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「らしくない」って言われると、ムッとするわたし

「あなたらしくない」と言われると、すぐに「らしくない」に食い付いて、「それって、どういうこと?」と確認したくなる。

あなたらしくないと云えるほど、この人は、わたしのことを知っているという素直な思い込みには、正直、頭が下がる。

自分の書いてきた文章を読み返しても、自分的には、「軸がブレブレやな~」と思う。

そんなブレブレな自分、気持ちがコロコロと変わる自分は嫌ではないし、むしろ、自分としては、「あたしらしい」と思える。

わたしのブレていない部分は、今だに女性の性であること、独りが好きなこと、とことんハマるが飽きっぽい、、そんなところかな。

これだって、残りの人生で突然の方向転換もありうる。ブレないとは、「変化をしない」ということなら、わたしは常に変化と成長を求めてブレる人が好きだ。

何かやって、「あなたらしい」と言われると誉め言葉というより、変わっていない自分を突き付けられたみたいで、焦ってしまう。

逆に、「あなたらしくない」と言われると、「オッシ!」と心のなかでガッツポーズだ。

ただ、わたしは自分のこだわりがいいとか、正しいとか云うつもりはなく、わたしには、こんな生き方、考え方が合っているだけだ。

ブレない自分を貫く人、そんな確固たる強い信念と共にある生き方をする人を尊敬する。ただ、わたしには向いてないし、出来ないと知っている。要するに、飽きっぽい。

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「あなたらしくない」「変わったね」なんて台詞を残して、去っていく人がいる。それはそれで仕方ないと思っている。

相手の変わらない、ブレない軸からわたしを見たら、「変わってしまった。昔のあなたはもう居ないのね」となるのだろう。

それでも、自分の過去を振り返って見ると、生まれた瞬間から、時間は連続して、今この瞬間に繋がっている。

途切れることはないが、もし、睡眠している時間を「連続した生の停止」と捉えるなら、わたしたちは寝るたびに死んで、目が覚めるたびに生き直していることになる。

つまり、昨日より少しだけ違う、変化、成長した自分が目を覚ます。昨日より少しだけどブレた自分がいる。

そう考える方が、わたしにはしっくり来る。

交通事故の後に、長期のリハビリをしていたけれど、それから社会復帰というか看護師の資格を取るまでの8年間。

何だか社会と云うか、世間との接点が希薄な期間、わたしはずっと寝ていた。「冬眠中」と周囲の人にもふざけていた。

まわりの人から見たら、わたしは覚醒して、ちゃんと活動をしている。でも、当のわたし自身は、目覚める日を夢見ながら生きていた気がする。

だから、8年あまり、年を取っていた自覚が無いので、たまに年齢が分からなくなる。

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菅さんの良いところは、「ブレないこと」と云われている。でも、わたしに云わせると、それは変化も成長も止まった状態だ。

別に、一国の首相だし、ブレブレよりも確固たる信念を貫く姿勢の方が好ましいだろう。

ただ、自分に執着し過ぎて、情勢を見誤やるそんな政治家よりも、思いっきりブレブレな菅さんも見てみたい。

そういえば、最近は低姿勢に変更したみたいなので、菅さんも軌道修正したのかしら。

あっ、お一人、尊敬するウイルス学者さんがいるが、彼の信念、彼の言葉は一貫していて明朗で、清々しい。

でも、彼は執着心が強いとか、ブレないとかではなく、必要な時には自分の執着を捨てる覚悟があるとわたしにはみえるので、密かに応援をしている。

心配なのは、その学者さんが傷ついて、心がポキン、と折れてしまわないかということ。周囲の人が柳の木宜しく、しなやかにブレて支えてやらねばと老婆心(笑)。

でも、彼にはしなやかな応援団がいるので、きっと大丈夫だろう。

今は、ブレる人もブレない人も、互いに協働態勢で乗りきりたいもんだ。


イラストは、suzuri_tokoyamaのものです。女性の自然体の雰囲気が好きです。