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#162 雑記:京都 -1-

私は幼少期に京都に住んでいた。私の人生の中では、第一期黄金期、あるいは京都時代、などと呼んでいる約5年間だった。京都で生まれてはいないけど、ある意味、京都で最初の人生が始まったとも言ってもいいかもしれない。私の”第2のふるさと”である。

この数年間は私の中でも、幸福に満ちた時間で、四季折々の自然と触れ合い、感性を刺激し、その後の私の人生のカギとなる重要な期間だった。

京都にいた時の思い出を忘れたくなくて定期的に思い出すし、1年に1回くらいは京都に旅行に行きたいと思っている。でももう私の中で次の新しい記憶が入りたいと言っているので迎え入れるためにも、一度ここで書いておいて、いつでもこの記憶にアクセスできるように、残しておきたいと思う。



- 幼稚園 -

私は今出川や御所付近に住んでいた。今思い出すと住んでいたマンションは広かった思い出がある。窓に高さがあって、リビングも広かった。近くにちょっとした公園があって、毎年桜が咲いていた。たまに魚を売りに来るトラックのおじさんが来て、目の前で色んな魚を買えるのは楽しかった思い出がある。たしか、植物園も沢山行っていたと思うし、御所や鴨川も遊び場だった。

私ははじめ、とある私立の幼稚園に通っていた。この頃の思い出といえば、ざくろとダンゴムシなどしか、もう記憶にない。お庭の真ん中にザクロの木があって、実がなると口と手を赤くしながら食べていた。そしてダンゴムシ集めに夢中になっていた私は、封筒にダンゴムシを沢山いれてお母さんに渡して、驚く姿を見るのが楽しかった。

弟も入園するタイミングで、通っていた幼稚園の教育方針と両親の教育方針に相違があったのか、別の幼稚園に弟と通うこととなった。その幼稚園はモンテッソーリ教育を行っていて、かなり私と弟はそこで「集中力」「手先の器用さ」「好奇心の追求」そして「自分で考えて行動する力(自立)」が育まれていった。私は特にクロスステッチと編み物に相当夢中になっていて、専用のキットまで買ってもらって、小学校に上がっても続けていた記憶がある。

また影響が大きかったのは、日々イエス・キリストやマリア様を身近に感じる”カトリック教育”が行われていたことだった。毎朝、ご飯の前、ご飯の終わった後、帰る前に「父と子と精霊のみ名によって。アーメン。」などとお祈りをして、感謝・思いやり・優しさ、そして分かち合う心が育まれたと思う。縦割り保育だったこともあって、年長さんが年少さんに教えたり一緒に遊んだりと、お姉さんとして動くことも覚えていった。ここの幼稚園での教育は今振り返っても、私も弟も、人間としての良い素養が培われたと感じている。何よりも、神さまが近くにいてくれているんだと純粋な心で信じ、祈る心をここで持てたことは、この後の人生でも支えになることだった。

学芸会では勿論、マリア様役をやりたかったわけだが、大人の色々な事情もあって、大天使ガブリエル役となり、それでも長台詞を言い切ったのは良い思い出だったと思う。ここの幼稚園で出会ったシスターや先生方も、とても素晴らしい方々だった。大好きな先生方からもらった言葉の中で、「太陽みたい」「この頃から吸収力があった」などと言ってもらえて嬉しかった。
沢山の大人たちから、そして神から、愛されて幸せに満ちた日々だった。

いつからか、私はお受験のために塾に通いだした。長い長い塾生活の始まりだった。そこで私は”一番”になることの楽しさと満足感・充実感を知り、長らく”一番”でいることにこだわり始めるきっかけとなった。そこの塾では、何でも一番になると金メダルがもらえる仕組みだった。私は沢山金メダルをもらって、貰うたびにお母さんに褒められるのが嬉しかった。一生懸命取り組めば、何でも上手くいった日々だった。でも小学校受験は、第一志望に受からなかった。当日、メンタルが整っていなくて緊張と不安で泣いてしまって、試験もうまくいかなかった。人生ではじめて、絶望的な気持ちになった。それから北山方面にある、私立の小学校に入ることになった。
でも結果的に、その小学校が、私の感性や才能を磨く場所になったのだった。


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