清水真理子

京料理「照月」大女将  料理屋の3代目として生まれ、若女将から女将として30余年。平成…

清水真理子

京料理「照月」大女将  料理屋の3代目として生まれ、若女将から女将として30余年。平成30年に娘に女将を譲り、秋田犬2匹と過ごしながら大女将として店に携わっております。 育った京都のこと、女将としての想いを綴っていかせてもらいます。

最近の記事

土用餅(あんころ餅)

土用の丑の日に鰻を食べる! 違うんです。 「土用餅」つまり、あんころ餅を食べるんです。 「土用」とは立春、立花、立秋、立冬の十八日前の期間で年4回ありますが、いつからか夏だけが注目されるようになりましたね。 そして、その日には「鰻」を食べることが全国的な風習になっております。 七月に入るとスーパーでは、 「土用の丑、鰻、予約承ります」 書かれたポスターが貼られます。 当日、魚屋さん、川魚屋さんの店先には、炭を入れた網が置かれ所狭しと鰻が焼かれております。 何度も

    • イベント情報

      今週7月22日(土曜日) 『日本酒の会』を開催いたします。 京都「松ヶ崎商店」の小林君(通称コバタク)をゲストに迎え、当店の料理長とのコラボをお楽しみくださいませ。 コバタクは、ノリが良く、お酒の説明もわかりやすく、楽しく解説してくれます。 8種類〜9種類のお酒を、おかわり自由でお飲みいただけます。 ひと通りのお酒を楽しんで「あのお酒の味は?」なんてことも可能です。 「こんなに飲めない」 思われるかもしれませんが、いつの間にかペースにハマります。 料理長は、いつものお料理

      • おひなさん。

        京都では右が左なんどす。 お雛さん(京都ではそう呼びます)を飾る位置がよそとは逆。 男雛を左側(向かって右)に飾り、女雛を右側(向かって左)に飾ります。 どういうこと?  理由ははっきりとしております。 昔から京都は、明治維新まで天皇がお住まいだった御所から見て、左右の位置を考えました。 だから、京都人は御所を中心として見た時、普通の地図とは左右が逆転することに何の疑問も持ってしません。 現在の地名でも、御所に向かって右が左京区、左が右京区となっています。 つ

        • 京都人と雪

          昨日の東京は雪でしたね。 京都は例年「節分の後には降らない」と言われてますから、目にするのは次の冬、ということになりそう。 ところで、雪が降ると嬉しおすか? 困らはりますか? 少し前にテレビでアナウンサーの羽鳥慎一さんが 「いつからかがっかりするようになったんですよね。年をとったと思います」 と言うたはりました。そう思う方が多いんでしょうね。 でもね…私の周りの京都市内出身者は、何歳になっても雪が積もるとワクワクしはるんです。 「京都の冬は底冷え」言われますが、

        土用餅(あんころ餅)

          冬本番!

          つべたい冬が近づいてきましたね。 蟹の季節になりましたよ。 今年は、ご祝儀で一匹五百万の値がついた松葉カニがあったとか。 蟹を食べるとき、黙々と頬張ってしまいませんか? ハツモン(初物)を我先に食べたいとは思いませんが、 祖母と母が大好物となれば、自ずと私も蟹は大好物。 解禁になれば、高値の取引でも「買うてきて」となります。 もちろん松葉かに(ずわい蟹の雄)は美味しいんですが、 私はコッペ蟹(ずわい蟹の雌)の方が好きです。 その中でも一番が、母が炊くコッペ蟹のごは

          新米

          新米が出回る季節になりましたね。 透き通って艶やかな色合いで、噛むとほのかな甘みと上品な香りが口の中に漂う。 「秋は新米の季節」と言われておりますが、梅雨の時期の雨を吸い取り、夏の太陽を浴びて、涼しゅうなった頃に収穫される。自然の恵みですね。 ところで美味しいお米の産地は?と尋ねられたらなんと答えますか? 新潟県や山形県を思い浮かべる方が多いのでは? いえ!その地方だけやおへんえ。 京都の北部、丹後のコシヒカリも最近は「特A」を幾度も頂戴し、京都市内の料理屋では地元

          おはぎ。

          京都では、季節ごとに食べる物があると思います。 一般にお彼岸に食べる「ぼたもち」と「おはぎ」もそのひとつどすね。 でも、京都では春のお彼岸も、おはぎと言いぼたもちとは言わしません。 祖母が元気なころは、お彼岸にはおはぎをこしらえてくれていました。 「ふしめふしめに小豆のもんを食べたら病気にならへん」と言うのが祖母の台詞どす。 祖母が作ってくれるおはぎは、もち米を全部潰さずに半粒残して搗き(つき)ます。 「半殺しえ」言いながら搗くもんで、その言葉を聞いていると、 笑っ

