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肘の痛み: 好きなものは好きのままでいい♡

18年ぶりにピアノを弾き始めて5年が経ちました。ピアノ嫌いだった子どもの頃が嘘のように「こんなに楽しいのになんでやめたんだっけ?」とかつての自分の選択が解せないほどです。

空白を埋めようと、さまざまな曲に挑戦して没頭する中で、肘に違和感が残るようになりました。

セルフケアや、治療家の方々の手を借りながら、騙し騙し過ごしてきましたが、また新たに面白そうなオステオパシーの先生を見つけて訪ねてみました。

いくつかのテストをした後、その先生は痛みの原因として「最近のものではないストレス」の可能性を示唆しました。「弾きすぎ」が原因と思っていた私にとって、その指摘は驚きであり、朗報でもありました。これから強靭な体を作るよりは、心のしなやかさの方が得やすいように感じたからです。

その指摘の後、程なくして体験した「タイムウェーバー」という波動調整機器でも、フィジカルよりは、メンタル、スピリチュアルの要因があるように受け取りました。


心因が原因であるとすれば、私にも出番があります。この十年ほど共に歩んできた「ブライトセッション」というメソッドがあります。キネシオロジーという手法を用いて、今の困りごとにつながる未解決の過去の出来事や思い込みを探り、新しい視点で見つめ直し、新しい選択をする、そんなセラピーです。

セルフセッションに入ります。今回旅したのは、2019年、2016年、1983年。

2019年、息子の幼稚園のママコーラスのピアノ伴奏と代表を務め、みんなが楽しめる組織を作ろうと尽力するも、不本意な形でやめることになった。

2016年、かつて一緒にピアノを習っていた幼なじみの凱旋ライブ。複雑な思いが胸に去来し、喜びや祝福と共に、敵わない気持ちや寂しさもあった。自分もまたピアノを弾いてみたいとも思った。

それらに共通してあったのは、 「音楽は私を傷つける 」「ピアノなんか弾いたって何にもならない」「モノにならなければ意味がない」という思いです。

そして1983年、 小さなまりちゃん3才、まだピアノを習っていない頃。 ここで出会ったのは、自発的な「ピアノを弾きたい」という思い。母に強制されたと思っていたピアノでしたが、なんと、小さい私はピアノに興味津々でした。

ピアノがストレスで、ピアノに傷付けられたような気持ちで生きてきたけれど、「ピアノにまつわる人間関係」こそがストレスで、ピアノ自体は好きだったようです。

さらに別の思いが出てきます。「罪悪感で母親を縛りつけたい」「ついていたい」という思いです。

実際、私の母は自分のせいで娘がピアノ嫌いになったと思っています。言葉で気持ちを伝えることが難しかった私にとって、ピアノを否定することは数少ない反抗手段でもありました。

好きなものを「駆け引きの手段」とするうちに、嫌いだと信じ込むようになり、嫌いでなければならなくなりました。

そして「ピアノなんか弾いたって何にもならない」という言葉を繰り返し自分に投げつけ、大好きなはずのもので自分自身を傷つけてきました。だって、実は、傷ついていたい、傷つくことを望んでいたのですから・・・。

自分を傷つけるために好きなものを使うとは、なんと悲しいことでしょう。でも、大切な自分を傷つけるには、手段は好きなものでなければならなかったのです。

ここまで見たら、拗ねてこじれるのはもうおしまい。 本来に戻ります。好きなものは好きでいいのです。それ相応に扱っていいのです。もちろん、ピアノや音楽に限ったことではありません。


自分との対話は、大きな心境の変化をもたらしました。「傷付けられた」を振りかざすのをやめる決意をしたのですから。

身体的にはどうでしょう?完全にスッキリしているわけではないものの、オステオパシーの先生によれば、ストレスの度合いは減少しているようでした。

心の痛みを身体で表す必要はない。
傷つけられた私をやめる。
好きなものは好きでいい。

当然のことのようだけど、やめるのが難しい長年のクセです。でももっとシンプルに、好きなものは、好き♡でいいのです。


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