実力や熱意の証拠にもなるし自信もつく。確かにその通りですが、その理屈は「外部から評価されること」への意識をNNさんがまだ強く持っていたともいえます。

それでも、毎月課題に取り組んだり、同じ企画生の課題を見て湧き出た気持ちを言葉にしたりする中で、無意識のうちにNNさんの心境にも変化があらわれてきました。

変化をはっきりと自覚したのはのは、全7回の講座も後半に差し掛かったころ。
とある企画生が与えられた課題に対し「わからない」という回答を提出したのを見て、NNさんは大きな衝撃を受けたといいます。

どちらかといえば私は、自分で納得できていなくても、もっともらしいものを作って提出しちゃうタイプだったんです。だから、あれを見たときに私は「あっ!」って思って。
正直に「わかりませんでした」って提出することも正解なら、やっぱり自分を出した方がいいんだって気づきました。

陰に咲く花を照らすともしびとなる

考え抜いて、心のフィルターを通過した上で出した答えなら、それがどんなものであれ誰かの心に響き得る。そのことに気づいてから、NNさんの心からは「違う自分になりたい」という気持ちが消えていきました。

「企画メシ」が始まったばかりの頃は、クリエイティブな仕事をしている人に追いつきたい、センスを磨きたいと思っていたんですけど、自分が経験してきたことがあってこそ、出せるアイデアもあるんだって気づけたので。

自分にできないことはいっぱいあるけど、できることもある。

憧れの人たちに追いつこうと努力して、追いついた時に初めて自分を認めるんじゃなくて。むしろ自分の強みを磨いて、今の自分が持てる最大限を発揮できるようになりたい。
自分を丸ごと変えようとするのではなく、不完全な自分を受け入れる。当初の想像とは違った形でしたが、NNさんは自分で自分を認めることができたのです。

人は不思議なもので、「別の何者かに変わりたい」と思っている間はなかなか変わるきっかけをつかめないでいるのに、等身大の自分を受け入れると途端に変革のチャンスが舞い込んでくるものです。

NNさんが自らの変化をはっきりと自覚したのは、株式会社ヘラルボニーの松田崇哉さんをゲストに迎えた「文化の企画」でのこと。知的障害を持った人が作ったアートを起点に新たな社会・文化をつくり出す同社の存在を知り、今まで自覚したことのなかった感情をおぼえたといいます。

ヘラルボニーさんと障害者のアーティストさんを特集した番組を見たんですけど、その中で「まさか息子の作品が高級店の商品になるなんて夢のようだ」って、ご家族の方がすごく喜んでいる場面があったんです。それがすごく衝撃で。

アーティストさんの才能自体は元々そこに存在していて、ただ世の中に見つかっていないだけだった。それを松田さんたちが引っ張り上げて、光を当てたのだと思うんです。
自分がつくる企画でも、隠れていたり埋もれたりしてしまっているものや、見えないところで重要な役割を果たしている人たちにスポットライトを当てる。そんなことができたら理想ですね。

自分のためではなく、誰かのために。
NNさんは正解に囚われていた過去の自分と決別し、新しい未来への第一歩を踏み出したのです。


今年の4月から、NNさんは地方都市の職員として新たな環境で働き始めました。「配属先が決まっていないのでどうなるかは分からない」と前置きをしつつも、これからの目標を語っていただけました。

ゲストハウスを作るなどして、地域を拠点に活動している人がいっぱいいるんですけど。そういう人たちを支える仕事をして、彼らのような人たちがもっと事業を成功させて、より活気のあるまちにして行けたらいいな、なんて思っています。

かつての企画生たちの間でしばしば交わされる言葉に、こんなものがあります。
「最終講義を終えてからが、本当のスタートだよ」
人生は続く。ならば企画も続くのです。


今回お話を聞かせていただいた方:NNさん

企画メシ2022 企画生
SE、団体職員を経て現職は地方公務員。良く言えば好奇心旺盛、悪く言えば飽きっぽい。ボードゲームと謎解きが好き。企画メシを終えた今の目標は自分に正直に生きること。

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