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貢献


文月ふみづきや消臭よわめの柔軟剤


もしも患者として医療や看護を受けることが未来の医療や看護への貢献というなら、何度貢献してきたか分かりません。

最近の痛い貢献といえば、7年程前に左肘の手術を受けたときでしょうか。

若い頃、中国で左肘と左手首を複雑骨折し、砕けた骨を摘出する手術を受けていました。今のようにプレートで固定することもなく、術後に鎮痛剤を投与されることもなく、ひたすら忍耐でした。

左腕はカックンとひん曲がりました。でも、そこは根性のリハビリでした。重たいものをモノを持ったり、鉄棒にぶら下がったりして強引に伸ばしましたよ。



そうやって直した左腕と30年あまり、でも、神経が骨に触るようになり、胃をえぐられるような何とも不愉快な痛みが出始めました。

せっかく別の病院の救急救命センターに転職したところです。凄くはりきっていたのに、まさかの試用期間中の手術となりました。

たかが左肘の手術、ところが全身麻酔です。と言うことは、気管挿管して尿道に管も留置となります。あらら。

仕方がないので、尿道への管の留置は師長に頼みました。「麻酔がかかってからお願いします」。

師長は約束通り、誰の目にも触れないようにシークレット状態でやってくれたようです。

ところが、まさかの事態が麻酔で眠っているわたしの許可もなく行われたのです。

それは、やんちゃな麻酔医がわたしに無断でモニタ画面一体型のビデオ喉頭鏡を使って、看護師向けに気管挿管の勉強会をやっていたのです。

いくら病院のスタッフとはいえ、患者です。同意も得ずに喉頭を他人に曝すとは、たとえ口のなかでも恥ずかしいし、そもそもアカンろう!です(苦笑)。

戦争のたびに外科など、医療技術が進歩したと看護学校で習いました。その恩恵を受けて怪我や病気を治してもらい、日常生活に復帰できる人が増えました。

それでも、出来ることなら他人の犠牲の上で恩恵を受けるのではなく、健全な試行錯誤で医療が進歩することを願います。

でも、そこにも犠牲になる動物がいますし、結局、誰かの犠牲の上に今の幸福を享受していることを忘れないようにしたいです。

手術室の看護師の気管挿管の介助が飛躍的に上手くなったと、やんちゃな医者が無邪気に喜んでいました。

誰のお陰か分かっているのかなあ(笑)。


「初秋や良心市の旬を買ふ」


またもや俳句と絵が解離しています。
秋と看護師、詠めませんでした(((((゜゜;)