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amazarashi Live Tour 2019 未来になれなかった全ての夜に(@NHKホール)ライヴレポート

amazarashi Live Tour 2019 未来になれなかった全ての夜に、ライヴレポ2本目は、6月21日に開催されたNHKホールを中心に各地の感想を混じえて、口上や楽曲を含め詳しく書いて行きたい。路上時代を思い起こしどこまでも優しい歌が届いた夜。本編は6本参加し、ライブハウスとホール3本ずつ見た。ホールは音響のせいか輪郭がぼやけやすいものの、弾き語りや声の伸びは豊かに響いた。ドラムの抜け感や音との一体感という点では、ライブハウスに軍配。

NHKホールは秋田ひろむの声が埋もれずクリアにとてもいいバランスで届いた。rockin'onでレポートが公開されているので、それを読むと一層その瞬間が蘇り楽しめると思う。

前回の全体的な所感はこちら。

渋谷とamazarashi

amazarashiにとって渋谷は思い出深い街だろう。WWWでの初舞台に始まり、AXに1度、渋谷公会堂には5度立っている。渋公が建て替えになってからは中野サンプラザにシフトしてしまい、なかなか渋谷でのライヴは叶わなかった。その渋公は建て替えも終わり、ネーミングライツをLINE、指定管理者代表はアミューズ。10月のこけら落としにはPerfumeの公演が決定している。この場所でまたamazarashiが見られるだろうか。

また、渋谷は秋田ひろむがかつてのバンドマン時代に路上やライブハウスで活動していた地。その景色はamazarashiの楽曲からも垣間見る事が出来る。武道館とは違うが、いつかあそこに立ちたいと思っていたかもしれない。その時代を共にしたタケさんが横にいる事も嬉しい。WWWで5周年はあったがツアーとしては夕日信仰以来。実に4年半振りとなった渋谷でのamazarashi。自分の生活圏でもあり、喜びも大きい。街の景色も大きく変わった。

スクランブル交差点を抜け公園通りを上っていく。マルイはMODIに変わり、AXはもう存在しない。新しくなった渋公を抜けeggmanを通り過ぎ、代々木公園に向かって広がる緑豊かなあの道がとても好きだ。かつては路上ライヴをしている人がいた場所も、この日はハープを吹く人が一人いただけ。時代の移り変わりを感じる。

開演前の様子

会場に着くと空調が弱くかなり暑かった。外の方が風があり涼しく感じた程だ。ホール内はそうでもなかったが、ステージは相当暑かったようで、真さんの後ろから冷風ミストのようなものが吹き出ているのが見えたが、秋田ひろむの汗を拭う回数や水の消費が尋常ではなかった。

開演前、お馴染みのSEが流れる。
以前にも別ブログで紹介したことがあるが、直前はこの2曲が多い。
・Gold Panda-Reprise(T.Hemingway Remix)
・Tosca-Suzuki
※レポ上の東京とはZepp DiverCity Tokyo公演です。

音が消え、照明が落ち、歓声が上がり、音と共にステージが色付き開演する。これがamazarashiのライヴのスタイルだ。が、今回のツアーは今までよりステージが明るく、メンバーが入り準備する様子が見える。いや見せるに近いだろう。はじまる前に歓声が上がり、SEが継続して流れた後にフェードアウトし少しの無音の後開演に一部公演が変化。新潟青森仙台は従来通り、東阪NHKは後者。初日大阪は開演前と後の2回歓声があがり、東京とNHKは開演前のみ。東京はかなり歓声が大きく長かったりと場所によって反応が違って面白かった。個人的には従来型が高揚感があって好き。姿が見えるのは勿論嬉しいけど。

話を少し過去に戻そう。青森はベースだけ早くステージ入りしタブレットを見ながら調整。開演してみればベースのタケさん(中村武文)が不在、仙台も同様だった。ギターのミウラヒデアキさんとまこっちゃん(井手上誠)やドラムの浜里さんと違い今回の方は(見当はつくものの)オープンにされていないため、代わりの方については割愛する。ベースが違うのはかなり感じたが、ギターもドラムも変わった2017年の初青森と比べれば違和感は少ない。何より秋田、豊川を筆頭に全員でサポートしようとする姿勢があった事も大きいだろう。仙台では普段フリーダムで恍惚と独自の世界を奏でるまこっちゃんも積極的に視線を送り、青森よりベースの音が響き、笑顔がこぼれていてよかった。そしてあいみょん対バンラブコールでタケさんが復活。東北は鬼門か、なかなかメンバーがフルで揃わない。次こそはと願いつつ、NHKホールの幕が開けた。

後期衝動

ステージが真っ青に染まり、横一列にamazarashiが浮かび上がる。しばらくお休みしていたLEDスクリーンが復活し、前面の紗幕は透過。メンバーの姿がよく見える。後期衝動で始まるのはいつ振りか。かつてアオーレ長岡(2014)へのフェス出演時に書き下ろされたこの曲。あの場で聴いた爆弾を打ち込まれたような感覚を思い出す。紗幕に浮かび上がる「後 期 衝 動」の文字が忘れられない。青森から来ましたの名乗りも確かこの時始まったのだ。

背後のLEDには線画の雨が降り注ぐ。同時にリリックが秋田の白いシルエット映像に打ちつけ壊れていく。ここでKinectが登場。シルエットが秋田本人の動きと同期する。文字通り言葉に雨曝しの状態だ。映像演出は有馬トモユキさんとUDONさん(武道館のしらふ担当)

初期衝動があるうちはいい。怖いもの知らずに勢いで走る事だって出来る。だがそれを失った後どう歩くか。希望が見えない中それでも歩き、時に自分を見失い歩みが止まり、また歩き出す。人生とはそんな繰り返しかもしれない。これがamazarashiのスタートだ。誰だお前はと自問自答を繰り返す。言葉は無力と誰かが言ったとしても、無力という言葉すらも言葉だと、心の中にある悲観さえも【自分自身の言葉】であると外へ放つ。

そう、繋がっているのだ。
未来になれなかったあの夜に。
秋田が声高に叫ぶ。

未来になれなかった全ての夜に。
青森から来ました、amazarashiです!!

