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「バカな親をも立派に見せられる人こそ、『人物』である。」(大川隆法「人生への言葉」諫言編9選!)

この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます。

大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書を出されています。

今回は大川隆法著「人生への言葉」から、「諫言編」と題して9選をご紹介していきます。

なお、大川隆法先生は数多くの作詞・作曲を手掛けており、「人生の言葉」を執筆するにあたって、「ときめきの時」という曲をかけておられたそうです。

なかなかパンチの聴いた歌詞ですが、仰りたいことが詰まっていますので、こちらでも流しながらお読みいただければ幸いです☆




「人生への言葉」

「人生への言葉」は、2022年12月末に発刊されました。

やさしく、短い言葉で奥深い人生の教訓を綴った100の書下ろし箴言集

今、自分に必要な教えを簡潔に学べ、人生を見つめ直すきっかけになる一冊です。

簡潔な一文一文なので、電車やバスの中でも、日常の細切れ時間でも読むことが出来ます。

読むたびに、新たな発見のある一冊ですので、私も事あるごとに読み返しています。

今回の記事ではそんな大川隆法著「人生の言葉」の100の箴言集から、若い世代への諫言とみられる言葉を、諫言編と題して9選、真理花的独断と偏見により取り上げます。
(個人の見解になります☆)


9他人がバカに見えて仕方ない人は、決して賢くはない。

人はどうしても、自分よりもできない人を裁いてしまいがちです。
特に、自分の能力が相手と拮抗しているか、少し追い抜いたあたりの地点にいると、まるで競争でもするかのように、相手の欠点をあげつらってしまうこともあります。

でも、本当に賢い方、一段上の境地の優秀な方は、決して周りの方を馬鹿にしたりはしないのですよね。

10すぐに反発する人は、動物性が強い。

これも難しいことだけれど、反発心をおさえられない、というのは、「衝動を抑えられない」ということになるようです。

たとえば、食べ物や異性を横取りされて怒り狂うようなタイプは、もはや動物の方に近いよ、という……厳しいお言葉です。

反発してしまったり、相手に対して怒りが湧いてきてしまうときに、グッとこらえることが出来る人は、人間としても成長していける、ということでしょう。


13何度スープを口に運んでも、味を知らないスプーンのようになるな。

とても文学的な表現ですが、「どんなに相手に親切にしてもらっても、その味を感じ取れないような馬鹿者になるな」、という意味だと思います。

人間というのは、人からしてもらったことは忘れがちで、人からされた嫌なことばかり覚えているものです。

特に若い世代は、与えられていることに気づいておらず、感謝が足りないことが多いようですので、気をつけていきたいと思います。


16「ごめんなさい」と言えることは、敗北ではなく、成功への一歩である。

プライドが高いと、失敗した時に素直に「ごめんなさい」と言えないことがあります。

特に若さゆえに、謝ることが出来ない、という方もいるようです。

たとえ理不尽なことがあったとしても、自分に一点の非もない、というケースも少ないものです。

「ごめんなさい」を勇気を出して言えることが、大人の仲間入りなのかもしれません。


19自分の黄金時代ばかり思い出す癖のある人は、進歩のない人である。

これは若い世代だけでなく、過去に華々しい活躍をした経験のある方が陥りやすい話かと思います。

「昔は良かった」
「あの頃の自分はすごかった」

そういくら言っても、あの頃の自分が戻ってくることはありません。

過去の栄光に浸っている時点で、未来への前進が止まってしまっています
止まってしまうくらいなら、いっそ過去の栄光なんてきれいサッパリ捨ててしまった方がよいのかもしれません。

それくらい、次の一歩を踏み出すのには覚悟が必要だ、ということでしょう。


21バカな親をも立派に見せられる人こそ、「人物」である。

最近では企業でも御家騒動があったり、公然と親を批判する人も増えています。

ただ、知っておきたいことは、「どんなにその人が優秀であったとしても、公然と親の悪口を言って回るようなタイプは、信頼に値しない」ということです。

本当に人物の練れた方であったら、たとえどんな親であったとしても、決して悪く言うことはなく、むしろ「素敵な両親でした」というのではないでしょうか。

反対に、親よりも自分の方が賢いと吹聴してまわる人は、バカ息子、ドラ娘の部類に入ってしまう、ということでしょうね。


77諫言に身をただすようになったら、人物として成長している。

とても難しいのですが、耳に痛い事を言ってくれる人というのは、大切にすべき存在です。

仕事においても、立場が上がれば上がるほど、「イエスマン」や「ごますり」に囲まれて、裸の王様になってしまう、というケースが見受けられます。

だからこそ、「心して、『耳に痛い事』を言って下さる方を側におきなさい、その方が結果的に成長するから」ということだと思います。


78「人に厳しく、自分に寛容に」生きる人を、バカ息子、ドラ娘という。

どこの誰に言っているのかは察するに余りありますが、一般的に、甘やかされたドラ息子というのは、「自分に甘く、人に厳しい」そうです。

理由としては、早くから恵まれた環境に置かれ過ぎて、与えられていることのありがたみが感じられないから、だそうです。

毎日お菓子をもらっている子どもがマヒしてしまい、お菓子のありがたみに気が付かないのと同じですね。

自分はしかるべき待遇をされて当然で、そのようにお膳立てしない周りが悪い、という考え方になってしまうそうです。


79「自分に厳しく、他人に寛容に」生きる人が、天使の予備軍である。

反対に、「自分に厳しく、人に寛容に」生きる人は、天使の予備軍、つまり、人を助ける側の存在に近づいている、ということです。

やはり、厳しくすべきは自分自身に対してであり、寛容さ、優しさは他の人に対して向けられるべき、ということですね。

もちろん、時にはその人のためにならない、と思ったら叱ってあげることも必要ですが、その根底にも「愛」がありますよね。

【まとめ】

「人生への言葉」の100の箴言集から、主に若い世代への諫言と思われるものを9選、ご紹介してみました。
今回のポイント9選をまとめておきます。

【「人生への言葉」諫言編9選!】
・他人がバカに見えて仕方ない人は、決して賢くはない。
・すぐに反発する人は、動物性が強い。
・何度スープを口に運んでも、味を知らないスプーンのようになるな。
・「ごめんなさい」と言えることは、敗北ではなく、成功への一歩である。
・自分の黄金時代ばかり思い出す癖のある人は、進歩のない人である。
・バカな親をも立派に見せられる人こそ、「人物」である。
・諫言に身をただすようになったら、人物として成長している。
・「自分に厳しく、他人に寛容に」生きる人が、天使の予備軍である。

私たちにとっても耳に痛い話が多いかもしれませんが、「諫言に身をただすようになったら、人物として成長している」という言葉を信じて、進んでいきたいと思います。

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