見出し画像

菅原伝授手習鑑 寺子屋

2013年のイヤホンガイド オーディションに出した解説原稿を、ここでお焚き上げ。
一次審査で原稿合格、二次(=最終)審査のアナウンスで落ちたのでした。

⚫︎原稿加筆について
配役は2024年三月大歌舞伎に沿うように、また、何に対して解説を入れているかわかるよう、場面補足、実際には役者が言う台詞などを加筆ました。ただ、感情移入してほしい場面、いい台詞、胸に迫る台詞の場面は、イヤホンガイドではなく舞台に集中してほしいと思ったので、省略気味です。

(原稿は「寺入りの場面」が済んだところからなので、2024年三月大歌舞伎の出だしとは違う可能性があります。「寺入り」は、小太郎という子供が、母親に連れられて、きょうから入学させてもらう、という場面です。小太郎は寺子屋に通っているほかの子供たちに比べると、ずっと品があります。)

⚫︎トップの写真について
柳橋歌舞伎保存会の寺子屋の記事から拝借しました。ほかの写真もたくさんあって、一緒に見ながら読んでいただけるとわかりやすいかも)


開場から幕が開くまで:登場人物紹介と物語の背景など

 菅原伝授手習鑑、寺子屋の場のまもなくでございますが、この寺子屋の場は、菅原伝授手習鑑という長いお話の中でもクライマックスにあたる場面ですので、お話の背景やここまでのあらすじを少々ご説明しておこうと思います。
 まず、題名にある「菅原」というのは学問の神様、菅原道真のこと、このお話の中では「菅丞相(かんしょうじょう)」と呼ばれています。無実の罪で九州太宰府に流された、実際の事件をもとにしてお話が作られています。また、話が書かれた当時、大阪で三つ子が生まれて大変な話題となったのですが、そのことも取り入れられており、きょうのお話の中でも三つ子が登場いたします。菅丞相と、三つ子の松王丸・梅王丸・桜丸、を中心とした、敵方・藤原時平(ふじわらのしへい)による陰謀、ロマンス、別れなど激しく展開するのが、菅原伝授手習鑑という全体のお話です。 
 この寺子屋の場は、それまでにはられた伏線や個別のエピソードが結末に向けてひとつにまとまっていくという、大事な場面でございます。
 この幕の中心人物、松王丸は、もともとは菅丞相の家来筋出身ですが、今は敵対する藤原時平に仕える牛飼い舎人(とねり)、今でいうところのお抱え運転手といったところです。三つ子のうちのあと二人、梅王丸と桜丸は、菅丞相側の舎人ですが、菅丞相はこの三つ子のことを歌に詠んでいます。その歌がこの幕の最後の方で、大事なきっかけとして登場いたしますので、ここで先にご紹介いたします。「梅は飛び、桜はかるる世の中に、何とて松のつれなかるらん」。
 梅王丸は菅丞相のいる太宰府に来た、桜丸は、菅丞相が太宰府へ流される原因を作ってしまったことを悔やんで、切腹してしまった、そして松王丸はなぜ無情なのだろうか、ということ。
 この幕は、藤原時平の命令により、菅丞相の一人息子である菅秀才の首を討たなければならなくなったところから、始まります。菅秀才をかくまっている武部源蔵夫婦、敵方に仕える松王丸夫婦。この両夫婦の、犠牲的であり悲劇的なまでの忠義、そしてそれぞれの心の動きをご覧いただければと思います。幕が開きますまで、もう少々お待ちくださいませ。

幕開き〜名台詞「せまじきものは宮仕え」

 菅原伝授手習鑑、寺子屋の場、幕開きとなりました。寺子屋というのは、今でいう学習塾のようなところで、読み書きなどを教わりに、近所の子供たちが通っております。奥に座っているのが菅丞相の一人息子、菅秀才。この家の主、武部源蔵夫婦の子としてかくまわれております。

この大きな子供はよだれくり、中村鷹之資、天王寺屋。

寺子屋では、先に入ったほうが先輩となるので、よだれくりが年上でも、菅秀才のほうが兄弟子となります。
お師匠様が戻ってきたということで、あわてて「いろはにほへと」を唱和します。

