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rules

卵を茹でたら、鍋に水道の水を入れるんだと

母が言っていたのを小さい頃に聞いて

卵を茹でたらそうするものなのだとずっと信じていた。

そうしなければいけないものとでもいうように

その方法を信じて、自分も茹で卵を作った時には必ずそうしていた。

もうかなり歳を取ってから、ヨーロッパへ旅行した時、朝食に殻付きの茹で卵が出た。

触れるとそれは、茹でたばかりの、鍋から揚げたままの、熱い卵だった。

私にはそれは衝撃だった。

それまで私が触れてきた茹で卵は、いつも冷めていた。

冷めていなければいけないものと思い込んでいた。

生まれて初めて、熱い殻を割り、熱くまだ柔らかい卵を食べた。

それまでに食べたどの茹で卵よりも美味しかった。

それ以来、私は卵を茹でてもすぐに水に浸けないようになった。

こんなふうに、幼い頃に誰かから言われたことを、唯一の正しい方法として、まったく疑うことなく、信じ込んでいることが、私たちには数多くある。

違う方法があることを考えもせず、言われたままに、そうするべきだ、こうあるべきだ、と頑なに守り続けていること。

料理の仕方だけではない。

常識、習慣、人への接し方、考え方、暗黙のルールのようなもの。

その家での決められたやり方は、隣の家ではまったく違った方法で行われているものであるだろう。

そのサークル内での暗黙の了解のようなものは、別のサークルでは存在していないものかも知れない。

その地域に通じているやり方は、別の地域ではまったく未知のものかも知れない。

その国ではそれが常識でも、別の国ではほとんどの人が、考えてもいないことかも知れない。

隣にいる人の「こうあるべきだ」は、あなたにとってはどうでもいいことかも知れない。

あなたにとっての「そのくらいいいじゃないか」は、隣の人にとっては許し難いことかも知れない。

みんな、何かを信じて生きている。

その、あなたの信じている「何か」は、昔あなたが何も知らない子供の頃に、誰かが言っていたことかも知れない。

それをまるで唯一の真実かのように、疑うことをせず、信じ込んできたのかも知れない。

あなたの常識はあなたが決めていい。


あなたが信じている「それ」は、

誰が言っていたことだろうか。

誰に言われたことだろうか。

あなたの信じている「それ」は、この世界での唯一の正しいルールではない。

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