どこか上ずるその声に、緊張が滲む。

リビングデッド

間髪を入れず、低音のピアノとバスドラが響く。画面にはamazarashi武道館、新言語秩序と同様のツイッター画面だ。冒頭に持ってくる事で武道館がゴールではなく、通過点でありその先に進んでいく事を匂わせる。言葉殺しと言葉ゾンビ達、様々な言葉が流れていく。秋田は、死にきれぬ人らよ歌えと鼓舞し、未来になれなかったすべての夜へと狼煙を上げる。リズム隊大活躍の一曲。タケさんのベースが前に出て気持ちいい。お帰りなさいと涙腺がゆるむ。真さんは上方にセッティングされたタンバリンを叩きながら突き上げるように歌い、天を仰ぎ音を刻む。

今回は全員の前にマイクがあり、サビのコーラスを豊川と男子3人で担い、秋田をサポートする。全員で歌う姿がとてもいい。新潟は2番に入るべき所で間違ってもう一回おおおーと歌ってしまい帽子を触り、入り直していたのに萌え散らかした。かわいいかよ。笑。

ざらざらとしたギターの音に、赤青緑と切り替わっていく照明が美しい。東京では超笑顔で頷く真さんと長いこと目が合って嬉しかった(気のせいw)秋田の動きは激しめで、足も荒ぶりギターを弾く右手を大きく振り上げる。その姿はまるで言葉ゾンビ希亜そのものだ。

ヒーロー

間髪入れず、画面にはYKBXさんの絵コンテ総集編MVが流れ、走馬灯のようにこれまでの月日が巡る。歌われているのは、所謂成功者とか世界を救うヒーローではなく、もっとミニマムな世界。このくそったれの世界を生きる中にある「負けない」強さだ。

勝負の世界で、
何よりも大きな武器は
「不幸」ということである。
これは「何が何でも勝たねばならぬ」
というエネルギーを生み出す力になる。

これは秋田の楽曲に多くの言葉が散りばめられている寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」の一説。笑顔で幸せであることに越したことはない。けれど苦しみの最中、起死回生の一撃は怒りか悲しみだと歌うのだ。

照明が美しい。特にイントロで白の照明が交差するように射し込む中、奏でる秋田のギターソロはしびれた。低音のベースと多彩なドラムとシンバルが織りなすグルーヴ感に高音からは柔らかなピアノが降り注ぐ。サビに向け、まこっちゃんは残像拳並の激しさを見せ、青森では思わず笑みをこぼしていた真さんや豊川。秋田も負けてはいない。肩をすぼめ背伸びをするように体全体で歌い上げ、ギターをこれでもかと上から下へ振り下ろす。NHKでは、終盤フライングしてかがみこむのが早く、一瞬アレ?となりながら続けていたのと、東京で、僕のと絶対が混じり、ぼったいと噛んでいたのがとてもかわいかった。ラストはピンクの照明に照らされる中ギターソロで熱く締め、ありがとうございます!!と声を上げた。

しばしの間。

青のスポットライトが射し、優しい声で秋田が口上を紡ぐ。

スターライト−口上

今日に至るまで、色んな夜を越えてきたはずです。
悔しかった夜、報われなかった夜、
そういう色々あったでは済まされない
色々の一つ一つをつまびらかにするために
歌いに来ました。
音楽は終わります。
このライヴもすぐに終わります。
この今日という日も。人生だってそう。
いずれ終わります。
だから、
僕らの役目はこの夜を終わらせることです。

新しく始まるもののために。

遠い昔の夜のこと。
1つが終わって1つが始まった。
遠い遠い夜のことです。スターライト!

遠い遠いは抑揚をつけ各地高めに熱っぽく語っていたが、東北とNHKは違った。少し低くフラットでとても優しい。来た道を噛みしめるような、目を細めその時間を想うような温度だった。

スターライト

秋田と豊川二人にだけ照明が当たる。その姿はまるであまざらしかあるいは前身STAR ISSUEか。映像は星空を銀河鉄道が駆け抜けるMVから一新。タクシードライバーに似た高速道路が映る。深い雪の中、むつから車を走らせ歌いに行く日々を想像させる。歌詞に合わせAマークが涙をポロリとこぼすシーンが愛おしい。胸の文字が刺々しかったり、文字が引き裂かれたり、月の周りをグルグル回したりとリリックの表現は様々。銀河鉄道は登場せず、「星めぐり」が強く出る演出。客席に向かってはミラーボールから光が散りばめられる。

秋田の声を大切にしながら、低音にゆらめくベースライン、それを支えるドラムが心地いい。後半、豊川のピアノが少しポップな印象を受けたのはここまで来た喜びだろうか。秋田は真さんとアイコンタクトを交わし、仰け反るような熱さを時折魅せながら歌を届けた。青森では二番と一番を間違え、いいこと→悪いことに変わってしまったがそれもご愛嬌。

秋田の過去と今を繋ぐ大切な1曲。

ラストに持ってくる事が多いこの曲を頭に持ってきてくれた事が嬉しい。自身を照らしてきた光。ずっと誰かに言ってもらいたくて、精一杯輝こうとする自分を見つけて欲しかった想いが伝わる。雨曝しだからこそ青空に憧れ、夜の縁を這いずりまわったからこそ夜を終わらせたい。遠い遠い夜と表現されるようになったスターライト。たとえまた夜に飲み込まれる事があっても、きっと歩き続けてくれるだろう。

