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山火賁 雑感

六十四卦の部屋マガジンの文字数は、20年以上昔作成当初はひとつの卦につき凡そ5000〜6000文字くらいだったのが、このところ平均1万5千字前後、本日山火賁の加筆訂正をしていましたら2万字に迫る勢いに💧 まだまだ半分も解説できていないので、最終的にはとってもボリューミーな内容になるのではと想像します💦

で、賁の卦に関しましてのコラムとしまして、9年前46歳の頃、思う事を書かせて頂いたものも既に掲載していますが(その前のコラムは30代の若かりし頃のもの)、現在55歳のアラカンになった私は、9年前の私が書いていたような
「〜〜アラカンになって、この賁の卦をあらためて見て感じる事をどのように書いているのか、と、想像すると楽しみになります。その頃は今より少しでも成長していますよう、今、感じている事がまた、浅かったと恥ずかしく感じられるよう、更に精進し、深く易経を読み込んで行きたいと思います。」
このような意気込みや期待は大幅にハズレてしまって9年前の自分に大変申し訳なく思います。全然成長してないのですわ💧 ですがこのところ、もう少しで還暦、という事をとても意識します。それと共にこのところは狂ったように最後の追い込みとばかり易経の研究をする傍ら、コツコツ断捨離もしています。
不思議とこの年になると若い頃、あんなに欲しかった物にそれ程の価値を見出せなくなり、何故こんなにも収集していたのかと思うような大量の骨董品やコレクション類は殆ど処分しましたし、山のようにあった衣類や装飾品も随分整理しました。
このご時世、正装でどこかへ出かける事もなくなり、子供達も成人して巣立って行き、家に引き篭り只管易経研究に明け暮れる日々ですが、それがとても幸せなのです。人生で今が一番幸せ、と言っても過言ではありません。だって、家事や仕事の傍ら好きな易経を一日中研究できるのですもの🎶

そのような中、この賁の卦につきまして現在制作中の作品の為根掘り葉掘り深掘り研究しておりましたところ、この卦の五爻の境地?に近づいている事を感じました。
私は着道楽で、ファッション美容コスメは大好きですから、きっと死ぬまでお洒落は楽しむ事でしょう。けれどもそれはあくまでも自分が好きで装う姿であり、自分の為のお洒落であり、自分が自分らしくいる為のお洒落です。大好きな読書と同じで、自分を楽しませる事、と思っています。(子供の頃から読書も大好きなので、本は全く断捨離できていません📚)
賁で云うところの文飾とは、「虚栄心を満たす為のものではない」という事で、背伸びをしたり大きく見せようとしない、等身大の自分が大事、という事で、この卦は、お洒落したり着飾る事がダメと言っているのではなく、それが見栄だったり体裁を取り繕う為のもの、中身の伴わないものであるのなら不自然だよね、と言っているように思います。
若い頃の私は無理をして見栄を張ったり体裁を取り繕ったりしていました。例えば夫の仕事の関係でパーティーへ出席する事も多く、高価なドレスに身を包み(それも前のパーティーと同じドレスだと気づかれたら恥ずかしい、とか思ったりして、一度しか着ないドレスがアホみたいに次々増えました。それらのドレスは全て処分しました。過去の自分の所へ行って「オマエのドレスなんか誰も興味ねーよ!」と言いたいです💧)背伸びして無理して会場の外国人達と話を合わせて、楽しくも面白くもないのに顔を引きつらせて調子を合わせて大袈裟に笑ったり、全く興味のない話をさもあるような顔つきで真剣に聴いたりして、帰宅するとグッタリ疲れて3日くらい寝込みたくなる、なんて事がよくありましたが、結局は見栄を張って疲れてしまうのですよね。
この年になり、見栄を張る必要も体力も気力もなくなって、その分とても気が楽になりました。等身大の自分で(とは言っても身形は綺麗にしようと思いますが)、あまり無理し過ぎない自分で居たい、自分を労わりたい、他人が如何思うかよりも自分の好きな道に進み、楽しい事の為に時間を使いたい、時間を大切に使いたい、という気持ちになりました。
きっと、私の易経の解釈は独特でしょうし、アラカンで感じる事はこんなところですが、「もう見栄張るの疲れたから素のアタシで勘弁してくれ」、ってのが私がこの賁の卦に感じるところです。
過去の稚拙なコラムを敢えて残して置きたいと思ったのは、その当時の自分は何を如何考え生きていたのかを振り返るのが面白かったり、その後の自分が如何なっているのかも興味がありましたので、残しておいて良かったと思います。私は過去の自分と今の自分をよく比較します。全然成長できてねーな、ですとか、ああ、この当時はまだここまでしか考えられなかったのだろうな、だとか。アラフィフの頃は四爻くらいの境地に、アラフォーの頃三爻くらいの境地だったという事も面白いと思います。
アラカンになると、「見栄や虚飾は疲れのもと」、って境地になるものかもしれないです。ただね、じゃあ「ありのままの姿がいいのか」といえばそうでもないと思うのですよね。背伸びしたり見栄を張ったりせずに、身を美しく整える事は大事になると思います。中身の魅力、本質あっての余裕ある美しさが素敵だよねと云うわけで、その辺のバランスが崩れると、何方に過ぎても宜しくないと云う事で、この卦には「化成」という言葉が出てきますが・・・ってこれ以上書くとまた長談義となりそうなのでこの話はこの辺にしておきます💦 
是迄年を重ねて美しい先輩達に沢山出会いました。その人達は幾つになっても学び続け、教養があり、会話の範囲も幅広く、ユーモアもあり、立ち居振る舞いは気品に満ち、何より余裕がありおおらかでした。私もそんな、虚飾のない老境の美しさと云うものを70歳前後迄には身につけていたいものと憧れます。そう、まさに私の憧れの先輩達が、この卦の上爻の姿なのだと改めて思いました💓
で、生きてるか如何かはわかりませんが、70歳前後の私はこの卦を見て如何思うのか、憧れの老境の美しさを身につけているのか否か、大変興味深いころです。って事で未来の私、生きてたらよろしくね!(笑)

22.山火賁イラスト

 

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