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父親のうつ病がすべてを変えた

おはようございます。
クレイセラピストMaricoです。

例年より少しだけ早い梅雨明けを迎え
一気に夏日が連日続いていますね。

引越しをしてbeachまでは
少し距離ができたけれど
その分、海岸沿い近くと違って
とっても静かで落ち着いた暮らしが
できています。

 #よく寝れる

今日のタイトルはちょっとドキッとしますね。

結論から言うとそれほど壮絶だったわけでは
ないですし、今現在、父親は安定して
穏やかに暮らしているのでご安心ください。笑

ただ、わたしが「会社を辞める」
大きなきっかけのひとつになったのは確か。

今日はそんなお話です。

わたし自身、元々、独立願望は強いし
会社員をやり続けることでの
安定なんてないと言い切っていたし
人に指図されたくない(笑)性格だし
仕事の上での自己主張が強い人間なので
自分で何かやりたい!願望はとにかく
新社会人の頃からずっと持っていました。

何がやりたいのか?
何をしたらうまくいくのか?
そもそもわたしはどんな生き方をしたいのか?

なかなか自分の中での答えが出なくて
苦しい時代は長く続きました。
要するに独立するまでの15年間は
自分との対話をしながら本当にやりたいことは?
どんな生き方、働き方をしたいのか?
自問自答の連続の15年間でした。

20歳で社会に出て35歳で独立するまで
たくさん考えて生きていたと思います。

女性なので、結婚出産を経験する人生だったら?
独身のまま生きていく人生だったら?

いろんなケースを想像しましたね。

でも、一番わたしの背中を押した出来事は
父親がうつ病と診断されたことでした。

まだわたしが会社員だった30代前半の頃です。

日本一の自動車メーカーのディーラーで
長年営業の第一線で働いていた父親は
「真面目」に「クソ」がつくほどのサラリーマン。
責任感も強く、プライドも高い。
負けず嫌いで誰よりも先を行きたい人。

だから常にトップセールスだったし
絵に描いたような昇進のレールを
踏み外すことなく歩んでいました。

競合他社の営業マンからも
「田口さんの営業にはかなわない」
と噂されていたと知人から聞かされて
娘はびっくり。笑
だって、ただの田舎のオジサンですからね。

でも営業所の所長(店長)をなんども経験し
新店舗の立ち上げがある度に異動をしていたほど
実績は認められていた人でした。
(実の娘であっても間近で見ていたので理解してました)

ここまで書くとなんの問題もない
順風満帆なサラリーマン人生じゃないかと
思うと思います。
稼ぎだって田舎のサラリーマンにしては
驚くほど稼いでいたことを
後に知ることにもなったし
自分の父親が精神的に病んで
会社に行けなくなる
そんな未来が襲ってくるなんて
想像できませんでした。

仕事人間だった父親を襲った
「うつ病」

精神的なストレスとプレッシャーで
病んでしまったのです。

真面目で責任感が強くて
負けず嫌いで、正義感の塊のような人。

出世街道は歩んでいたものの
違うと思ったことは違うと言うし
NOもきっとたくさん言っていたのだと思います。

そりゃ、上司(父親の上司といえば経営層)から
面白くないと思われることも増えたんでしょうね。

営業所の所長から本部の経営企画室長へ
昇進した後でした。
(仕事に上も下もないので昇進という言葉は
ここでは便宜上使います)

わたしが想像するに「いじめ」的なパワハラが
あったんじゃないかなと。(あくまでも想像)

結局、また父親は現場に戻ることになりました。

彼の性格上、本当は現場にいた方が伸び伸び
仕事ができて数字で実績を出しやすい現場を
続けていた方が本来向いていたはずなんです。

でも一度、大きな昇進(その会社内での目安)を
成し得た後の降格みたいなものなので
プライドの塊、負けず嫌いの彼には
耐えられなかったのでしょう。

その頃から耳鳴りや不眠症で苦しむことに。

結果、うつ病と診断されて休職へ。

ここまでは一般的によく聞く話だし
わたしもストレスで壊れそうになったことが
あったので理解もできます。

ただ、わたしがこの頃から苛立ちを覚えたのは
「会社」に対する怒りでした。

片道2時間ほどかけて通勤し続け
朝6時には自宅を出て帰宅は21時頃。

田舎のサラリーマンでは
まず有り得なかった時代です。

周りの友達のお父さんを見ていても
夕方17時には帰宅していて・・・
そんな風景をずっと見ていたのもあったし。

その会社で何十年も頑張ってきた社員を
エリートコースから外し
その後、病んでしまったことにも
ちゃんと向き合ってくれない。

地元では大きな企業なので
労働組合とかしっかりしていたので
休職手当などの最低限のものは
支給されていたのですが
おそらくそれまでの頑張りに対して
見合うものではなかったはずです。
(母親から間接的に聞いていたので)