夜や闇と共に生きる力をamazarashiは持っている。星は昼の光の中では見えないがいつだってそこにあるし、夜にこそ輝きを放つのだから。

月曜日

阿部共実氏、月曜日の友達第二巻を記念して楽曲を描き下ろしMVでコラボした作品。ツアー前半と後半で映像が異なり、前半は従来の映像を改変。アニメーションを減らし、秋田のシルエットモーション多めで展開。ツアー前半はこの秋田のシルエットが各所で多用されており、嬉しいという人と映像の変化が乏しいと言う人とで意見が割れていた。そして青森でKinect使用曲以外一気に秋田のシルエットが削除。リリックが大きく映し出される演出に変わった。NHKでは前面の紗幕にオレンジ系のライトが当たり少し映像がぼやけて見えたのが残念だった。

特別だった月曜日の夜の学校。心が触れ合い奇跡を起こす時間。楽曲の大サビの向こうではそんな月野と水谷がコマ割でドラマチックに瑞々しく描かれる。家庭、学校。どこか息苦しさを感じる二人。恋と友情の間で揺れ動きながら二人の特別な関係は互いの居場所を作り支え合っていた。青春の眩しさ。源氏物語の短歌が脳裏に浮かんでくるようだ。

「疾く過ぎ行くな春の中の春」

ドラムのビートが早く刻まれる事で、10代の青春の疾走感が伝わる。そこにエモーショナルな秋田の歌声が重なる事でその瞬間の大切さや愛おしさが胸に押し寄せる。サビの爆発的な熱量に圧倒される1曲。特にアウトロ部分の全員で激しく音を重ねる様はとても躍動的で一体感があり、ロックバンドamazarashiを体感出来る。高音に伸びていくエレキがまた自由を求める若者の叫びのようでグッとくる。

好きな物を好きと言えない、嫌いな物を嫌いと言えない。普通とは一体何かそんなに大切なものかと考えさせられる。相手を想い自分をぶつけた結果すれ違い、自問自答し、お互いがお互いにとっての特別であることを意識し、共に歩こうとする姿に胸が締め付けられる。月曜日の友達はそんな思春期の内面を生き生きと描く素晴らしい作品だ。永遠なんてないと知りながら別れないことを約束する二人。突然のさよならで悲しむ事がないように。出来ればこの先もそばにいられるように。本編ではたらればの前に置かれ、二人の縁がどうか続いていく事を願い、追加ではさよならごっこの後に置かれる事で切なさが募った。

ドラムスティックの音が、ゆっくりとエコーがかかり響く。

たられば

後ろに赤いカーテンが降り、青いライトが射す。表の紗幕には従来と同じように地面にチョークで書いたような秋田の手書きの文字が映る。

優しい人だったらが本当に優しい言い方で泣きそうになってしまったが、深夜ラジオの下りで笑顔が詰まり「どこかの誰かの辛い一日を…で終わらせる人になる」と若干物騒な感じになったのが面白かった。笑。ミュージシャンだったならではピアノのみの弾き語り。秋田の美しい歌声がアカペラに近い状態で会場に響き渡る。ギターに手をおき、少し俯き、やがて顔を上げ真さんをそっと見つめる。そこからまこっちゃんのギターが重めに響き、ドラムが爽やかに抜けていく。また親父の病気〜ではあまざらしに戻りピアノとギターの弾き語り。少し寂しげな秋田の声をクラッシュシンバルが華やかな音で受け止め、バンドサウンドへ広がっていくアレンジがとても好き。出羽さんに拍手を送りたい。

ヒーローで起死回生の一撃として登場した「怒と哀」がたらればにも登場。これを無くし「喜と楽だけ」で笑って生きていくとしたら、それが日常でそれしかなかったとしたらどうだろう。「幸せ」を「幸せ」と認識することも噛みしめる事も難しいかもしれない。幸せを幸せと感じるために、また何かあった時に生き抜く逞しさとして、この2つの感情はきっと必要なのだ。

さよならごっこ

LEDスクリーンにはShort verが公開済みのさよならごっこのMV。表の紗幕には消えいりそうな薄めの色味でリリックが映る。ステージまで距離があるせいか文字に浮遊感が生まれて美しい。映像演出はメメモリでこの街を担当したTanaka Takeshiさん。ミラーボールが客席を照らし、大阪初日とNHKではスモークが登場。大阪はかなり量が多かったせいかNHKでは若干控えめ。雲海のようなスモークに青やピンクの照明が射し込み幻想的な雰囲気が広がり、MVとステージが一体化する。女王蜂の火炎を模したように一面を炎が焼き尽くすシーンでは、amazarashiが炎を背に影絵のように映され美しかった。

ドラムとほぼ弾き語りに近くなる所ではハイハットを鳴らすチッチという音がとても優しく美しい。こういう音数が少ない所で朗々と響く秋田の声は本当に素晴らしいの一言。東京ではふきだまっ↑ての言い方がかわいかったり、歌詞が抜けかけた所をコーラスの豊川に支えられていたのがよかった。仙台はラストで君はそう呼んだと改変verになったが、か細い声が寂しくてとても好きだった。

アニメどろろのEDとして描き下ろされた楽曲。どろろと百鬼丸の温かい想いと寂しさが流れ込むような切なさと美しさ。別れを諦めでなく定めとして受け入れようと、何度もさよなら「ごっこ」をする。笑って別れよう寂しくなんかないと口で言いながら心で泣き崩れる姿が思い浮かび胸が痛い。この仄暗い優しい温もりがアニメの世界観と非常に合っている。私たちは日々出会いと別れを繰り返す。そこには時折四肢をもがれる程の痛みを伴うものもあるだろう。それが百鬼丸やMVの腕が千切れた人物と重なり涙を誘うのだ。その痛みは痛み続けるものもあれば、そっと胸の奥にしまいこみ時折蓋を開け、また閉じ込めるものもある。さよならごっこの詩(歌詞に付属する詩集)はamazarashiの作品の中でも珠玉の作品であると思う。どこか枕草子のような季節感を漂わせつつ、ラスト夜が泣き出すシーンが非常に美しい。ぜひ読んで欲しい。