微笑ましい場面ですが、このいろは歌、この幕の最後の場面ではまったく違う使われ方をされておりますので、ちょっと頭の隅で覚えておいてください。

主の武部源蔵が足取り重く戻ってまいりました。武部源蔵、片岡愛之助、松嶋屋。

どの子を見ても、山で育った顔つき、仕方がない、とつぶやきます。いったい、何が仕方がないのでしょうか。

女房・戸浪、坂東新悟、大和屋。典型的な世話女房の衣装です。

今日寺入りしたばかりの小太郎を引き合わせますが、源蔵はまだ何か考えている様子です。

当時、家来にとって主君というのは、親またはそれ以上に敬う存在でしたから、相手が子供とはいえ、主君の息子である菅秀才にも、源蔵夫婦は丁寧におじきをしているわけです。また、主君の名前を口にするときも、敬意をはらって頭が自然とさがる、そういった関係です。

思案顔で戻ってきた源蔵でしたが、気品ある顔立ちの小太郎を見てずいぶんと機嫌がよくなりました。また、母親が隣村まで行っていることにも満足している様子。戸浪はなぜ、と源蔵にたずねます。この二人の掛け合いの最後に名台詞。

菅秀才の代りに小太郎の首を討つことを決心した源蔵夫婦。場合によっては、その母親をも殺す覚悟です。わが子同然の教え子を殺めることが主君への忠義となるわけで、せまじきものは宮仕え、と嘆きます。

(戸浪が戸口閉めたところ)
戸口の外から声が聞こえ、いよいよ来たかということで、菅秀才を戸棚の中にかくまいます。

松王丸登場〜首実検

(戸棚閉めお辞儀したところ)
源蔵は武士であり、書道家でもありますから、神棚にしまっていた、書道家にとって大切な墨をとりだし、夫婦そろってその時に備えます。

いよいよ松王丸と春藤玄蕃(しゅんどうげんば)がやってまいります。

春藤玄蕃、中村萬太郎、中村屋。赤っ面と呼ばれる、大悪人の家来など敵役の典型の化粧です。

松王丸は家来としては身分が低いのですが、具合が悪いため、駕籠に乗ってやってきました。菅秀才の顔を知っているということで、今日の首実検、つまり、はねられた首の顔をみて、菅秀才に間違いないかを判断するという役目を担っております。

松王丸尾上菊之助、音羽屋。

体調が悪いため、頭には紫の病鉢巻、刀を杖代わりにして駕籠からおりてまいりました。

松王丸は、今日のお役目を果たせば、病気療養のためにひまをもらえるということになっていますので、子供の顔をひとりひとり確認して、しっかりとお役目を果たそうとしています。

🎵義太夫
わんぱく顔に墨べったり、似ても似つかぬ雪と墨、これではないとゆるしやる


菅秀才とは雪と墨ほど違う、ということで、子供たちを返していきます。

次々に子供たちが帰され、残っているのは菅秀才と小太郎のみとなりました。源蔵夫婦にとって、試練の時が近づきます。対する松王丸は、何を思っているのでしょうか。

松王丸「生き顔と死に顔とは相好の変わるなぞと、身代わりの偽首、それも食べぬ。古手なことして後悔すな」

身代わりの首を使う手もくわない、早く首を討てと、松王丸は一気に源蔵を追い込みました。

(源蔵は今から首を切ると啖呵を切って奥へ)
残った戸浪は気が気ではありません。

(机の数が帰した子供の数と違うと、松王丸に問いただされる戸浪。つい本当のことを言いそうになるが)
松王丸「ナ、ナ、何を馬鹿な!」
戸浪「おぉ、それそれ、こらがすなわち菅秀才様のお机文庫」

自分をさえぎるような松王丸の一言で、戸浪はとっさに嘘をつき、この場をしのぐことができましたが、松王丸はなぜ、戸浪をさえぎったのでしょうか。

(源蔵が首桶を持って出てくる)
松王丸、よろめいた体を刀でささえます。それほど具合が悪いのか、またはほかに何かわけがあるのでしょうか。
源蔵は、偽首とばれたら切りかかろうという腹づもり。