定年前に休職し
最後は必ず戻れると信じて
頑張って復職を目指していたのです。

でもそれは叶わなかった。


そして休職した頃から会社は
一社員である父親のうつ病を
否定的に捉え真正面から受け止めようと
していなかったと思います。

定年退職を迎えた時の処遇を見ていれば
一目瞭然だったからです。

ま、わたしや母親はそんなことより
父親の健康が第一だったので
穏やかに暮らせればいいじゃないと
言っていたしそう伝えていました。

でもやっぱり父親としては
わたしたちが想像する以上に
会社に捧げていた時間に対する
悔しい気持ちだったのでしょう。

そりゃそうですよね。
週1あるかないかの休みで
何十年も現場に出て顧客も抱えて
第一線で働いてきたんですから。

娘は娘なりの感情もありますが
わたしがその当時思ったことは

「ほらね、会社なんていざというときに守ってなんかくれないんだよ。
会社員なんて結局労働力でしかないし、駒でしかないんだよ」

ということ。

もちろん、そうじゃない社員思いの
会社だってあるだろうし
そういう経営者だってたくさんいると思います。

でもわたしがあの時感じた違和感や
会社という組織の未来が見えた気がしたのです。

約10年が経った今
コロナによる経済の崩壊
失職、倒産、自殺など
大きな社会問題と直面せざるを
得なくなった方もたくさんいます。

国も組織。
会社も組織。

最後に守ってくれるならいいけど
どうでしょうね、今の世の中。

わたしは父親のうつ病、
休職、定年退職を見て

「あ、自分の足で歩いていける人になろう」


そう決めたのです。

もちろん、協会に所属する一セラピストなので
組織に守られている部分はあります。

でも自分で稼いで
成長して経験値を増やしていくことで
万が一、協会がなくなってしまっても
生きていけるスキルを磨いておこうと思っています。
(ご心配なく。クレイセラピーは今人気急上昇なので。笑)

父親の経験を第三者として見ていても
他人事じゃないなと感じたし
準備しておくことが大切だということ。

「明日はわが身」

そんなつもりで会社員じゃなくても
生計を立てられる人間になろうと決めたのを
昨日のように思い出します。

わたしの発信でそういうワードが
多い裏には父親の実体験があったのは
かなり大きな要素を占めています。

#あくまでもわたしと父親そして家族の経験のお話です

今、父親は身体的な問題はなく
内服していた精神科の薬も
わたしが劇的に減らさせました
多少まだ服用しているものもあるけれど
それがまだ必要なんでしょう。
無理に奪うことはせず
(ちゃんと帰省するたびに観察してます)
見届けていこうと思っています。

先日、祖母(父親の実母)が亡くなり
いよいよ夫婦二人の人生が始まりました。

過去のことは過去のことと
簡単に割り切れない性格だろうけれど
これからはますます健康第一に
母親と穏やかな暮らしを送ってもらえたらと
切に願っています。

まだまだわたしも半人前なので
健康でいてもらわないと困りますからね。笑
#40代ですけど何か

最後に・・・この当時のわたしが感じた会社に対する怒りは正直な気持ちであり、わたしの主観です。父親にも自責がなかったわけではないと思うし、尽力してくれた同僚たちもいたので全てが悪ではありません。
あくまでもわたしが独立をするきっかけになったというお話なので今はこの会社が悪いとか組織全てを敵に回しているわけではないことはご承知おきいいただきお読みいただけると幸いです。
全ての事象には起こる理由と原因がありますからね。

いつも最後まで読んでくださってありがとうございます。いただいたサポートは次のサポートの循環を生むこと、世界中の子供たちの笑顔のために循環させていただいております◡̈⃝︎⋆︎*