それを言葉と言う

Lyric Speaker CanvasとコラボしたMVを改変した映像で、ローマ字入力を変換していくシンプルなリリックが流れる。依然スモークは残ったままだ。映像がシンプルな分、照明が客席やステージへ広がり青赤ピンクやオレンジと華やかに移り変わる様がとても美しい。秋田のポエトリーはその熱から走りやすく、アイザック同様、リリック表示のタイミングが序盤よくズレていた。新潟辺りからはかなり改善した。

終盤アコギだけになり、そこへまこっちゃんが秋田の真横に迫り覗き込みながらエレキを重ね、サビに入って行く。めちゃくちゃかっこいいのだが、同時に絵的に面白く毎回笑ってしまった。

この曲は、歌詞も詩(詩集)も終わりから始まる。歌詞は外でギリギリの中で生き、終わりへと向かっていく。詩は部屋に閉じこもり「僕らには何もなかった」から始まる。出掛けさせられてるというフレーズから分かるように、生きるために働かなくてはならないから外に出る感じが何とも秋田らしい。もう一歩も動けないという所まで来て、くだらない位でちょうどいいという言葉は強張った肩をポンと叩いてくれるようだ。あと理論武装解除の文字が四方から集まって文字を構成する所がすごく好き。

光、再考にそして独白にも繋がる1曲。

秋田の美しく伸びやかな声が会場を包む。

満ち足りている時には埋もれてしまう音もある。
幸せに見えるからと言って全てに満ち足りているとは限らない。
空っぽだからこそ響く歌がある。

抜け殻になった命こそ鳴らせ」という表現が胸に沁みる。amazarashiの音楽を必要としない人もいる。それはそれでいいのだ。それでも空しさを抱える秋田が、自分のために歌った歌が、必要とする人の心に届く。対バンやフェスを通じてその世界に触れる。少しの勇気を貰い、胸に押し込めた言葉を一つ外に出してみたら何か変わるかもしれない。言葉は使い方を間違えれば凶器になるが、適切に使えば自分を守る武器にも人を守る盾にもなる。昨日より今日。今日より明日。命を鳴らして生きていきたい。

光、再考−口上

その夜。
すでに終わっていた僕は、
日陰で生きていた僕は、
全てから忘れ去られていた僕は、
言葉にすること以外、
存在を証明する方法がありませんでした。
0から1にするために、
僕は音楽と言葉を用いました。
1から10にするために、
地元の仲間が救ってくれました。
10から100になる頃、
気づけば理解者が沢山いました。

あの夜、僕は紛れもなく0でした。
そういう夜のことです。

光、再考

秋田が0の夜に描いた、光を求める歌。全体的に暗いコード展開ではあるが、その歌詞の世界は決して暗くはない。希望を求めている限りそれは絶望ではなく、ただ日陰にいて光が当たっていないだけなのだと自己を肯定する。もしも生まれ変わったらなんて二度と言わないでと言っていた人が、数年後たらればをリリースし同じセットリストに入れ歌う。成し遂げられなかった陰の部分すらも今の自分を構成するのだと胸を張る姿はどこか誇らしい。どちらもamazarashi、どちらも秋田ひろむだ。

映像は背面のLEDスクリーンに、開始と共に△を示す黒い線が三方から集まり交差する。リリックはシンプルなタイポグラフィ中心。序盤は秋田と豊川二人、あまざらしに戻って弾き語り。二人にだけ細く白い光が射す。バンドでの演奏になると5人にスポットライトが射すが、秋田と豊川の光が強く原点をしっかりと演出する。シンプルなアレンジに秋田ひろむの朗々とした声に圧倒される。未来は明るいよ明るいよ、光・・ただただ自分を奮い立たせようと切々と紡がれる言葉たち。闇から光へと手を伸ばし掴もうと足掻いた日々が、宇宙や星の軌道と共に描かれる様は星めぐりの旅のようだ。サビではLEDスクリーンが白く発光、光に包まれていく。大阪東京は真っ白に発光し体調不良者が出たせいか、他では紗幕に戻され白の画面にノイズを入れ目に優しくなった。NHKはLEDスクリーンに戻した分眩しさが幾分戻る。ただこの白く発光するシーンは、さよならごっこの火炎シーンのようにamazarashiが影絵のように見えてとてもよかった。

当時の秋田にとって光はこれ程まで眩しかったのだろうか。光も強すぎれば人の視界を奪う事を皮肉っているようにも見える。夢や希望を手に入れた先では安息と同時に不安も広がる。奪われないか失わないかこれから先何をすべきか。追いかけて手が届くか届かないか位の方が楽しい、という気持ちも分かる。だが人生は生きている限りその先へと続いていく。

amazarashiは今や光の中にいる。それでも空しい瞬間があるからあるいは留まる事に不安を感じるから、新言語秩序しかり挑戦を続けるのかもしれない。歩き続けるために。そんなに急がなくていいんだよと時々言いたくなるけれど。0から100まで、100からその先へ。果たして秋田の目には今、何が見えているのだろうか。

