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多様性バンザイ


猫の目に映る星座や秋澄あきすめり


嫌だなあと思うことの1つに、ひとくくりにされることがある。

例えば、ひとくくりで日本人と言われると、日本人だから間違ってはないのだが、どうもお隣に住むイケズな中年の日本人女性とひとくくりは、気に食わない。

年齢も近いし、白髪も混じり始めているし、同じ土佐弁を喋るし、同じ小学校だけれど、あたしと彼女は違うと言いたくなる。

似ている部分はあるのは認めるけれど、違う生きものだ。

なんて、あたしももういい歳なので、そんな細かいことを言わなくてもいいのに。いくら嫌がらせをされてきたとは言え、大人げないのは重々承知している。

似ているけれど違う、その違いを認めよう。そこに優劣はない。単に、あたしと彼女とは違うというだけのこと。

この違いが大事で、みんなが彼女みたいでも困るし、あたしみたいでも困るし、なによりあたしがたくさんいたら、かなりウザい。

多様性バンザイだ。

ところが、せっかく違いのあるあたしでいるのに、どうして人間はみんな「いっしょ」が好きで、「ばらつき」を嫌がるのだろう。

さて、いっしょが苦手なあたし、集団のなかでは結構ウザい存在だ。

そんなウザいあたし、仮眠室を快適な場所に改造するのが好きで、どこに配属されても、短い休憩時間でいかに体力の温存を図るかに心血を注ぎたがる。

昔、秘密基地を作ったことがあるが、それと似たような感覚だ。

変なやつ、という視線を浴びるが、すぐさまあたし仕様の快適な仮眠室で、時間ギリギリまで寝るのはどちら様かしら。

同じ環境に放りこまれても、そこでの反応はまちまちだ。創意工夫する奴が生き永らえるかもしれない。そして、そんな奴を真似っこして創意工夫パート2をする奴らも、同じく生き永らえるだろう。もし、滅びても文句はなしだ。

変わり者、異端児、変人の偏屈野郎、彼らは多様性の産物で、世界を前に進める存在だ。

あ~あ、あたしは単なるショボい変な奴で、どうやらこの世界をどうにかする器ではなさそうだ。

それでも、たとえ後方支援であっても、この世界を1mmでもより良い方向に進めるため、今日も出掛けていく。

なんて、多様性がどうとか気にもしない猫にならって、年相応にゆるゆるいこう~


「猫じゃらしひとり揺らしてお留守番」