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頑張ってはいけない理由

私の世代の学校教育を受けた人は、「頑張らない」と聞くと、条件反射的に
「怠けている」とか、
「みんな頑張って生きているのにけしからん!」
と思ってしまうようなところがありました。

当時は、頑張るというのは美徳であったのです。

私は、父方のおばあちゃんが大好きで休みになるとよく自転車に乗って会いに行っていました。
おばあちゃんは、大東亜戦争の戦中、戦後という厳しくて貧しい時代を生き抜いた強い精神の持ち主で、毎回のように戦争時代の苦しかったお話しをよくしてくれました。
それと同時に、いつも口癖のように、
「今の人は軟弱になってけしからん!みんなバカじゃ!」
と言っていました。
また、
「人生は苦しいことばかりなんじゃ。男は社会に出たら7人の敵がおるんじゃ。だから、どんなに苦しいことがあっても歯を食いしばって頑張って生きんといかんのじゃ。」
と、口癖のように言っていました。
当時小学生だった私は、お婆ちゃんが大好きで尊敬していましたから、
「僕もおばあちゃんのように強くなっておばあちゃんに好かれるような人になるんだ。」
と思っていました。
そんなおばあちゃんが私に口を酸っぱくして言っていたことは、
「人生は頑張ることが大事」
「苦しい方と楽な方があったら苦しい方を選べ」
ということです。
しかし、生来、人一倍の怠け者(良い意味で合理主義的)であった私は、自分の嫌なことに対して頑張ることができず、そんな自分のことを情けなく思っていました。

そんな私も高校生になると、人生についていろいろと考えるようになりました。
そして、小さい頃おばあちゃんが私に言っていたことに対しても何となく疑問を抱くようになりました。
例えば、
「あれだけ人に言うほど頑張って生きてきたおばあちゃんが全然幸せそうでなく、いつも世の中や他人の悪口ばかり言っている。何か違うんじゃないだろうか?」
「苦労は買ってでもせよ、とよく言われるけど、別にわざわざ買わなくても、苦労と言うのは自然と向こうからやって来てその対応で精いっぱいなのに、なんでわざわざ苦しい方を選択する必要があるんだ?」
と言った感じです。

そして、
「中学生の時に頑張って勉強して県内でも有数の進学校に行ったけど、入学してからこれまで一度も幸せだと感じたことがない。何か間違ってたんじゃないだろうか?」
と思うようになりました。

「がんばる」という言葉自体がとても抽象的でさまざまな捉え方ができるので、一概に良いとか悪いとか言うことはできません。

何か達成したい目標があって、それに向かって「がんばる」のって素晴らしいことだと思います。
その時の「がんばり」は、好きな目標に向かってやっているわけですから、「がんばっている」というよりかは、「楽しんでいる」と言った方が合っているかもしれません。

しかし、興味関心が全く無いことに対して、意味も無く「がんばる」のは、ただ自分自身をいじめているだけになってしまいます。

同じ「がんばる」でも、何を目的にやるのかで全く異なり、後者のような「がんばり」を続けていたら、人生が苦しくなるだけでなく、他人にも悪い影響を与えてしまいかねません。

仕事を例にお話ししますと、もし興味関心が全く無い仕事をイヤイヤながらがんばって続けても、大した成果は得られないでしょう。
嫌いなこと、興味が全く無いことをイヤイヤながらやっていても、力を発揮することはできないでしょうし、良いアイデアが出てくることも無いでしょう。
そうすると、良い結果が出せず、会社からの評価もあまり良いものとはならないはずです。

しかし、すごく興味関心があって、時間を忘れるほど没頭できるような仕事であれば、自ずと良いアイデアも浮かんで来やすくなるでしょうし、仕事に対する会社からの評価も高くなるでしょう。

ですから、私は決して「がんばるな」とは言いません。
ただ、「好きなことを一生懸命やりましょう。」と言うだけです。
とてもシンプルです。
また、「嫌いなことは必要に応じて淡々とこなし、無理して頑張って自分を苦しめるようなことはやめましょう。」とアドバイスします。

頑張ってはいけないのは、必ずしも今必要でないのに無理をしてはいけないということです。

このような「がんばり」は、体調を崩す危険性があるだけでなく、あなたの貴重な人生の時間を無駄にしてしまう恐れがあります。

ですので、何かをがんばろうとするとき、必ずあなたの本心に聞いてみることを忘れないようにしましょう。

「私はこれを頑張ることによって何を達成したいのだろうか?」
「私が今これを頑張ることに何か良い意味があるだろうか?」


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