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偽りのない人生を

いつかは誰もがカルシウムとリンになると思うと難しく考える必要はないと思えるようになったのは結構年齢が上がってからでした。

昔からおてんばだったので「地」を隠し切ることはできませんでしたがたまには猫をかぶることもありました。最近では娘の結婚式には大きな猫をかぶりいいお母さんのふりをしてその後倒れて寝込みました。

初々しい新卒の入社当時はもちろん紹介してくれた伯父の手前、いい子ぶりつつ人間観察に励んでいました。見ていると男性の方が上司に媚びへつらい窮屈そうでした。飲み会がまだまだ盛んで、仕事中には見えないお人柄が現れて楽しいものでした。人気のあった部長は人情味が厚く、今の言葉で言うと誰にもフラットに接する方でした。その方にはなんでも話しやすくて会社に行くのが嫌でなくなりました。

なんとかお見合いで結婚してくださいと言ってくださる方に巡り会ったのがごきげんパパ♡です。新婚当初は敬語で話すくらいの猫をかぶっていましたが子どもが生まれる頃にはパワーバランスが変わりそのあたりから本音で話せるようになってきました。時間かかりすぎ〜

大抵お姑さんというのは上司に似て気を使うものです。今でも敬語で話していますがそれは距離を保ちたい思惑もあります。母娘のようには絶対なれません、という意思表示というと肩肘張ってそうですが、こうしてなんとか平安を保っています。あちらは裏表のない言動でごきげんパパ♡と同じ単純なタイプ。ありがたいことと思って私にできることはする、できないことは無理しないというスタンスを確立することができました。

友人関係は学生の頃よりは上手く築くことができていると思います。程よく本音でお付き合いできる人とのみ関われば良いのだからある意味当然のことですね。

偽りの人生を送っていると疲れが溜まり、度を越すと心を病みます。もちろん1人の人にいくつもの顔や面がありますから頑なに貫くというものでなくてもっと自然に、心のままにすごすのが私の今やりたいこと。

本当にその勉強がしたいのか、
本当にその仕事がしたいのか、
本当にその人と結婚したいのか、
本当に子どもが欲しいのか、
本当にそこに住みたいのか、

誰に忖度することなく、自分に正直に。
子どもたちにもそんなふうであって欲しい。
そう思ってまず自分が実践しています。
 
うまく人に甘えたり頼ったり甘えられたり頼られたりしながらできるだけ納得できる今を積み重ねていけたらなぁ。

死後の世界は誰も見たことがないというけれど私は生まれてくる前にいたのと同じところだと考えています。それは生きている今の延長上にある自然なことと捉えられるようになったのは年齢的なものでしょうね。年々生きるのがうまくなってるかもしれない、そうだといいな。

今日は日差しが差し込む陽気です。花の金曜日、楽しく過ごせますように。

ベランダの鉢植え

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