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歴史家は警告者~『遺跡発掘師は笑わない キリストの土偶』(桑原水菜)~

「遺跡発掘師は笑わない」シリーズの第18弾です。今回の舞台は青森です。

↑kindle版


読み始めてじきに「おお」と思わされたのが、無量の言葉。

「最近思うんすよ。もし俺に本当に才能があるんだとしたら、その才能で一番世の中に貢献できる形って何だろうって。そいつを本当に必要としてる場所はどこなんだろう、せっかくなら、そういうのの役に立ちたいじゃないすか」

p.22

あのやさぐれていた無量が、こんなことを言うようになるとは、と感慨にふけらされると共に、同感だなぁと思わされました。


青森県は「西の津軽地方」と「東の南部地方」とに分かれ、昔から文化も気候も、方言も全く違っている。

p.50

これ、認識していませんでした。福島県や愛知県など、他の県でもこういう構造って、見られますよね。現在の自治体の区分なんて、しょせんお役所の都合ということです。


「経験と知見と呼ばれるものの正体が何かわかるか? 無量。それはデータだ。考古学はデータの積み重ね、つまりデータサイエンスだからな」
 鍛冶が口を酸っぱくして「発掘は宝探しではない」と釘を刺すのは、様々な遺跡のデータを集めて、その時代の実相を明らかにすることが考古学の目的だからだ。

p.53

さすがに発掘を宝探しだとは思っていませんが、データサイエンスとまでは思っていなかったので、襟を正される思いでした。62ページにも「土の中から出てきた遺構や遺物という『事実』を地道に積み重ねて真実に迫る考古学」という記述がありました。


「地元に伝わってきた『伝説』でもありませんから。突然降って湧いた説なので『湧説(ようせつ)』と呼ばれています」

p.59

湧説という言葉は初めて知りました。


「偽書とは、誰かにとって都合の良い歴史を捏造するために生み出される」

p.114

藤枝(の口を借りた水菜さん)が、竹内文書の目的は「世界に大きな力と影響力を持つキリスト教やイスラム教より、日本の天皇が上である」(p.112~113)と示すこと、としたことには、非常に納得がいきました。


「偽書の内容を虚構として楽しむ分にはいいけど、かたくなに信じてムキになったり、『その可能性はゼロじゃない』と擁護して真偽を曖昧にしてしまったり。陰謀論なんかもそうだけど、そういう人たちは『世間がまともにとりあげないのは、隠さなきゃいけないほど都合の悪い真実だからだ』なんて解釈して逆に信じ込んでしまう。挙げ句、『皆が気づいてないことに自分は気づいてる』と気持ちよくなって、もっともっと自尊心を満たそうとして深みにはまっていく」

p.115

この忍(の口を借りた水菜さん)の言葉は、現代人への警句ですね。


「偽書を作るのは簡単なのだ。それを反証する労力のほうが遥かに大きいのだ」
「歴史学者にとって歴史との戦いは偽書との戦いだった。己が用いる史料の真贋を見極められず赤っ恥をかいた者も大勢いる」
「研究者は史料にあたり、先行研究にあたり、論文を書き、発表し、批判され、反論し、議論して議論して議論して、ようやくひとつかみの真実らしきものにたどり着く。それですら絶対的事実だと断定されることは永遠にない。だからこそ我々は史料の見極めに学者生命をかける。己の名をかけた格闘を抜きにして、我々は過去の『事実』を追求することすらかなわんのだ」

p.115~116

藤枝氏、語りまくります。無量が父親を少し理解するほうに向かった瞬間です。萌絵が言うとおり、「言葉は辛辣だけど、言ってることは割と正しい」(p.188)んですよね。


明治政府が明治四年に出した「古器旧物保存方の布告」は初耳でした。

悪名高い廃仏毀釈で寺社や仏像が破壊され、古物商に流れたりしていることを危ぶんだ明治政府が、文化財保存のために発した太政官令だ。該当品目を所有する者は届け出よ、という内容だった。

p.206

出さないよりはましですが、そもそも廃仏毀釈なんてするべきではないですよね。さらにその後、古社寺保存法も作ったそうですが、遅いです。


今までは見えていなかった、見ようともしなかったものが、少しずつ見えるようになってくる。無量自身が経験を重ねてきて、物事に対する解像度があがってきているせいかもしれない、と忍は思った。

p.215

生徒を見ていると、時に「なんでそんなに浅い見方しかできないんだ」、「一方的な見方しかできないんだ」といらだつこともありますが、いずれ「経験を重ねてきて、物事に対する解像度があが」れば、いろいろなものが見えるようになるのかもなと思いました。自分自身もそうだったように。


「歴史家の使命とは何か、わかるか。無量」
 唐突に名を呼ばれ、一瞬、どきり、とした。
「突然、なに? そんなん過去の事実を明らかにすることでしょ」
「それもある。それ以上に”警告者”であることだ」
 藤枝は急な斜面に軽く息を切らしながら、
「人間は過去に膨大な過ちを犯してきた。歴史家は誰よりもそれをわかっているはずだ。いまを生きる人間は、目を離していると容易に同じ間違いを繰り返す。権力というやつは特にな。まるで引力でもあるかのように同じ方向に行こうとする。だから監視しなければならない。だが現代人というやつは忘れるのだ。忘れた現代人に、歴史家が警告をし続ける。それが歴史家の存在意義でもある」
「それがあんただっていうの?」
「遺跡を掘ること、古い物を残すこと。それらが生活に優先されることはない、という者もいる。だが違う。我々は人間の功績を知るのではない。過ちを知るためにあるのだということを忘れるな」

p.306

長い引用になってしまいましたが、藤枝氏、というか水菜さんの意見に同感です。


「おまえたち親子が手を取り合えば、きっといい仕事ができるだろうに」と言われた藤枝・無量親子ですが、まだその日は遠そうです。でも和解への糸口のようなものがつかめた巻でした。


見出し画像は2018年に東博で開催された「縄文 1万年の美の鼓動」展で買ったポストカードとピンバッジです。


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