ありがとう。

NHK(と追加)では少し低く優しい秋田の声が響く。小さく呟くようでとてもよかった。

ここで豊川がコンコンと咳込む。
大丈夫かな?と思いつつとてもかわいらしい。
秋田も気遣うような視線を投げつつ、後半戦へ続いていく。

アイザック

ドラムスティックが早めに音を刻む。水槽に近い演出で、紗幕からはみ出し乱れるように斜めになったリリックがフレーズ毎に浮かぶ。タバコの煙が上下左右から吐き出されるような映像がかっこよく印象的だ。川中ハルキさんの作品。高音のギターと低音のドラムが対象的でドラマチックに展開する。音源と違い、息絶える→が息↓絶え↑ると発音が変わる所がいい。オクターヴ上の豊川のコーラスがとても美しく、ツアーが進む程メインでは?というレベルで強くなっていった。

洗練されたメロディに文学的な歌詞が乗るこの曲は、被害者の振りをする加害者や裁きたがりが集う社会を痛烈に批判しながらも、繊細過ぎて傷つきながら生きる人々へ贈る泥にまみれた希望の讃歌。どこか地方都市のメメントモリを彷彿とさせる。秋田が内に秘めた熱を抑えながらフラットに語るポエトリーは、タバコの煙と相まってどこか退廃的で官能的。平たく言うと「性癖に突き刺さる」の一言だ。笑。ラングストンとセブンスという2つの言葉をKEYに、想像を巡らせてみる。ラングストンはハーレムルネサンス期を代表するラングストン・ヒューズ。

1920年代、まだまだ黒人差別が根強かった時代。ワシントンでは黒人の音楽家達がヨーロッパの楽団と共演したりと芸術面で独自の文化を築きはじめる。22歳の彼はニューヨークハーレムからワシントンへと移り、南部の移民達の商業的中心地である「セブンスストリート」に強い影響を受ける。サンドイッチやバーベキュー、スイカを食べジャズ音楽を奏でる。そんな当たり前の生活がそこにはあり、自分の詩でその自由で躍動的な生を(あるいはゲイとして生きる事も含め)伝えたかったのだという。
引用元(英語サイト):The Harlem Renaissance, Washington DC And the Rise of Langston Hughes
https://www.literarytraveler.com/articles/langston_hughes_washington_dc/

そんな歩幅で生きたい、秋田ひろむはそう言っているのではないか。マジョリティでなくて構わない。自分の歩幅で生きよと。

アイザックは彼のドキュメンタリー映画「Looking for Langston」を撮ったアイザックジュリアンか、あるいはニュートンかアシモフか。言葉は決して多くないポエトリーリーディングだが、フレーズから世界が広がる極めて文学的な作品。時にはゆっくりソファに腰掛け一服して好きな作品に浸る。そんな時間が明日を生きる活力を生むのかもしれない。

季節は次々死んでいく

アイザックから間髪を置かずシンバルが響く。
豊川と真さんにピンクのライトが射し、全員が青に染まる照明がとても美しい。過去への絶縁の詩、それはまさに未来になれなかった夜の欠片。そして復活する様は未来への繋がりを強く実感させる。

文字のかけらが集まり季節の文字が渦巻く。歌詞に合わせ、ブラインドに風の文字、路地の水たまり、宇宙に文字が吸い込まれ、五線譜のように電線が連なる鉄塔、過去のシーンでは宇宙が映る。天上から光が降り注ぐシーンが美しい。終盤真っ暗な画面に白く細い字で縦にリリックが表示されてはボロボロと崩れていく所が儚くて好きだった。そこに光の玉が登場し左から右へとゆっくり移動していく。あれは希望の光か。サビでは、再び秋田の白いシルエットが登場、Kinectでリアルタイム同期する。秋田に大量の文字が降り注ぎ文字がバラバラと崩れ足元に溜まっていく。そして文字の暴風雨となって秋田の周りをブンブン回り、最終的に秋田は文字に乗って上へと飛んでいく

え?w

いや何で飛ばした。笑。筋斗雲みたいに乗ってみょーんと飛んでいくのが面白いのでぜひ映像でもう一度見たい。悲しい事とか吹っ飛んでいくんじゃないだろうか。皆真剣にステージを見つめていたけど、内心腹筋ぷるっぷるでしょ。ね?笑。

バスドラが心地よく響き、まこっちゃんが暴れる。秋田を中心として互いにアイコンタクトを交し合い音を重ねる。豊川も楽しそうだ。秋田はギターヘッドを高く掲げ振り落とす。特に青森仙台の真さんのドラムはお膝元が故か相当力が入っていた。タケさん不在を支える気持ちも強かったのかもしれない。余裕を感じさせない程鬼気迫り、恐ろしい位に美しかった。最後にはステージが真っ赤に染まり、秋田の声で季節が生き返りフィニッシュ。会場からはひと際大きな歓声があがる。

新潟ではありがとう!と秋田が声を上げた(NHKではなし)

命にふさわしい

季節の熱を冷やすかのように、暗いステージに秋田以外に青い光が射す。やがて秋田には細く白い光が射し込む。冒頭豊川の暗さを伴ったピアノに硬質なドラムが響く。歌詞が表の紗幕に、MVが奥のLEDスクリーンに投影されるのだが、少ない動きで冷たさの文字がくるっと回転して温みに転じる所が何度見ても好きだ。照明が歌詞の世界とマッチして一層深い味わいを演出する。心さえなかったならの所では心の文字がしたから上へと上がっていき、ステージは真っ赤に染まる。それはもはや心から流す血そのものだ。そして次の瞬間にはステージが暗くなり真っ青に切り替わる。秋田もサビの熱から解放され、その声はどこまでも優しい。まるでを流し心が冷えていくかのような演出に、豊川の切なく寂しげなピアノが会場を包む。

