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台風と石とドストエフスキー

体調不良、台風到来、そんな中でも手は動かしておくのがよかろう、と黙々制作。
新作の石作品は初となる野外展示、また通常より大きなサイズに挑戦しており試行錯誤を重ねる。
いい感じに塗り工程が進み、台風の最中も穏やかな心地で過ごす。

休憩では、喫茶と読書を。

ドストエフスキーの「悪霊」を読んでいる。

よくぞこれほどの奇人変人をかき集めたな、という変わり者の坩堝のような作品として知られている。
この変わり者、というのは相対的なもので、まぁこういうのも人間的だな、と思わせる面々が登場する。いや、こういうのもというよりは、こういうのこそが人間だよな、と思わずにはいられない何かがある。
人間くさい何かの正体、それは「矛盾性」ではないか。

近年、仕事はおろか生き方さえ効率化する思考回路がなにかと蔓延している世の中。

一方、こういう小説を読んでいると、人間が本来いかに矛盾した内的世界を抱えており、全く非効率な生き物であるかを思い出させてくれる。

逆に言うと、全く矛盾のない人生や、非の打ち所がない効率化された人間は、もはや人間である必要はないとも言える。
その点でいうと、AIやロボットはそちら側であり、彼らとの共生社会において、ますます人間は非効率な存在として見直されるのではないか、と想像する。

かつて私が通っていた芸大の名物哲学教授(今は退官されている)が、「役に立つとはなんぼのもんや?」と銘打った講義プリントを生徒に配布していたのを覚えている。

人間は、役に立つために生きるのだろうか。
結果的に役に立つ、ならありうると思う。
(し、日々社会の役に立つお仕事に従事されている方々には心から敬意を抱いている)

わたしのように自分のやりたいことを選択し、ある意味自分勝手に生きている立場としては、役に立とうとして生きている目的意識はない(というと非難の矢が飛んできそうだが)。
正直な心境だ。

それよりも、この矛盾した世界に思い切り向き合いたい。

なぜってそれは、面白いからだ。

一筋縄に解らないからこそ、面白い。

家族も、恋人も、友人も、誰も彼もが、絶対に他者には解らないブラックホールを抱えて生きている。

強いて解る必要もない。

解せないからこそ面白い。
無意識に妄想して、アウトプットする。

それが私の場合作品に取り込まれていたりする。

光と影。
内と外。
矛盾の二面性。
二面の間に織りなす屈折したグラデーション。

そこから芸術が生まれ、人間がつくられたのだろう。
(そしてこれからもつくられるのだろう)

芸術も、解せないからこそ面白い。
自分の作品だって、完全には解せないし。
だから探究しつづける。

せっかくだから、もっと人間を楽しもう。
なんてことを考える台風一過。

2023.8.10
大島のスタジオにて

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