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手帳とそれ以外の、自分を導いてくれた記録について

年末年始、自分の持ち物の整理整頓をしながら、たまったバレットジャーナルのページをぺらぺらめくったりする時間を持ちました。

なんだかんだで、イラストを描いたページや旅系貼りモノの多いページを探してしまう(楽しい)ので、今年は意識して文字以外のページを増やしたいです。

このたびは、手帳とそれ以外の、自分を導いてくれた記録について書きます。
いつものようにあっちこっち寄り道の文章になりそうです。

歩いてきた道

バレットジャーナルを始めてからずっと続いているコレクションといえば、1年のよかったことをまとめたリスト。

(このころはまだ、ダイソーで売ってる100円ノートを使っていました…懐かしい)

手帳の最初にあるこのコレクションを見れば、自分がこれまで歩いてきた道や決断してきたことがつぶさにわかります。

バレットジャーナルの特徴の一つであるインデックスページを見ることでも、そのノートを使っていた期間のできごとが丸わかりなのですが、「この1年のよかったことリスト」は、振り返りながらまとめなおしたときの自分の感情がのっているのでパワーが全然違う。

このリストが去年、迷いに迷っていた自分を助けてくれました。

ウィッシュリストが書けないことを悩む

手帳を書くことが習慣となった後も、ずっと私は「ウィッシュリストが書けないと悩む症候群」でした。
「逆算手帳を使ってみたいのに全然使えず悔しい」のも症状のひとつ。

長年手帳やブログに残してきた記録から、自分という人間が、やりたいと思ったらすぐやるし、欲しいと思ったらすぐ手に入れる、「行動の人」ということを理解しています。

「達成したらご褒美」的なアプローチがまったくきかない。
ちょっと度が外れた過集中気質のおかげで、短期でむりくり仕上げちゃう馬鹿力も持っているので、なんだかんだこれまでやりたいようにやれてきた。

そもそも、ウィッシュリストをつくる意義ってなんだろう、とあらためて考えてみると、
①もやもやっとした漠然とした望みを、言語化することで明確にする
②言語化することで、隠れていた本来の望みを見出す
③書き出して見返すことで、より実現させやすくなる

といったことが思い浮かびます。

自分という人間が欲するものが整然と並んだウィッシュリストにあこがれ続けた日々でしたが、「この1年のよかったことリスト」のおかげで、理想のウィッシュリストは書けないままだけど、自分の本来の願いを見出して実現させてこれたことに気づけたのでした。

リストなしでのウィッシュの実現

②の「言語化からの本来の望み発見」については、日々の記録のあいまにちょいちょいやれてました。特に去年はカウンセリングを受けて、ガバッと脱皮できた感があります。

③については後述しますが、「この1年のよかったことリスト」と、数えきれないほどの転職活動で書いた経歴書が役立っているのではないかと考えています。

娯楽として、楽しみとして、やりたいことをリストにして並べるのは全然これからもやると思うんですけど。
ウィッシュをリストにできないことを悲観する必要はないなと。
なんなら日々の記録全てに私のウィッシュが宿っているんだなと思って、気持ちがスッと楽になりました。

私に必要なのは、ウィッシュをリストにすることではなくて、記録からウィッシュを読み取り、行動に移していくこと。
そしてもうそれはできていた。

目標設定の難しさ

私は、子どものころから「サバイバル精神」みたいなものがベースにあり、他人に頼らず生きる力を得ることに執着するきらいがありました。

修行のような中国留学生活では生きる力を鍛錬しているような満足感が常にあったし、転勤族と結婚することになりキャリアが途切れた時は「夫が『つらくて仕事を辞めたい』と言ったときに頼ってもらえるくらいの稼ぐ力を持ち続ける自分でありたい」と強く思いました。

その思いもあって、頻繁な転居や見知らぬ土地での育児など、思うようにならないことが重なっていた30代には「子供に手がかからなくなったら帯同はやめて、安定した正社員職を得る」ことが人生の目標となりました。

しかし。
その目標設定が間違ってたんだなーって、去年気づきました。
この目標が自分を引っ張ってくれた部分も少なからずあるので、この目標を定めた過去の自分には感謝しかないですが。

中国留学したあと「中国語通訳として身を立てる、それしか道はない」みたいな気持ちになった時と似てます。ちょっと思い込みが強すぎた。ありたい姿をかなえるために進む道はほかにいくらでもあるのに。

