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あの時あの曲を

 どうしようもないのだ。僕は誰のためにも生きられない。こんなことを言うのは格好が悪いし人々がもっと上手くやっているのもわかっているがとにかく自分には無理なのだ。善人ぶっているのも馬鹿らしいので悪を気取ってみる毎日。とはいえ本当に人を傷付けたい訳ではないのが僕の面倒な所だ。自分が勝手に傷付きやすいからでもある。大好きだった人をひどく傷付けてしまったからでもある。
 小さい手の感触をまだ思い出せるようだ。夕暮れ、誰もいない住宅街は未来を忘れさせて、そうした瞬間だけで人生を終えられたらどれだけ良かっただろうか。放課後、ホルンの音を校舎の壁にもたれて聴いていた。僕との付き合いを先生にも友人にも反対されまくっていた当時の大切な大切な恋人。人気が少ない方の通学路を選んで歩き、自販機でココアを二人分買って渡し、何をするでもなくただ家に送り自宅にUターンする帰り道の高揚感。あの頃と何が違ってしまったのかわかりたくなくて情景を走馬灯のように繰り返してばかりいる。もう戻らないことだけがはっきりと理解されている。
『いつまで経ってもお金貯まんないじゃん!』
 あの時あの曲を聴かなければよかったのだろうか。そんなことはないと思いたい。僕の欠落は二度の退職で証明されている。この先誰の期待にも応えられないし、故に誰のことも大切にできないのだと思う。それがわかってからはそれでもいいと言ってくれる人と付き合い利害関係を築いて、ただそれで僕の罪が許されている訳ではない。このぬるま湯は棺だと思う。僕はこの棺から今の彼女を出してあげたくなり始めている。僕に期待しないはずだった彼女。破綻が見えるのは僕のせいだ。全て僕が悪いから、お願いだからもうこんなことはやめよう。泣いても何にもならないのだから。僕は君のために変われないから。


 ようやくこうした行動ができるようになっているのは、歳を取ったということなのだと思う。素直に生きることができている。助手席に彼女ではない女の子を乗せて、江ノ島までjinmenusagiのあの曲以外を流して、海に囲まれた故郷を思い出していた。たまには浸ることも、浮かれることも許せるようになった。それでも忘れられない夏のあの酷い日。苦しければ苦しいほど笑ってしまうからもう僕は何も喋りたくないのに病気のように口が止まらない。どうしてこんなやり方しかできないんだろう。誰も幸せにできない人間でごめん。

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