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「南禅寺」について基本を押さえておきたい

日本最初の勅願禅寺、日本一の格式!

「勅願寺」とは、時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと。時は鎌倉時代、発願したのは国難去った後に出家し法皇となった亀山天皇です。国難とは、1274年から二度に渡って起こった蒙古来襲です。フビライ・ハン率いる当時地球上の面積の30%近くを統治していた大帝国が、二度に渡って博多に攻めてきたのです。北条時宗が退けましたが、亀山上皇は、禅師のもとで学び、不動の心を持って危機に対処していました。もともとこの地には父・後嵯峨天皇の離宮「禅林寺殿」があり、1291年に無関普門禅師(大明国師)を迎えて寺にあらためたのです。

天皇として最初に禅僧となった亀山法皇は、南禅寺に「日本で最も優れた禅僧」を住まわすよう定めた(ため?)、のちの室町時代には、京都「五山」という京都の禅寺のうちトップ5の格式のさらに上、別格として「五山之上」に位置づけられました。今も正式名称を「五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺」です。おぉ!南禅寺はTop of topだったのですねー!

迫力満点!「三門」

南禅寺の境内で最初に嫌でも目に飛び込んでくるのが、高さ約22メートル、日本最大級の高さを誇る「日本三大門」の一つで、迫力満点の「三門」、別名「天下龍門」。中々写真に全体像を収めることができないくらいw

三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の「三解脱門」を略した呼称で、寺院を代表する正門です。1295年に創立されるも火災で消失し、現在のものは江戸時代、1628年に再建されたもの。歌舞伎「楼門五三桐」では石川五右衛門が、この三門の上層の楼「五鳳楼」から「絶景かな、絶景かな」と夕暮れ時の満開の桜を悠然と眺めている場面があるそうです。今回は犬連れだったので上に行けませんでしたが、桜や紅葉の時期には是非登ってみたいです!

門をくぐった先、本堂へ向かう道の両側には苔の庭が広がっていて、これも圧巻です!(この写真ではわかりにくいか・・・)

渋くって心踊る「水路閣」

何故かこの南禅寺の境内に突如現れる、確実に別時代のものと思われる建造物、、、この記事が大変長くなったので別記事にまとめます!

今回行かなかったけど次行ったら観たい所「金地院」

日本一の格式「五山之上」の南禅寺ですが、室町時代の乱や戦国時代には次第に荒廃してしまいます。その南禅寺を再建したのが、徳川家康に重用された僧、以心崇伝。1605年に南禅寺の270世住職となり、江戸幕府の法律の立案や外交、寺社統制に力をふるった人物です。家康は自分の死後に3つの東照宮(=徳川家康を祀る神社)を建てるよう遺言したとされ、日光(栃木県)・久能山(静岡県)、そして、3つ目が南禅寺金地院に置かれており、家康の遺髪と念持仏を祀ってあります。拝殿の天井や欄間に豪華なアートが拝め、枯山水の庭は特別名勝。「鶴亀の庭」と呼ばれ、木と石で鶴と亀が表現されています。さらに茶室の「虹の窓」と呼ばれる窓から、午前中だけ美しい光景が拝めるそう!今回は犬連れだったし飛ばしましたが、次回は必ず拝観したいです!

ちなみに・・・南禅寺の宗派は「臨済宗の大本山」

臨済宗は、修行で坐禅を行う3つの宗派(禅宗)のうちの一つ。(他の二つは黄檗宗・曹洞宗。)禅宗では、教えは文字や言葉ではなく、心から心へと伝える以外に方法は無い、悟りは技術や芸術と同じように自分自身が経験し、体得するものと考えられているため、いわゆる「経典」に基づいて宗旨や教義が定められてはいません。また、礼拝の対象として崇拝する仏・菩薩・曼荼羅など「ご本尊」も定められていません。

本山とは、日本の仏教の特定の宗派内において、特別な位置づけをされている寺院のことですが、南禅寺は臨済宗南禅派の「大本山」。東京だと八王子中心に同じ南禅寺派のお寺が24あるそうです。都心だと神宮野球場近くの「龍巌寺」。行ったら同じ臨済宗南禅派だなってわかるのかな?なんか行ってみたくなりました。

*参考:南禅寺WEBサイト「そうだ、京都行こう」臨黄ネット

*私がこれらのサイトで調べた範囲でわかったことをまとめています、本記事記載の情報が全て正しいとは限りません

母がドイツ人の父が日本人のいわゆる「ハーフ」ですが、ハーフって言われるの嫌い。ピザじゃあるまいしw。アウトプット力・文書力向上を目指してnoteを活用します。そして記事の内容が誰かの役に立ったら嬉しいです。