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いつも「じゃないほう」だった

今日、何気なく過去に一度だけYoutubeに出た時の動画を見てみた。
コメント欄に数十件コメントがついていたので見てみると、「こっちの子のほうがかわいい」「Aのほうがかわいい。」なんて書かれていた。

もちろん、かわいいといわれているのは私じゃないほうだ。
一応、人間だからそんな反応を見るのは苦痛である。

別にブスとか言われているわけではないが、AとBがいた時にBのほうがかわいいといわれたら、そしてAの側だったら複雑な気持ちになる。

そして、どうしてもこの気持ちを整理できなくて久々にnote.を書いているってわけだ。
整理していくうちに、私が女らしさを避けてしまう理由んもなっているような気がした。

じゃないほうが私を苦しめる

別に特にかわいくないってことを私だって知っている。
だけど、昔から仲の良い”かわいい子”と一緒にいると、いつも居心地の悪い感じがしていた。
その子のせいじゃないのに、周りの評価を聞いて、コンプレックスがさらに増して自分の外見に自信を持てなくなっていた。

「別にめちゃくちゃ可愛いわけじゃないよ。」って何??って思うし、塵も積もれば山となるではないが、そういう心無い言い方が私を追い込む。

そして、自信が持てないから、私は女らしくあることが嫌いになった。
中高生の頃から、どんどん卑屈になっていって、女らしくいることはかわいい子たちの特権で、かわいい子に並べない私は外見で女っぽくなってはいけないとさえ思っていた。

娘が女らしくなることを否定し続けた母

これに追い打ちをかけたのが、母親が女らしくなることを嫌い、思春期の私に対して言い続けた暴言とショートカットにしかさせない謎の決まりだ。

今思い返すと本当に意味がわからないんだが、「立場をわきまえろ」といわれ美容室に行っては帰りに大泣きしていた。

そして、そんな姿だったから、私は周りからも女らしくいないことを求められ、女らしくなりたいのに周りの目が怖くて仕方がない日々だった。

未だに思い返すだけで辛くて、これを書きながらも私は大粒の涙を流してしまう。
そして、これがトラウマとなっていて、女らしく・可愛くなることに卑屈になってしまう。

女らしさが怖いのに比べられるのも怖い

私が比べられて複雑な気持ちになってしまうのは、私の持つ女らしさを否定され続けてもどこか諦められないという気持ちがあり、かといって女らしくなることに振り切れていない中途半端な自分がいるからだ。

女らしくなれば良いじゃないって思うかもしれないし、頭の中の私もそういっている。
けれども、18年も受けてきて母の教育の下で女らしくなる方法を否定されてきた私には心の葛藤がどうしても生まれるのだ。

かわいらしくなろうとする自分とそれを否定してくる自分。
そして、「女の子は可愛いほうが良い」という社会的な暗黙の了解をひしひしと感じて、それを受け入れることが当たり前という圧迫感。

じゃないほうから抜け出すための努力も、じゃないほうを受け入れる余地もないから、こんなに苦しんでしまうんだ。

複雑な気持ちを抱えながら今日も生きる

私は、こういうことを考えると、どうしようもない気持ちが募りに募って、一人で心を病んでしまう。
もっと人のことを信頼できれば楽になれるんだろうけど、私の話をどう受け止めるかわからないし、裏切るということのほうがリスクに思えてどうもできない。

多分、今後も「じゃないほう」として沢山比べられて、言われるのかもしれない。
けど、そういわれた時に頭の中では「It's me」と認めたいと思いながら、複雑な気持ちになってこれからも生きていくのだろう。



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