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たとえば自伝があるとして。フランスで終わりかけた章のこと。

20年前。フランスのブルゴーニュにある国際学生寮の小さな一室で。

1年間の留学を終えた私は、日本から来たときと同じスーツケースに、日本から来たときと同じ荷物を詰め込み、思ったより増えてしまった食器や服をダンボールに入れていた。

入室したときは空っぽだった寮の一部屋はこの1年間で生活感にあふれ、心地いい空間になっていた。

「ここでたくさん泣いたし、たくさん笑ったな」

そう思いながら最後に冷蔵庫の掃除も終えると、入室したときと同じ空っぽな一部屋に戻っていた。鍵をかけて部屋をあとにした瞬間、もう自分の部屋ではなくなったのを実感して心がキュッとなる。

…と、ここまでは1年前から計画していた通り。予定外なのは、その荷造りが日本へ帰国するためではなく、フランスに残るためだったことだ。

臆病な私は、この自分史上最大の決断を下すまでに「さて、フランスに残るか否か…」と悩みに悩んだ。それまでの1年間を振り返ると、初めての海外生活をたやすく乗り越えてきたわけではなかったから。

自伝にたとえるなら、早いうちにこの章を終わりにしようと思ったことが何度あったことか。もうたった一文でいい、「フランスに行ったものの、苦難の末に即帰国」で、この章は終わりでいいと。

実際には、その1年間はその後も続く章の序盤に過ぎなかった。1年で終わる予定だったフランス生活は冒頭の宣言によって更新され、20年経った今も継続している。留学生ではなく社会人として。

フランスに住むことは夢の一つだったとはいえ、私の自伝にはおとぎ話のように魔法使いがあらわれて、一瞬にして順風満帆なフランス生活を叶えてくれるくだりはない。

理想と現実の差はあれど、さまざまな経験を積み、数ある選択肢の中でその選択を選んだから私は今ここにいて、唯一無二の物語を生きている。


難易度高めのボンジュール

2003年、6月の終わりごろ。私はフランス語を学ぶためにフランスへ渡った。思えば「人見知りのせいで疎外感に押し潰されないだろうか」という不安はいつもあった。

そもそもあまり社交的ではない私が、未知の世界で一から人間関係を構築するというのは、フランス語の難しさに匹敵するくらい難易度が高い。

しかもすでにできあがっている輪に入れてもらうのは、とてつもないエネルギーを必要とした。

「ボンジュール(こんにちは)!」

タイミングを見はからい、クラスメイトや先生、住居人たちに会うたびに口から自動的に繰り返されるボンジュール。

緊張と「仲良くなれるかな」という期待と少しの警戒心を抱きながらも笑顔をつくる。初対面の相手には、失礼にならない言葉を慎重に選び、慣れないフランス語で会話のような会話を続ける。

幸い、国際学生寮に住んでいたおかげで、物理的にほかの学生たちと距離が近く、国も年齢も職種もさまざまな人たちと交流する機会は多かった。

たいていの住居人は同じ学校に通うフランス語を学びに来た学生だから、毎日どこかで顔を合わせる。ときには寮の玄関で、もしくは廊下で、はたまた通学路で、もちろん学校で。

後にも先にも、あんなに新しい出会いがあったのはあの頃だけ。たまに落ち込んで「そうっとしておいてください…」と小さな部屋にうずくまることもあったけれど、ドアの向こうに感じる騒がしさや陽気な音楽に気がまぎれ、心が救われることもたくさんあった。

学校に通い自己紹介を繰り返し寮でも会話を交わすうちに、警戒心と疎外感は薄れていく。とある友人の部屋まで徒歩2秒、また別の友人の部屋へはゆっくり歩いても最大で1分という寮内をあちらこちら行き来することが日常になった。

悩みを打ち明けあったり、物を貸し借りしあったり、一緒にフランス語の勉強をしたり。

日本では家族や特定の友人たちで構成された輪の心地よさに慣れてしまっていたけれど、遠い国で新たな人間関係を築いて助け合って生きていくなかで、フランス語以外にも学ぶことは多く新鮮だった。

恥ずかしながら日本にいた頃はあまり料理をしたことがなかった私は、たまに創造性にあふれた料理、というよりは実験を繰り広げては寮の友達と一緒に味見(毒見?)をしてもらうなどして交流を深めた。

ときには共同キッチンに友人たちと集まって各々の国の料理を披露し、あっというまに多国籍料理店のようになった食卓を囲んで感想を言い合いながらワイワイ食事をした。

中にはアパートで1人暮らしをすることになった人たちもいて、送り出すときは寂しさと同時に「うらやましい」と思うこともあったけれど、一方で寮の独特なごちゃごちゃ感は逆に安心した。

