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心ときめくガラクタの宝庫、ブロカントの魅力

フランス語の「ブロカント」という言葉には、古道具やガラクタという意味がある。

新品ではない、いつどこで誰がどのように使ってきたかわからない品々。

それらは古物商が街の通りに構えるスタンドで売られていることもあれば、常設の店で売られていることもあり、そういった売り場全体のこともブロカントと呼ぶ。

フランスのブロカントには、ヴィンテージでも、アンティークでも、骨董品でもなく、ブロカントという言葉がしっくり来る。

日本では、フリマやリサイクルショップで売られているものだったり、セカンドハンドといわれるものだったりするのだろうけれど、フランスのブロカントは少し様子が違う。

まさしくガラクタという名にふさわしく、古びていたり壊れているものもあるし、陳列もランダム。

値段が書かれていないこともあるから、そのたびに店員さんに聞きに行かないといけない。

屋外で売られている場合、雨が降ると屋根がないスタンドには商品に水が溜まっていたりもする。

屋内では、独特な匂いがする。埃っぽいような、だれも住んでいない古い家のような。

古いものが好きではない人や、ブロカントの雰囲気が苦手な人もいる。一度も行ったことがないとか、行ったことはあるけどもう行きたくないという人も。

一方で、好きな人は毎週通うくらい好きで、ブロカント通いが趣味だという人もいる。それなりに有名なブランドの商品がまぎれていたりもするから、宝探しのような感覚で行く人もいる。

そんな、好き嫌いに分かれるのがブロカント。

私の場合、ブロカントに行くのが楽しい時期と、パタリと全く行かなくなる時期がある。よく考えてみたら、寒くて曇りの多い冬になると自分の中にブロカントブームがやってきて、悪天候でなかなか外出できない寂しさをブロカントで紛らわしている気がする。

趣味と言えるほど年中通ってはいないけれど、個人的にブロカントに行くのが好きな理由を考えてみたら、5つ見つかった。


①何があるかわからない未知の世界

ブロカントに売られているものは、たいてい家具や食器、装飾、本などが置いてあることは行く前から想像できるけれど、実際に置いてあるものは行ってみないとわからない。

もし一つ何かが売れたとしたら、その隙間は全く別のもので埋められる世界だ。

そこにあるのは、売主がどこからか仕入れてきたもの、売主が家族から譲り受けたもの、寄付で預けられたため誰のものだったかすらわからないものなど...

売れたら同じものを発注するという仕組みではないため、基本的にすべてが一点もの。

行くたびに、何があるかわからない未知の世界へと足を踏み入れる楽しみがある。

所狭しと並べられるカップ。
レトロなデザイン多め。

②買い逃したら最後というスリル

先日、良さそうな額縁を見つけて、大きく重そうだったから「帰り際に買おう」となんとなく思っていたら、その帰り際にはもうなくなっていたということがあった。その間、10分ほど。

唯一無二のものが多いというのは、スリルも伴う。

もし気になるものがあって手にとっても、悩んで別の場所を見ていると、次の瞬間には消えていることがある。たった2秒悩んだだけでも、その瞬間に他の誰かに買われてしまう。

直感とスピードが大事。躊躇してはダメということ。

その分、迷いなく購入できた時の喜びと安心感も大きい。

個性的な花瓶コーナー。

③奇跡的な出会い

何が置いてあるかわからないブロカントだけど、なんとなく「欲しいもの」を思い描きながら行くこともある。

たとえば「鏡」とか「花瓶」とか「キャンドルホルダー」とか。ちょっと変わったデザインのものに出会えるので、インテリアや雑貨はあえてブロカントで探してみる。

何があるかわからないからこそ、そういう風に目星をつけておくと、数あるスタンドや、所せましに並ぶ品々の中で迷子にならずに済む。

もちろん、そういう目星をつけないで行くときに、全く予想外なものに出会うこともある。

たとえば数年前、ふらりと立ち寄ったブロカントショップで、新品の日本製の急須を見つけたことがある。たしか5ユーロ(当時のレートで650円くらい)だった。

オレンジ寄りの茶色で、まだシールが貼られている状態、茶渋が全くついていない綺麗な急須。

持ち主が誰だったのか、どういう経緯でこのブロカントショップで売られることになったのかはわからないけれど、フランスの田舎のブロカントで日本製の急須と日本人の私が出会うとは。奇跡に近い。

もちろん購入して、今でも大事に使っている。

キッチン用品やら雑貨やらが混ざったカテゴリー。
日本製の急須を見つけ出したのもこういうところ。

④リサイクルに貢献

ブロカントに出品されているものは、捨てられるはずだったものや、捨てられてもおかしくなかったものも多い。

古物商はその日に売れなかったものも出品し続け、何か売れればまた古いものを仕入れてくる。

置かれているのは、どこかで不要とされていたものたち。それらがまた誰かの手に渡れば、ゴミとして処理されずにリサイクルになる。

私がブロカントに行くことを楽しいと思うのは、リサイクルに貢献できている気がするからでもある。

小説から絵本まで、本の種類も豊富。

⑤想像力を屈指してリメイク

ブロカントには、汚れてしまっているものや壊れてしまっているもの、何かが欠けてしまっているものも平然と売られている。

そのぶん、格安で手に入れることもできるけれど、そのままでは使えないこともある。そういうときは「どうにかして使えないだろうか」と想像力を屈指する。

先日、デザート用のカップを買ったものの、少し汚れがあったので洗剤で洗ったら新品のように綺麗になった。少し汚れているだけではひるまない。

カフェやレストランでよく見かけるデザート用のカップ。
洗ったらピカピカに。
アイスやプリンを入れるのにちょうどいい。

壊れているものでも買うことがある。

ガラス製のライターを見つけたとき、壊れていてライターとしては使えないけれど、インテリアとして置いておきたいと思って家に飾っている。

着火部分は外れるので、そこにキャンドルを入れたらキャンドルホルダーにもなる(サイズの合うキャンドルを探し中)。

ライターとしては使えないライター。
真ん中の部分を外してキャンドルホルダーにしてもいいなとたくらみ中。

スタンプホルダーはなんとなくデザインが気に入って、これもインテリアとして飾っている。

スタンプがかけられる部分だったところにブレスレットをかけ、中心の部分にリングを置いて使うこともできる。軸を中心に回転してくれるので、使い勝手もいい。

用途通りに使えなくても、想像力を使えば別の使い方で復活させることができる。

スタンプホルダーとして使わないスタンプホルダー。
アクセサリーを飾っても良し。

フォトスタンドや額縁は中身をいくらでも変えられるし、コラージュして飾ってもいい。

フォトフレーム。
読まなくなった雑誌の切り抜きをコラージュ。

リメイクしたり、自分なりの使い方を見出すと愛着も増す。

ガラクタがガラクタでなくなるとき

ブロカントは運と出会いなので、行っても何も買わないということもある。

心ときめくものに出会った貴重な機会を重ね、数年かけて少しずつ集めている。

その一部を記事のために写真におさめてみたら、自分だけの心ときめくブロカントを開いた気分になった。

ブロカントで見つけたものの一部を集めて記念写真。

流行とか家族の趣味とかお構いなしに、自分の感性だけで選んだ個性的な品々を眺めていると、不思議と統一感さえ感じる。

これからも私は、誰かのガラクタを自分のお気に入りとして迎え入れるために、ブロカントを巡り続ける。


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