大サビに向けてステージのボルテージは最高潮に達する。秋田は光と陰!と叫ぶも熱が入りすぎマイクに時々間に合わず拾いきれない。豊川のコーラスはいつもより大きめで秋田をしっかりと支える。真さんのドラムは音の粒をしっかりと残しながら流れるように縦横無尽に駆け巡る。火を吹くと言う表現が近いか。ラスト光と陰でステージが真っ白に染まり、秋田と真さんが見つめ合い、かき回した後溜めてスティックを振り落とす。ダメ押しのようなドラムがたまらない。

この曲はamazarashiの中でも最高レベルの熱さを持っているが、サビ以外は静かで切々と歌い上げる。この緩急が魅力だ。以前よりも少しアレンジがシックな雰囲気になっただろうか。そして秋田の調子と反比例するようにターボがかかる1曲。噛み付くように叫ぶため、調子がいい時はうまく感情をコントロールしながら熱を放出する。しかしあまり調子がよくない時には、何とか食らいつこうとアクセルを思い切り踏み込む。そうすると泣きたくなるような熱さと美しさが広がるのだ。今回でいえば秋田が疲れか他の理由か泣きじゃくるように歌っていた仙台がまさにそれだ。あの全身全霊魂を削り熱が結晶する瞬間は、本当に美しい。

ちなみに大阪では二階席最前にSIX軍団が座っており、本山さんが体を乗り出し食い入るように見ていたのが印象的だった。

しばしの間。

ひろ−口上

若くして死んだ彼は僕にとって青春の象徴です。
そしてあの日以来
僕にとって青春とは安寧との闘争です。
あの夜からずっと、
背後霊が僕を見張っています。
あの夜からずっと。

口上の間もタケさんがイヤモニを何度も触って直していた。調子が悪かったのかな。

ひろ

赤いカーテンが再び降りてくる。ステージは暗く黄色いスポットライトが豊川に当たり、美しいピアノがエコーを伴って響く。歌い始める秋田、ドラムが入り真さん、そして5人へと細い光が当たる。光、再考同様にここでも秋田と豊川だけ光は強めだ。

秋田がコピーバンドを組みやがてオリジナルをやり、高校卒業後上京するはずだった中学からの同級生。かつて共に夢を語った仲間は交通事故で亡くなってしまう。武道館に立った今、再びこれを青森へ届けるためのセットリストではないかと初日大阪で思った。秋田の年を考えると彼が亡くなった年と同じだけの月日が流れたことになる。背後霊が見張るというのはしっかり生きろよとプレッシャーにもなるが、同時に守護霊のように自分の背中を支えもしてくれたのではないだろうか。ごくシンプルなアレンジで秋田の感情がこもった声だけが会場に響き渡る。パーソナルな悲しみと優しさ、悔しさが心になだれ込み涙が滲む。そんな秋田を支えるように、豊川のピアノはラストまで丁寧に一音一音慈しむように響いた。

空洞空洞

ひろで涙し鼻をすする声が響く。私たちがしっとりした空気に浸っている気分等ガン無視で、秋田はアコギを置き、さてやるかとエレキに持ち替え腕まくり。笑。帽子をギュッと被り落ちないように準備。今回は帽子に光る紐?が巻き付いていてキラキラして綺麗だ。静まり返った空間をドラムがリズムを刻み、沈黙を切り裂いていく。

ここからは空に歌えばに繋ぐ熱い1曲。またそれを言葉と言うとも呼応しているのではないだろうか。意味なんてなくストレス解消に近いと秋田は語っていが、抜け殻になった命こそ鳴らせというようにがらんどうに歌と言葉が響き渡る。

タケさんのグイグイと前に出るベースラインとシンバルの爽快な音、豊川の美しいコーラスがうねりとなって押し寄せ、秋田とまこっちゃんは向かい合い互いの音を追いかけギターで殴り合いを魅せる。自由と激しさ、狂気と熱で秋田を刺激する様は、今のamazarashiを象徴する楽曲と言えるだろう。途中真さんのドラムからはタンバリンの音が聴こえたが上方のは使っていなかったため、ドラムの上に置いていたのかな?全員が笑顔で全身で楽しんでいる姿が嬉しくなる。特にまこっちゃんを挟み、真さんとタケさんが見つめ合ってノッている姿を見ているのがとても幸せだった。

空に歌えば

空洞空洞終わり、拍手が飛ぶがほぼ間髪を入れず曲入り。公演が進むたびに感覚が短くなっていくようなイメージ。初日の大阪は拍手がある程度収まってから始まったような気がする。映像は変わらず品川、汐留、青森の景色に光のリリックが走るMVだ。

この真っ青な景色と曲の速さが最高に爽快。そして驟雨のシーンで雨に打たれ、また雨と夜が空に溶けていくのが今のamazarashiそのものでたまらない。何度見ても真さんのドラムの手数の多さはしんどそうで仕方ないが、圧巻の一言。この初披露の舞台となった2017年の初青森。真さんなしで聴いた時の切なさは今思い出しても苦しい。青森では真さんがいるという想いで胸が詰まり頭から泣き崩れた。メメモリツアーではラストの青森ライヴシーンは各会場のリアルタイムの様子に切り替わっていたが、今回はその部分をまるっと削除。新たに青空とビル街や三角と光が走るリリックに差し替えて演奏シーンはなし。青森が終わったせいか、NHKからはラスト短めに演奏シーン挿入Ver.に切り替わった(ような気がする)あの撮影は前回の青森でその場で撮影されたからドラムは浜里さん。真さんを青森へ連れて行くという意味での演出?と思ったり。全然違ったりして。笑。ラストのMVと重なりながらギターソロで掻き鳴らす姿は最高にかっこよかった。

ありがとう!!

