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続けてきたことは無駄にならない

ストリートピアノの動画を見て自分もやってみたいなって思えたことがきっかけで、最近は毎日電子ピアノの練習をしている。

といっても、実家に帰った時にピアノを弾くくらいで4年くらいのブランクがあったから、「よし。やろう。」って決めた時は指が動くかめちゃくちゃ不安だった。

けど、不思議なことに楽譜は読めるし指もある程度は動く。
これは間違いなく、続けてきたことを身体が覚えているからだ。
やってきたことって無駄にならないんだと改めて気づかされた。

ピアノは周りから期待される唯一のもの

私は3歳からヤマハ音楽教室に通いだして、中学生から18歳までアンサンブルのグループレッスンと別でピアノの個別レッスンを受けていた。

練習は正直嫌い。
だけど、卒業式とかなんだかんだでピアノを弾かせてもらう機会をもらってたから、期待を裏切りたくないって思いで必死に頑張れた。

私は勉強や美術は人より少しできたがとびぬけてなかったし、運動はできない。
優等生でもなかったから、周りから期待されるってものが全然なかった。
だけど、ピアノや歌だけは人から褒めてもらえたし、何か任されることが多くて自分が生きる価値を見出せる唯一のものだった。

ピアノなら褒めてもらえるし、自分もやってて楽しい。
そして、私は中学生くらいになると周りのピアノをやっている人と比べて、手が大きかったり要領よく言われていることを理解して落とし込めたから、少し難しい曲でも弾きこなすことができた。
今思うと、ピアノで自分の価値を知り、自己顕示できるものだからモチベーションも高かったのかもしれない。

音楽でごはんなんて食えない

高校2年生になって進路について考えるようになった時に、私は音楽と向き合うことを止めてしまう。

うちの母は、何かはじめるときに「そんなの無理。」と否定から入る人だ。
けど、この否定から入るっていう特性を高校生の時は理解できてなかった。
母が言っていることを素直に受け入れてしまう部分が私にはあった。

私は音大か総合大学の音楽科を受けられたらいいなと思っていたし、楽典や聴音などをヤマハグレード5級を受けるためにある程度は勉強していたから、音大も目指せるレベルだといわれていた。

だけど、母親に「音大に行って何になるの?一握りの人しか活躍できない世界だし、その人たちは人並外れた才能があって凡人には届かないのよ。」といわれたことに大きなショックを受けた。
そして、私は地元で見たら音楽ができるほうだけど、そんな才能はないって思ってたし、何になるかなんて全く想像ができなかった。
そして、この言葉で改めて「音楽をしている意義」を考えても答えなんて出るわけなくて、音楽と向き合うのを辞めた。

どうしたら良いかわからなくなった私は、「勉強して良い大学に入って良い会社に入る」という昔っぽい考えを自分に言い聞かせて勉強に没頭していった。

そして、大学に入っても音楽を辞めてしまったことへの罪悪感もろもろがあって距離を置いた。

身体は忘れない。無駄なんてない。

でも、やっぱり距離を取り切れない自分がいた。
時間が出来た時に、ゲームでも映画でも満たされなくて、あの頃の弾いていて楽しいっていう感覚を求めだした自分がいた。

そして、練習を始めたら不思議なことに楽譜は読めるし、指は忘れていなかった。
ぷりんと楽譜のサブスクリプションに登録していろんな曲を弾いているんだけど、”難しい”ものを選んでもある程度練習すれば弾けてしまう自分がいた。

今は誰からも期待されていないけれども、こんなことが出来るっていう自信を与えてくれている。
そして、過去にやってきたことはやめてしまっても無駄にならないってことを改めて知らせてくれたし、どんどん思い出す自分が今は楽しくて仕方ない。

きっと、人前で発表できたらもっと楽しいだろう。
けれども、どうすればそういう機会を作れるかがわからないから、まずはストリートピアノを弾くいつかの日のために練習を今日も続ける。

3月中に椎名林檎とKing gnuの曲をストリートピアノで弾くって決めているから、今日も練習頑張ろっと。



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