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【エッセイ】火曜日のひと

「同行援護従業者」として働き始めて3ヵ月。週3日、視覚障害者の同行支援をしている。

 木曜日は、80代の男性。同行するコースは、たいていが自宅近くの喫茶店でコーヒーをごちそうになって、スーパーへ寄って帰ってくる。話し好きの優しい方。

 金曜日は、20代の女の子。彼女が通う作業所までの送り迎えをしている。明るく人懐っこい彼女と一緒にいると、自分が58歳だということをつい忘れてしまう。

 そして火曜日は、50代の女性。私は火曜日が苦手だ。

 朝9時、自宅へ行くと、その日のコースを伝えられる。彼女の場合、行き先が事前にわからないことが多い。それは、方向音痴で地図を読むのが下手な私には、とても厳しい。

 この仕事は、事前に行き先が分かっていることの方が多い。だから、パソコンの大きな画面で地図を何度も確認したり、事前に行って歩いてみたりする。けれど火曜日には、この準備ができない。

「今日はA駅に行きたいの」

「……はい。どうやって行きましょうか?」

「そうね、バスでB駅まで行って、そこからA駅までは地下鉄で行こうかな」

 ちなみに、私がこのA駅、B駅へ行くのは、この日が2回目。嫌な予感がする。A駅には、2つの路線が乗り入れていて、大きなバスターミナルに百貨店、複数のショッピングセンターが隣接している。

 何とかA駅に着き、ほっとしていると、「C銀行とDスーパーへ連れてって」
 スマホで地図を見ても、案の定、私にはわからない。駅員さんや道行く人に聞くと、親切に教えてくれるのだが、道のりが重要だ。

 というのも、エスカレーターを敬遠する視覚障害者の方は多い。特に彼女にとって、階段もハードルがとても高い。だから、エレベーターをいくつも乗り継いで目的地をめざす。やっとエレベーターの前まで来ても、開店前で使えなかったり、点検中で動いていなかったりということもある。

 方向音痴で、地図を読むのが下手な私なので、迷路を歩くかのように、行ったり来たりと彼女を連れ回してしまう。そんなお粗末な同行支援をしているのに、彼女は慰めてくれるのだ。

「仕方ないよ、はられさんは市外の人だから」
 確かに彼女の行動範囲は、私の生活圏外だ。

「はられさん、まだ3ヵ月の新人だからね」
 確かに、新米の同行援護従業者だ。

 しかし、そんな言い訳は許されない。初めて行く場所があるのは仕方ないとしても、スマホで地図を確認しただけで、すぐにお連れできるようにならなくては、プロ失格だ。

「急ぐ必要ないから、大丈夫だよ」
 優しい声をかけてもらえばもらうほど、申し訳なくなってくる。彼女のように、いろんなところへ出かける人には、この街に詳しい人がいいに決まっている。

 私がきょろきょろとあたりを見回していると、私のヒジを常に持っている彼女は、敏感に察知する。

「どうしたの? 何かあったの?」    
 私は彼女に気をつかわせるだけでなく、心細くもさせている。彼女は、私の仕事ぶりに嫌気をさしているに違いない。

 実は私も疲れてきた。いい年をして、迷子の子供のように、おどおどしている自分が情けなくて仕方がない。

 上司に話してみると、一笑された。
「彼女は全然気にしてませんよ。そんなことより、彼女のことで知っていてほしいことがあるんです」。

 先月、彼女が一人で横断歩道を渡っていると、途中で信号が赤に変わってしまった。すると、信号待ちしていた車が、一斉にクラクションを鳴らした。困った彼女は、白杖を両手で持ち、上に掲げる「白杖SOS」のポーズをとった。しかし、助けてくれる人は誰一人としていなかった。クラクションだけが、けたたましく鳴り響いていたそうだ。

 知らなかった! そんな目に遭っていたとは……。横断歩道の真ん中で、立ちすくむ彼女が見えた気がした。時間を戻せるのなら、走って行って抱きしめたい。クラクションを鳴らした運転手たちの首根っこをつかんで、車から引きずりおろしてやりたい。

 次の火曜日がきた。この日は、すぐにファミレスへ行きたいという。
 パスタとピザをシェアして食べていると、彼女が人間関係の悩みを話し出した。意外だった。弱音を吐かない人だと思っていたから。

 私も打ち明けた。
「首にされても仕方ないと思っています……」

 すると、こんな声が返ってきた。
「二人で街を探検するつもりで歩きましょう。これからもよろしくね!」
 私は決めた!
彼女に首にされるまで、彼女の支援を続けようと。

 それからの私は、火曜日が待ち遠しくなった。


「白杖SOS」についてステキな記事を見つけました。



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