秋田のテンションが上がり、勢いのままに声を上げた。
この辺りで、終わり際か何かを落とすスタッフ。ゴン!ゴンゴンとマイクに音が通り響く。笑。

ライフイズビューティフル

映像は従来のMVをベースに少し手を加えた感じだが、LEDよりも紗幕の方が優しい色味が出て温かい。秋田には白、他はピンクの照明が射し、明るくてとても綺麗な印象。この幾何学模様や文字が追い出したり白黒反転する所がとても好き。「帰りたくないってまあわいも同じだが」の所は何度見てもいい。メロディはとても美しいが、アレンジは全体的に華やかで後半は激しさを増していく。前半、ピアノだけ同じメロディをリフレインする所は、変わらないものと変わりゆくものを表現しているようでとても好き。終盤にかけては熱量が爆発しまこっちゃんは再び残像無双状態に。笑。ギターの余韻を残しながら終わっていく感じが物寂しい。

秋田はサビ以外ではほぼ声を張らず、語るように慈しむような優しさで歌う。かつてのバンド、CHAMELEON LIFEの仲間に向けて作ったと言われる楽曲。この曲を渋谷で聴けたのがとても嬉しかった。というのもこの曲は私的に渋谷の夜明け、雑踏のイメージがかなり近い。新宿程ネオンが強くない若者の街。ライブハウスが沢山あるからかもしれない。ゴミゴミしていて朝の少し冷えた空気に、二日酔いの若者と出勤する人々が交差する街。夢を必死に追いかけて叶える人もついえる人も包み込む街。彼らの未来は残念だけどその先へ繋がらなかった。でも秋田は詩で美しいには綺麗という意味の美しいだけではなく後悔とか負の感情も含まれていると語る。その日々もまた今の秋田を形作る。ツアータイトルに相応しい1曲。

秋田ひろむは1人になり、豊川と出会い、amazarashiとして売れてしまった。そこにはきっとどうしても切り離せない複雑な感情が渦巻くのではないか。幾多の挫折や葛藤の中で闇から手を伸ばし希望を描き続け、光さえも与えるようになったamazarashi。だからこそその先で描く人生は美しいという言葉が胸に響く。どうか彼らにとっての大切な人達が、そして自分にとっての大切な人が(例え二度と会えないような距離だとしても)幸せでありますようにと願わずにはいられない。

MC

ありがとうございます。こんな沢山の人に来ていただいてとっても嬉しいです。昔東京でバンドをやってた頃、ここの正面の前の通りの所で路上ライヴとかよくやってて・・今日会場入りした時にああ懐かしいなって見てて。なんかざわざわした気持ちで今日は一日います。今も・・いるんですかねミュージシャン。なんか・・わいが↑言うのもおかしいんですけど、そういう人たちぜひ見てってくださいね。
今日はありがとうございます。

独白−口上

今日は昔を振り返るライヴなんですが、昔では歌えなかったことを歌おうと思っています。今だからこそ歌えることがあります。

あの夜奪われた言葉を取り戻すために。

NHKではとってもに感情がこもっていて嬉しかった。ざわざわという言葉に未来になれなかった夜を想う。あの夜〜はいつもは大きな声で叫ぶように言うが、この日はトーンが低め。かつての日々を思い返し噛み締める言い方だった。

独白

amazarashi武道館「新言語秩序」を象徴する1曲。事前に公開されていたストーリーでは言葉殺し実多が言葉ゾンビ希明を殺すバッドエンド。本番では君の中には言葉が溢れていると希明が実多へマイクを差し出し、実多が「独白」するという逆転劇に変わり、トゥルーエンドが展開した。

青や赤、白等の照明がドンドンというリズムに合わせて点滅する。かなり言葉の強い楽曲だけに流れをぶった切る感がなきにしも非ずだが、武道館に「聴きにきて貰った」この曲を各地を回り「直接届けにいく」ことがこのツアーの意図と思えば、外せなかったのだろう。だから秋田は京都でお礼参りという表現をした。

LEDスクリーンがある会場は後ろに、紗幕のみの場合は表に、黒の画面へ白い文字でリリックがポツリポツリ呟くように表示されるが、武道館の映像と同じものを使い異常に解像度が低い。曲が進むとマスキングが剥がれながら文字が表示、やがて画面いっぱいにタイポグラフィが広がりエヴァのような雰囲気に。これは新言語秩序による検閲の力が影響しているのだろうか。冒頭ではまだ力が残っていてそれを言葉の力ではねのけたような印象を受けた。

秋田は帽子をギュッと被り、心の内にある煮えたぎる程の熱をポエトリーに乗せ感情をぶつける。痛くてヒリヒリする程の情熱が会場を支配する。

言葉を取り戻せ

全身で絶叫する秋田の声が胸に突き刺さる。まこっちゃんと共に弾き合う間奏のギターは激しく色気が漂う。タケさんと真さん、豊川も同じように終盤に向けエモーショナルな演奏を魅せる。

嬉しくて嬉しくてたまらなかった言葉

これは武道館でこの言葉を聴くために来たと言っていい程、嬉しかったフレーズ。体の奥から絞り出すようなその声に胸を掴まれる。ツアーが進む毎に感情が少しずつ変化し、真っ直ぐな喜びというより周りへの感謝やありがとうの想いがより強くなったように感じた。ラストはステージ全体が真っ赤に染まる。真さんのドラムは渾身の力と感情が迸り、まこっちゃんはギターを持ち上げ、音を出したまま下に下ろし立ち尽くす。秋田は勢いのあまりのけぞり転びそうな程熱さを魅せ、勢いのままに言葉を叫ぶ。