実際には、セキュリティや衛生面でアウトなところもあったと思うから、安易におすすめはできないのだけど。

彷徨うフランス語

濃密な寮生活だったので孤独を感じることは少なかったものの、そもそも社交的ではない私が苦手なコミュニケーションを常にはかり続けるというのは試練でもあった。

始めはフランス語のレベルが低く、必然的にコミュニケーションのレベルが低かったせいもある。フランス語はあいさつ程度しかわからなかったのに、いきなり初めての一人暮らしをしながらフランス語の授業をフランス語で受けるというのは、そもそも自分への無茶ぶりだった。

当然のごとく泣きながら放課後に自室にこもって机に向かい、予習と復習と宿題に追われるようになる。それでも日常生活レベルには足りていないから自習もしないといけなかった。

しだいに限界を感じてサボりはじめ、パソコンを眺める時間が多くなった。留学のために自分でバイトして貯めたお金を、引きこもって費やすわけにはいかなかったのに。

あげくの果てに「そうだ、イギリスへ行こう。フランス語より英語のほうがちょっとわかるし」と血迷い、ロンドン行きのチケットを調べる始末。フランスへ来た理由さえ見失っていた。

奇しくもそんな時期にフランス人の今の夫と出会うので、まさに不幸中の幸いか。彼が私のつたないフランス語を理解しようとしてくれたり、日々励ましてくれたりしたおかげで、徐々に学校へ行く気力も取り戻していった。

そうして正気に戻った私はフランスに来た理由を思い出し、フランス語のコミュニケーションレベルの向上を第一目標に掲げて真面目に勉強を再開したのだった。

街なかで、テレビで、ラジオで、寮の中で、とめどなく耳に入ってくるフランス語を解析していく。それで得た知識をもとに自分が脳内で組み立てた文を口にしてみて、目の前の相手に通じるようになったときは心から嬉しかった。やっと、フランスにいるからこそできるインプットとアウトプットができて充実感を得た。

最初からそうすべきだったのではと思わなくもないが、私はそんなに要領がよくない。やっと取り戻したモチベーションを糧に、取り戻せない時間のぶんまで寝る間を惜しんでフランス語に没頭した。ヘコんだらあとはバネのように伸びるだけだと自分に言い聞かせ、残された期間は最後まで学校へ通い続けた。

もしもあのとき

そして日本への帰国が迫ってきた頃に、お付き合いしていた彼との結婚が決まった。

…唐突すぎる。

この流れではあまりにも唐突すぎるけれど、ここで恋愛話をしたいわけではないので経緯は割愛する。ただ確実に言えるのは、結婚は二人で真剣に考え抜いた末の決断だったということ。

結婚をしないで日本とフランスで遠距離恋愛をするという選択、結婚をして二人で日本で暮らす選択、結婚をしないでお付き合いも終わりにする選択など、他にも選択肢はあったのだけど。

フランスに残ることに決めたのは結婚だけが理由ではなかった。それまでに経験してきたこととフランスで挑戦してみたいこと、つまり過去を踏まえて未来に目を向けたうえで決意したことだった。

もちろん、彼と結婚をしていなくてもフランスにとどまることを選んだかもしれない。それはそれで別の道を歩んでいたはず。

1年前に「自伝にたとえるなら、早いうちにこの章を終わりにしよう」と嘆いていた私は、「まだこの章は終わらせたくない」と望むようになっていた。

フランスに留学することを決めたとき、すでに一生分の勇気をふりしぼった気がするけれど、不安しかなかった毎日をどうにかこうにか乗り越えているうちに、新たな選択肢に挑む力がついていたようだ。

ときどき、もし日本に帰っていたらどんな自分になっていただろうと想像することがある。留学経験を生かしてフランス関連の仕事をしていただろうか。

そもそも1年の留学で得たフランス語のレベルでは、コミュニケーションができるようになったとはいえ社会に通用する武器としては足りなかったはずだから、あきらめて全く違う分野に進んでいたかもしれない。そして彼とはどうなっていただろうか。

1年で帰国するつもりだった私は、そんな風にどうしても「もし日本に帰っていたら…」と考えてしまうことがたまにある。

でも、想像から生み出されたもう一人の「日本に帰った場合の自分」は、逆に「もしあのときフランスに住み続けていたら…」と想いをはせているだろうから、深く考えすぎることはないけれど。

それに今ではもう、フランス関連どころかフランスで直に働くという経験や、築いてきた家族、出会った友人、迎えた動物たちのいない自分は想像できない。

ページをめくる

「Tourner la page(ページをめくる)」というフランスの言葉がある。人生を一冊の本としてとらえた表現で、人は生きていくなかで転機があるとページをめくるのだという意味で使われる。

私の今までの人生は、日本での生活とフランスでの生活とで分かれている。本だとしたら章ごと変わるだろうし、舞台も登場人物も総入れ替え。それに起承転結の「転」がいくつも出てくる。

そのときはページをめくるのをためらうときもあるし、一瞬でめくるときもあるけれど、新しいページを開くかどうかの選択も自由なのが自伝の醍醐味だと思う。

…ところで。

あなたは今、ページをめくる時を迎えていますか?

たとえばあなたの自伝があるとして。



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