いよいよ首実検の場。この幕、最大のみどころです。松王丸は何を思っているのでしょうか。

松王丸「むう、これや菅秀才の首に相違ない、相違ござらぬ。出かした源蔵、よく討った!」

源蔵夫婦は、ほっとするやら驚くやら。偽首とばれずにすんだのが不思議なほどです。

(松王丸は玄蕃をおいて先に退場)
松王丸は病気療養のために先にたちました。さきほど首を討つ音が聞こえたときは、あれほどよろめいていたのに、なぜか戸口を出たとたんに、刀を杖代わりにすることもなく、しっかりとした足取りで帰っていきました。何かわけがありそうです。

抱えている首が菅秀才ではなく、身代わりの小太郎の首とは知らない玄蕃は、

玄蕃「やい源蔵、日頃は忠義忠義と口にはいえど、うぬが体に火がつけば、主の首でも討つじゃまで。はてさて、命は惜しいものだな」

「ふだんは忠義などと言ってはいても、いざ自分の身が危うくなれば、主君の首を討つのだな」などと、意地の悪い捨て台詞をはいて、帰っていきます。

菅秀才がご無事でよかったと、(源蔵夫婦は)うれし涙にむせびます。

松王丸が真相を明かす、そして幕切れへ

ほっとしたのも束の間、小太郎の母親、千代が戻ってまいります。

なぜかあたりを見回して警戒しているようなそぶり。

源蔵はこの母親を手にかけるつもりで、招き入れます。

(小太郎はどこにいるかと尋ねる千代に、源蔵が切り掛かると)
千代「若君菅秀才様のお身代わり、お役に立ててくださったか、ただしはまだか」

(玄関から、短冊のついた松の枝が投げ込まれ、源蔵が短冊を読む)
源蔵「梅は飛び、桜は枯るる世の中に」
松王丸「なにとで松のつれなかるらん。女房喜べ、せがれはお役にたったわやい」

松王丸はさきほどしていた病鉢巻がとれ、刀も腰にささず丸腰で、本心を明かします。

三つ子のうち、松王丸はつれないと世間でもいわれていましたが、仮病を使って藤原時平のもとを去ることにし、菅秀才を救うために、息子がその身代わりとなるであろうこともわかったうえで、今日、寺入りさせたのです。死に支度を整えたうえで、寺入りさせるなどと言う悲しいことが、この世にあるでしょうか、と千代がなげきます。

千代「なんの因果で疱瘡(ほうそう)まで」
疱瘡、つまり天然痘という、当時、子供の命を奪う病気をのりこえたにもかかわらず、と、さらに悲しみにくれます。

(先に亡くなっている弟・桜丸を引き合いに、咽び泣く松王丸)
千代「モシ、その叔父御に小太郎が」
🎵義太夫
逢いますわいとの取りついて、わっとばかりに泣き沈む

あの世で、おじの桜丸と甥の小太郎はきっと会っていることでしょう。

松王丸「ついでながら若君へ、松王が御土産」
松王丸が事前に、菅秀才の母親を救っていたことが、ここでわかります。御台所、園生の前、中村東蔵、加賀屋。

小太郎の亡骸を駕籠に乗せて、埋葬のために出発することになりました。
菅秀才の代りに首をはねられた小太郎ですから、松王丸夫婦はその死に顔を見ることすらできません。つらい、悲しい別れです。

松王丸夫婦は、下に白装束をきています。息子を送り出す覚悟ができていたことが、ここでも伺われます。

最後のいろは送りと呼ばれる場面です。松王丸夫婦は、小太郎の亡骸を、わが子ではなく、菅秀才の亡骸として、野辺の送りに出発いたします。

冒頭では子供たちがほほえましく唱和していた「いろは歌」ですが、ここでは「いろは」を詠み込んだ、わが子との別れを悲しむ、義太夫節がかなでられます。
🎵義太夫
冥土の旅へ寺入りの、師匠は弥陀仏釈迦牟尼仏、六道能下の弟子となり、賽の河原で砂手本、いろは書く子はあえなくも、ちりぬる命、是非もなや

悲しい歌を背景に、それぞれが焼香をいたします。

見得が決まって、菅原伝授手習鑑、寺子屋の場、幕でございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?