目標をめざしすぎてウィッシュを見失う

あまりにも「安定した職場に正社員で採用」という目標に執着しすぎて、一時期とっても迷走してました。
誰もが知ってる外資に正社員採用されたものの、外資とは名ばかりの昭和な職場環境が合わなさ過ぎて1週間で辞めたのが最たるケース(ごめんなさい)。

迷走にくたびれはてていたとき、手帳の「1年のよかったことリスト」やしんどい時期のデイリーログ、それにこれまで書いた経歴書を見返したり、さらにはカウンセリングを受けたりもして、自分が本当に「ありたい状態」がどういうものか、ようやく気付けました。

(カウンセリングでは「サバイバル精神」や「衝動性」のでどころについても話をたくさんしてときほぐし、とても興味深い発見がありました。自分の性質のおおもとを深掘りして得たものは、長いこと背負っていた肩の荷を下ろしてくれる作用があります。)

なかでも、失意の中で退職を決め次の職を見つけるべく、新しい経歴書を書くためにこれまで作ってきた経歴書を見返し、自分の生きてきた道を振り返ることができたのはとてもよかった。

外資企業を受けるときに作った英文の経歴書は特に、自分の強みやよりどころを確認するのに役立ちました。
どこかに提出する予定はなくても、強みをやや大げさにプッシュする経歴書や自分史シートを書いてみることをおススメします。自信がつきます。

経歴書って、自分を細かく分析し、提出する企業や業種に合わせて詳細部分を調整して書いた記録です。
「こんなことが得意です、こんな実績があり、これからはこんなふうに働きたいです」と、タイプの違う組織それぞれに自分自身を売り込むための文章。

経歴書に書くことによって見せたかった自分の姿と、実際に働いてみてギャップを感じた部分、辞めることを決めた理由…、複数枚の経歴書を眺めながら、自分の強みを再確認すると同時に、自分はそもそも正社員になりたかったわけじゃないというところまで到達しました。

私は別に雇用の安定を求めていたわけじゃなかった。
「正社員になって働きたい」をときほぐしていくと、そこに隠れていた別の想いが姿を現した。

自分で決めた指針が自分を苦しめていたんだなと、そのとき気づきました。

あと、これってわりとあるあるな話じゃないかと思うんですけど、自分が見当違いの方に向かっているときって、なんでか邪魔が入るんですよね。やたらめったら「てきがあらわれた!」状態が続く。高圧的な上司とか、どうやっても折り合えない同僚とか。ケガとか体調不良とか。

神は乗り越えられない試練は与えない、みたいな言葉もありますが、逆に「あんまり向いてないからそっちには行かない方がいいよ」って親切な神が言ってくれてるケースもありそうじゃないですか?

で、「別に正社員というステイタスを求めていたわけじゃなかった、自分が望んでいるのはむしろ○○である状態だった」に気づいたとたん、副業OK正社員待遇が棚からぼたもち的にやってきたりするのです。人生って不思議。

ウィッシュ「リスト」じゃなくていい

最初の話(ウィッシュリストの目的は「①もやもやっとした漠然とした望みを、言語化することで明確にする」「②言語化することで、隠れていた本来の望みを見出す」「③書き出して見返すことで、より実現させやすくなる」)に戻ると、私は「自分がやってきたことの記録」がその目的を果たしてくれていました。

私の場合は、「プラン」「リスト」にしないといけないと思う気持ちが、もやもやから本来の想いを見つけ出す邪魔をしていたかもしれません。

「見栄えのいい目標と、そこに至るまでのきれいな物語」に惹かれる気持ちが先行してしまって、実際に本来のありたい姿になるための道をふさいでしまってた。

ウィッシュリストはそんなきれいなたたずまいじゃなくてよくって、すぐに整理整頓する必要もなく、むしろもっとカオスで、魔女の鍋みたいに得体のしれない状態のまま混ぜ続けて、そこから出てくるものを待ち構えていればいいのかなと、今は思っています。

ウィッシュも自分も多面体

衝動的にしか動けず計画性のない自分があんまり好きではありません。
仕事ではそうでもないのに、プライベートではぐだぐだ。
でも、そんな自分を認めて生きていきたいと思います。

衝動に駆られて動ける自由と体力を持っていたい。
それが私のウィッシュかな、今のところ。

そしてウィッシュは多面体。
今見えている願い、そこまでの素敵なロードマップにこだわりすぎないように。

ひとはみな、道の途中。


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