未来になれなかったあの夜に−口上

あの夜言いたくても言えなかった言葉を
あの夜ずっと誰かに言ってもらいたかった言葉を
未来になれなかった全ての夜に

未来になれなかったあの夜に

紗幕は真っ白に染まり、影絵のようにメンバーの動きが演出される。歪んだエレキギターにドラムが低く低く響き、中高音のピアノが美しく支える。

中央にはKinectで同期した秋田の白いシルエット。リリックがワンフレーズずつくるっと回転しながら秋田を挟んで表示される。そのシルエットの中にも歌詞の文字が溢れ下から上へと上がっていく。サビでは宇宙に投げ出されたような風景に星が集まり星座を作りながらリリックを表現する。早く読みたいのに表示されるまで時間がかかってじれったい(笑)星空に宇宙を表現する楕円の白線、そこをくるくるとリリックが星めぐりのように回っていくのもとてもよかった。

そんな景色を映しながら、届けるのは壮大な過去を慈しむバラード。綺麗に取り繕う事や諦める事よりもかっこ悪くていいから足掻けと秋田らしい言葉が並ぶ。今の自分がかつての自分の選択の結果であり、答えだと紡ぐ。歌詞は事前にAPOLOGIESで公開されていたが、その続きがとても素晴らしくて初日は大号泣してしまった。2つグッと来た所がある。1つめは陰を光の理解者と表現した所。スターライトが1であるとすれば、光、再考は0の夜。夢を叶えた今、その夜を描いてくれた事がとても嬉しい。2つめは涙を路銀と表現した所。今笑っていても虚しさを抱えている部分はあって、悲しい事がなかったといえば嘘になる。でも過去に縛られ過ぎても息苦しいしなかったことにもしたくない。そんな気持ちをたった漢字二文字で表現されて妙に納得してしまった。今に至るまでの通行料だったかと。あの日があるから今があるのだとストンと受け入れられてしまった。

そしてamazarashiを愛する人へと言葉を紡ぐ。リスナーをあまり意識しないという秋田。自分に人生を重ね共感する人々へかける言葉があるとすれば、自分がどう歩んで来たかを伝えること。そこに押し付けがましさはない。内省的な楽曲の多い初期のamazarashi。そうして自分に問い続けた結果今があるのだと。無理をして完璧になろうとするよりも今の自分を受け入れて愛する気持ちを優しく歌い上げる。それは外にベクトルが向いているようで秋田自身にも向いており、やっとここまで来たよと穏やかな表情で前を向いているようだった。

これだけ美しい曲なのに、結論がくそくらえざまあみろな所が、本当どこまでも秋田ひろむらしくてamazarashiだなあと思う。青森でこの歌が聴けたことが嬉しかった。この感情で彼らは始まったのだから。

秋田が自身のギターから歪んだ音を放ちながら、ラストの言葉を紡ぐ。

馬鹿にした夜に
無謀だと嘲笑った夜に
悔しかった夜に
報われなかった夜に
未来になれなかった全ての夜に
借りを返しに来ました
このライブはもう終わりです
終わらせるために始めたこのライブも
もう終わりです
新しく始まるもののために
この今日という夜の向こう側で
わいとあなたの人生の続きを始めるために
そして(ギターヘッドを握り音を止める)
終わりと始まりを喜びと悲しみを
光と陰を繰り返した夜の向こう側で
また生きて会えることを楽しみにしています
言いたいことは言うべきです
どんな状況においても
だから最後に今言うべき言葉を

ありがとうございました!!!

これが本当に最後のアウトロ。

新潟は新しく〜が抜け、NHKでは借りを「貸し」と間違えた事から貸し返せやコラ的なオラオラした雰囲気に。笑。

全員が秋田を見ながら激しく音を重ねる。特に豊川の笑顔が眩しい。途中でもう一度強くありがとう!!と秋田は声を上げ、下手上手を見て、力強く頷く。真さんと合わせて最後は座り込むようにしてギターを掻き鳴らし、終演。ファンからは大きな歓声と拍手、ありがとう!!の声が飛ぶ。秋田はギターを置き一目散に颯爽と去っていく。もっとゆっくり余韻を味わってくれてもいいんやで。笑。真さんとまこっちゃんは手を合わせたり手を振ったり各地色々してくれていたが、NHKではありがとうと頭を下げていた。

これまでは終演後に新曲等の音源が流れて1曲聴いて拍手をする流れだったが、今回はレコ発でないせいかさよならごっこが流れ客電もすぐに付き帰宅を促すBGMになってしまった。少し残念ではあるが、また次のツアーに期待したい。

ツアー本編を振り返って

初日。セトリがあまりにも新しい曲とタイアップに固められ、未来になれなかった夜はいずこへという気持ちから複雑な想いだった。ツアーを進み振り返るとその意図は伝わる。武道館をあえてコンセプチュアルなものにしたのは、きっと始めからツアーありきで考えられていたのだろう。本来は武道館という大舞台で集大成を表現するのが定説だ。けれどそこをゴールとしないため、次へ繋ぐため、そしてこれまでの日々を振り返りフラットな気持ちで更に前へと進むため、武道館ではなくツアーで自分達がありがとうを届けにきた。勿論青森にも伝えたい。そんな想いが伺えた。

もう少し夜を描いて欲しかった気持ちがないと言えば嘘になる。LEDより紗幕がいい。Kinectは正直なくてもいい。口上だって無理して入れることはない。だがそれでも。地方都市のメメントモリのリリース、ツアー、武道館、そして未来になれなかったすべての夜にの本ツアー、ここまでが一つの流れで望んだ物が出来たと言うならそれでいい。

amazarashiが夜の向こうへと歩みを進める。

どんな答えを導いていくのか、どんな言葉を紡ぐのかこれから先がとても楽しみだ。

さてNHKホールの後、追加公演が名古屋と東京で行われた。セトリは本編中一度も変わらなかったが、追加で変化。久しぶりの曲、いつか聴いてみたいと思っていた曲が演奏され幸せの極みがそこにあった。また続きを書いたら読んで貰えると嬉しい。

本編のレポはここまで。ありがとうございました。

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