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専業主婦の母から学んだ起業への道

こんにちは。
アーシングアートクリエイターMaricoです🌿

クレイセラピスト育成をメインとした教室「ホリスティッククレイ研究室Charma」を主宰。
クレイセラピスト育成とアーシングアートクリエイターとして活動中。

今日から3連休だと
氣付いたのは昨日でした。笑
(カレンダーがあやふやなのはデフォルトです)

悪天候+氣温も下がり
テンション下がり氣味だと
カレンダーにまで
意識が向かないわたしです。。。

三連休、いかがお過ごしですか?

Uターン移住に向けて
ようやく具体的に動きだすための
準備に入ろうと思う今日この頃。
引越してきて1年半で退去する
今の団地の退去手続きに着手しようと
いうタイミングです。

年末に引き払うまで
まだ時間があるので
かな〜りのんびりしています。
これまで引越しは5回経験してきて
今回で6回目なのですが
一番ゆったり計画の引越しです。

突貫工事のような引越しパターンが多く、
良い物件が見つかったら
即、引越し!というパターンだったので
期日を決めて計画性を持って
引越しを段取りするのは初めてかも。
(計画性の無さが・・・笑)

心がようやく整って
Uターン移住(と言っても実家に帰るだけ)
への準備意欲が生まれてきて
両親と18年ぶりに暮らす
これからのことを考えながら
作業を進めていくことになります。

わたしの母のことを少し。

母は、団塊世代のど真ん中時代を生き
「父がサラリーマン、母は専業主婦」という
昭和時代の典型的な時代のモデルケースの女性。

二十歳そこそこで
父とお見合いで結婚し
23歳くらいで第一子であるわたしを
この世に産み落としました。
(宇宙人誕生w)

高卒で和裁関係の専門学校に通った母。
恐らくその当時では珍しい進路だったと思います。
(その時代の女性の選択肢をちゃんと調べていないので、何がデフォルトだったかはわかりません)

現在68歳の母親は恐らく
恋愛経験もなく(そんな匂いを感じたことがない)
お見合いで嫁ぐ。
和裁の技術を持ちながら
一度も社会に出ることなく
結婚をし、わたしが産まれる。

That's 専業主婦。

↑過去に母のことも書いています。

どちらかというと
優等生タイプ。
本人曰く、高校は首席レベルで
卒業したらしい。
生徒会長的なことをしたとかなんとか・・・
(と言っても地元の高校なので・・・笑)

真面目を絵に描いたような母。
(父親も頑固オヤジなので似たもの同士)

3人姉妹弟(きょうだい)の長子長女の母。
彼女の父であるわたしの祖父は宇宙人タイプ。
(母である祖母は穏やかな女性でした)

↑祖父の宇宙人の血を引き継いだわたし


祖父の影響が大きかったのか
世間体を氣にして
人と違ったことを好まない。
みんなが納得するモデルケースが
当たり前の選択で生きてきた彼女。

そんな彼女の元に誕生した
自由奔放な宇宙人のような娘。

何度もぶつかって
喧嘩もたくさんして
涙も流してきたし
40歳を超えた今
Uターン移住する上でも
マスクだの何だので
言い争っています。笑
↑言い合いながら電話を切った後、「そっくりだな」と笑ってしまった。

わたしの実家はその昔
曾祖父母、祖父母、わたしの叔母
そして両親+わたしと弟
という9人家族という
なかなかの大所帯。
4世代同居はその当時でも稀。

そんな環境に嫁いで
苦悩した母は常にわたしに
愚痴をぶつけていました。

特に去年亡くなった祖母は
ちょっと曲者で
ザ・女子のかまってちゃん系なので
自分が中心じゃないと氣が済まないタイプ。
祖母は末っ子女子に対して
長子かつ長女である母。
苛立つことも多かったんだと思います。
末っ子の法則というのがあるように
わたしも弟がいるので
母の氣持ちは理解できます。
(嫁姑はまた違ったストレスだったろうけど)

和裁のスキルを身につけた先の未来を
どう考えていたかは本人も
今となっては鮮明に覚えていないと思います。
わたしは、そんな母に初めての浴衣を
仕立ててもらっていたので
パートに出るより和裁の仕事を家でやれば?
と何度も提案していました。
(わたしが自宅で仕事をすることにこだわっているのはその影響が大きいのです)

でも、若くして結婚し
妻になり、嫁になり、母になり
自分の人生に葛藤が生じ始めたのは
同居していた時から感じていました。

「これからの時代は女性こそ手に職よ」

とわたしに言い続けたのです。

幼少期から聞かされていた
そのフレーズの通り
わたしは「クレイセラピスト」という
資格を持ち、その職で生計を立てるようになりました。

なのにその張本人は
すっかり忘れているので
わたしの独立には大反対。(←おい!)
会社員である父の妻で
専業主婦の人生が当たり前になり
経済的には困ることはありませんでした。
(ディーラーで働く父は時代が時代だったので車はバカ売れ時代。)
ただ、自分の稼ぎで自由になる
お金みたいなものは
あまり持っていなかったと思います。
時々、稼ぐパート代が
唯一自由になるお金だったんじゃないかな。
そんな自分の生き方にもフラストレーションは
ゼロではなかったと思います。

「自立したい=自分探し」を
母自身もしていたと思いますが
安定の中で守られていたので
挑戦はしませんでした。

そして安定とは真逆の生き方をする
娘を理解してあげたくても
経験のないこと、世間体という
狭間で苦しかったと思います。

人生を転々と生きる娘のわたしを
最終的に応援してくれているし
もしかしたら自分が叶えられなかった
潜在的に持っている欲求を
娘であるわたしが満たしているのかもしれない。
と思うようになりました。

だって、きっと母は
自分が好きなことや
女性が自立することを
自分で叶えたかった人なんだと思うから。

大黒柱である父を支え続けた時も

彼女は強かった。

母曰く、わたしの頑固さは
父譲りだというけれど
母譲りだと思います。
(「いやいや、オカンの頑固さだよ」と心の中で思っている。)

確かに父とわたしは氣質はそっくりで
負けず嫌いで
正義感が強くて
くそまじめ
曲がったことが嫌いで
人の恩情を最優先に考えすぎて
心疲れちゃうタイプ。(HSP代表タイプ)
(↑列挙すると可愛くないな、女子だと)

でも、一度決めたことを貫くとか
女性の自立という思想に関しては
母譲りなんだと思います。

母の代わりに自分の人生を
生きているわけではありませんが
娘にとって母親の影響は大きく
何歳になっても自分の生き方には
良くも悪くも影響するんだなと思います。

さぁ、これから18年ぶりの
両親との同居、どうなることやら。笑

ま、わたしはこのままなので
喧嘩だってするし
想いを伝え合って暮らしていくだけ
だと思っているので
郷にいっては郷に従えは
できそうにありませんが
自分のルーツに帰って
どんな氣付きが自分にあるかを
楽しみに進んでいきたいと思います。

みなさんはどんなルーツを持っていますか?


いつも最後まで読んでくださってありがとうございます。いただいたサポートは次のサポートの循環を生むこと、世界中の子供たちの笑顔のために循環させていただいております◡̈⃝︎⋆︎*