あの子はいなくなったわけじゃない。
近所の商店にお醤油の空き瓶を持って行くのが、私たち小さなきょうだいのおつかい仕事だった。
返金してもらった数十円でそのお店に売っている駄菓子を買って食べ食べ帰るのは、最高に誇らしく、ハッピーな時間であった。
しかしその記憶には、残念な失敗の思い出も含まれる。
その頃私はもう小学生にはなっていたはずなのだが、そのおつかいのとちゅう、何度か転んで瓶を割った。
からだに余る大きさの一升瓶を抱えて、「落としてはいけない」というプレッシャーにおしつぶされ、手足が脳からの指令を聞けなくなり、動きがぎくしゃくしてしまうあの感じを今でもよく覚えている。
しかし、割ってしまうのはたいてい、緊張で右足と左足がもつれそうになっているときではなく、「こんなおつかい余裕だわ」と多少自分の実力に自信を持ち始めている時期である。
話がはずんで手元がお留守になっているわけでもなく、周囲の何かに気を取られていたわけでもない。
変な万能感みたいなものがあり、うきうきした気分になるのだが、そのくせなにか、失敗の予兆みたいなものを感じている。
そしてそれは起こる。
瓶が手を離れ、宙に浮き、道路に落下するまでの体感時間の長さは、まるでおかした間違いに対する罰のようだ。もうどうしようもないのに、ああ、履きにくいこのサンダルを選ばなければよかった、とか、道のこっち側を歩いておけばよかった、とか、スローモーションで落ちていく瓶を見ながら考えている。後悔している。
道ばたでガラス瓶を割ってしまったことを母親に報告するのは申し訳なく、そして大変におそろしかった。
「もう!割るんならもう行かなくていいから!」
報告を聞くなり母は台所を離れ、掃除道具を持って家の前の通りに出て行く。
そうして、帰って来てから、「……ケガはなかった?」とうち沈んだ様子で私に声をかけるのだった。
**
瓶のことを思い出すと、セットで脳裏に浮かんでくることがある。
これも小学生の頃の話。家族でドライブに出かけたときに、途中でよく寄る公園があった。
山の中腹にあるその公園はアスレチックを併設していて子供にとっては大変愉快な場所だった。気持ちのいい風が渡る池もあり、身体を動かして遊んだ後、池を見ながら小休憩をとるのが恒例になっていた。
運動をしたあと、父親が私に100円玉を人数分握らせて、ジュースを買ってくるように言う。私は小銭を握りしめ、管理棟のある丘に駆けのぼる。その途中、転んだわけでもないのに手の中の百円玉数枚を草むらの中にぶちまける。
よつんばいになり、半泣きで落としたお金を探しながら、妙に冷静に考えている。
私はハイテンションになって我を忘れていたわけでもなく、お金を握っていることに過度の緊張を感じているわけでもなかった。
もちろん、つまづいてもいない。
それなのに、どうして手を握り続けていることができなかったんだろう?
ふわっと手が開いて、お金が指の間から飛び出すその一瞬前、「万事順調!」という幸福感と、その幸せな気持ちが次の瞬間には吹き飛んでしまうことをすでに知っているようなふしぎな気持ちが、同時に胸にわき起こったことを思い出している。
そのあとの、自分の手から飛び出す百円玉が描く、鈍く光る軌跡のカーブも。
百円玉は全部見つかった。
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今日の午前中、考えられないような初歩的なミスをした。
メールを書いて、確認しながらふと「あの感じ」がよぎったのだが、それが「例のあれ」だったとわかるのは、やはり失敗が判明したあとなのだった。
苛立ちが薄く浮かぶ上司の顔を見て、ああ、失望させてしまったと強く悔やむ。私はこのひとの期待につねに応えていたかったのに。
自分のあまりの不注意さに、自分でも驚くくらいのショックを受けている。
仕事からの帰り道、お醤油瓶を割った小さな私、百円玉をぶちまけた少女の私が、脳裏にあらわれてはなぐさめてくれる。
この子たちはいなくなったわけじゃない。
今でも私の中にいる。
そして、ふしぎな予感を知らせてくれるのは誰だろう。「それ」もあの頃から変わらず私と一緒にいてくれる。
失敗が起こるその少し前の、ことが終わってからでなければわからない、あのふわふわとした、楽しくもふしぎに哀しい感じを、今日は久しぶりに味わった。
久々の失敗が起こした感情の波立ち、恥ずかしさや悔しさは、少し視線をずらしてみると、それらはとてもビビッドな「生きている実感」なのだった。
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