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汚部屋人だからわかる!夢が叶うために必要なこと。お金が教えてくれた。

汚部屋・汚屋敷?!
全然問題なし!
むしろ居心地いいやん?

ちらかってようが汚かろうが虫がいようが何の困り事もなく
むしろガチャガチャしたとこで平然と暮らしている私、そんな自分結構好き。

ジャングルでだって生きていけるし
西成の小汚くて安いお店に飲み食べに行くのも好きだし
ホームレスさんとも道端で酒を酌み交わすし
行きつけのBARなんて、私が掃除したに見たこともない虫がでてくるくらい清潔さとはかけ離れてたし。

掃除はもちろん家事が苦手で嫌いだった。
子供だってできる
私じゃなくてもいいこと
複雑な思考もいらないし
生産性なんて関係ない。
とにかくとにかくつまんない、めんどくさい。
一時期意識高い系だったときに、掃除を外注していたこともある。
女性一人暮らしだって言うのに笑
家事に費やす時間が無駄、その間一本でも多く仕事こなしたいってね。


だから風水だとかスピリチュアルだとかで
掃除をして運気アップみたいなことを言っているひとたちに
わたし全然掃除しないのに運がいいんだけど?
なーんて心の中で吠えていたこともあるくらい、掃除をしましょうな押し付けが苦しかったわ。

フリーランス・個人事業主は
ここで◯◯円のお金が必要だと思っても
そのとおりに仕事は舞い込まないし
病気で寝込んで仕事が絶たれれば収入も比例する。
それでも運の力でいつも難局を乗り越えてきた。
絶体絶命、人生詰んだと思うことでも、毎回なんとかなってきた。
そしていつしか願えば、そのとおりに必要なお金が入ってくるってまことしやかなオカルト話しのようなことでさえ、私に現実的におこるようになってきてた。

ちまたでそれを引き寄せと呼ぶ事も知った。
わたしの中では、普通の人が当たり前だと見過ごす些細なことでも
コレ運がいいと前向きに捉えるのが好きだから
自分は運がいいように見えているだけで
実は隣のあの人やこの人とさして変わらんのだよねとわかってはいたけれど、そんな現実的なこと考えてもつまらんし、どーせなら楽しくいようよってパリピ脳がそうさせていたのだと思うわ。

しかし、今回は違った。
必要な額が拡大していくと、収入もそれに応じてあがるのがフリーランス。
というか仕事の仕方や意識が変わると、受注するものも当然変わってくる。
まぁだいたいは経験や知識が大きくなることでステップアップができるからだし、仕事を拡大するために生活も伴って変化していく相乗効果ってことだろうけど。
でもねでもね、今回もこれは絶対この額入ってくるって根拠のない自信で当然のようにワクワクしていたのに、それをはるかに下回る額になってしまったのだ。

なんでなんで?わたしは運がいいんでしょ。
いつだってどんなときだって、まるで魔法使いのようにコレしたいって願ったら、できていたじゃん。
なのになんで。こんなに私が求めていて私に必要で大切なことなのに、コレをするには到底足がかりにもならない額だなんて。
何をどう間違ったんや。

その時はたと気づいた。
自分の力はこの世の中のすべてのことに及ばないほどちっぽけで、つまりわたしは今までただの傲慢で自信過剰さんになっていただけってね。
じゃあ、どうしたら……。

そんな時ふとYou Tubeから流れてきたこんまりさんの話し。
お片付けやお掃除のことを説く方と認識していて、私には無縁な人だと、耳にはしてもずっと知ろうとしなかった方。

私は忙しく身を粉にして働くのはやめたし、家が散らかって片付かないときはキャパオーバーのサインだと思うようになったため、もう数年は片付いてそれなりに掃除されている部屋を維持していた。
だから大掃除しなきゃって概念が薄らいでいた。

でも直感というか妙に気になったらとりあえず行動してみようというメッセージに共感していたところだったので
それなりに掃除してあるけれど、今やらないといけない仕事もあるけれど、なんなら1からスキルアップの勉強もしないといけないけれど、けどけどけどけど!
利益に直結する「やらねばならないこと」より利益にもならない「気にかかってひっかかっている」ことをする選択をしちゃったのよ。
今回予想を大幅に下回る収入だって危機的状況、何より仕事でしょってときに。

そして掃除に取り掛かると、大方掃除はしてあったので細かい作業にとりかかる羽目になる。
大雑把な私はこまかい作業が嫌いなのだけど
例えば床の木目の細かい隙間の黒ずみとか
シンクの扉を開けた四隅に残っているわずかな黒いホコリだとかを
丁寧に取り除くことになる。
いつもは掃除を無駄な時間と舐めてかかっているから、頭の中で別のことを考えたりこれからすべきことの整理をしたりしていて頭の中はマルチタスク状態だった。
でも今回はそうはいかない。細かい部分だから掃除職人かよみたいにその細かい部分に意識を集中して、ただその汚れが取り除かれることだけに焦点を当てざるを得なかった。
そのときにふと湧いてきたのは

ああ、この家はこうして文句も言わず私を守ってきてくれてたんじゃないか!
この蓄積した汚れは私の生活の奇跡で、ここで生きてきた証じゃないか!

あんなことこんなことたくさんあって、あんな人こんな人いろんな訪れてそのたび優しく受け入れてくれた。
はぁぁぁ(感極まる)😭😭

ありがとう、ありがとうと愛しく思う気持ちがドバっと溢れてて止まらない。
愛でるように心をこめて拭かずにはいられない。
癌を経験して一人でこの部屋で命よもう終われと何度泣いたことか。
毎日自分の死を願う時間が大半な生き方ほど、悲しいものはないよね。
それを乗り越えいまやこうして、心身ともに健康に普通の生活ができている。
なんなら誰よりも幸せだ。
いろんな思いが走馬灯のようにかけめぐり、やっとわかった。

私はありがとうが足りなかったんだ。
◯◯円ほしいと願って、そうなるように動いてその値段より足りなかったからと、足りない足りないって文句言ってた。
じゃなくて、足りようが足りまいが頂いたその収入にありがとうって感謝をお返しするんじゃなかったの?
クライアント様がやってくれてありがとう、助かったよって感謝で渡してくれた報酬にありがとうって感謝で返す、その感謝のエネルギーでお金を回したかったんじゃないのって。

収入が大きくなると陥る罠。
え、たったこんだけ?って感情。
途端にありがとうのエネルギーが絶たれるから、お金も廻りづらくなる。
頂いたものにジャッジはいらない。ただ素直にありがとうと気持ちを返す、感謝のキャッチボールでお金は膨らんでいくのに。

ああー、こんな基本でこんな大切なことに気づいてしまった😭
とまたもや感極まる。
そして届いていたメールをチェックするため、とあるメッセージを開封したら。
私のスキルアップにつながるときめかずにはいられない新たなお仕事の依頼が舞い込んでいたのだ。向こうから。








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