          十三夜

          京都には一ヶ月後の旧暦の九月十三日、 十三夜を祝う風習があります。 十五夜は里芋をお供えするので「芋名月」と言いますが、 十三夜には、栗や豆をお供えすることから「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれます。 中秋の名月の後なんで「後の月」とも呼びます。 十五夜はすっきりしない夜空の日が多いのに対して、十三夜の夜は晴れることが多いようで、 「十三夜に曇りなし」と言う言葉もあります。 旧暦の八月十五日は、六曜では必ず仏滅になるので、 「仏滅名月」って言うんよ!そんなことを祖母に教

          【追悼】千葉真一さん。

          先日、千葉真一さんがお亡くなりになりました。 昭和の終わりから平成にかけ、京都によく来られていたのか、週に何度も照月を訪ねていただいておりました。 深作欣二監督、成田三樹夫さんとご一緒の時、お話をされる姿を拝見しました。映画にかける絆のようなもの、そして一つのことに賭ける男のロマンを感じ、男同士っていいなと思ったもんどす。 千葉真一さんご本人の印象としてまず思い出すのが、自然に焼けた印象の肌。そして笑われると、その肌とは対照的な白い歯。 影の軍団や柳生一族の陰謀で演じ

          【追悼】千葉真一さん。

          長月。

          中秋の名月(十五夜)の日、月見団子をお供えしますが、 京都では里芋を供えるもので、そこから「芋名月」と呼ばれるようになりました。 どちらかと言えば、行事に無頓着な我が家ですが、 旧暦の八月十五日だけは、月見団子やなく「里芋を供えるもん」と決まっております。 京都の白い月見団子は、里芋の形に似せた餅の上に小豆餡がのせてあり、里芋を供えた名残があります。 幼き頃は祖母の後ろから着いて屋上に上がり、三宝にお神酒と里芋を載せ、すすきを添えて飾ります。 祖母が「月々に月見る月は多

          送り火に寄せて。

          昨日八月十六日、京都の夏の夜空に燃え上がる大文字。 全国的に有名どすが、絶対に京都の夏の夜の観光イベントやおへん。(何回も言うてますな) 去年、送り火が縮小されることを報道された番組で、 某司会者が「大文字焼き」言わはりましたが、 「あの人なに言うたはんの」笑いながらも、 京都人の腹の中は、煮えくったはった方が多かったみたいどす。 今年も縮小されましたが、とぼし(灯す)て頂けて有り難い。 小雨降るなか「大」は六箇所「鳥居」は二箇所 その他のお山は一箇所ずつ。 人も

          送り火に寄せて。

          地蔵盆

          京都には、地蔵盆という仏教行事があり、行事そのものを親しみを込め「お地蔵さん」といいます。 大津の三井寺におられたお坊さんが、年若く亡くなり、お坊さんやのに地獄に堕ちはった。 苦しんだはるお坊さんの前に、お地蔵様が姿を現され、 「お前は小さいころに私をよく拝んでくれた。極楽に送ることはできぬが、もう一度人間界に戻すので、世のため、人のために役立つように」 お坊さんを生き返らせた日が、八月二十四日。 地蔵盆のいわれです。 京都では各町内ごとに、この地蔵尊の縁日にあたる

          お盆

          宗派に問わず京都人は、ご先祖様に対する思いが強いように感じます。 京都では佛時作法が幼い頃から生活の中に入り込んでいるんです。 特に、お盆の時には数え切れないほどの、さまざまな風習や言い伝え、しきたりがあります。 子供の頃からお盆には「虫を殺したらあかん」「泳ぎに行ったらあかん」 言われて育つことに何の反発も感じひんのも京都の子供です。 「おはぐろとんぼ」という昆虫をご存知ですか? 黒くて細いとんぼ。 このとんぼにご先祖様が姿を変えられて、あの世から帰って来られるので

          送り火

          八月十六日、京都のお盆を締めくくる、大文字の日。 お盆に帰宅していたご先祖の霊が、あの世に帰ってゆく送り火。 この日の京都は、幻想的な火に彩られます。 我が家の宗派は「門徒もの意味知らず」の「浄土真宗」 お迎えに行くこともなければ、お見送りすることもありません。 普段とかわらず過ごしています。 それでも幼き頃から、 「戻って来たはったご先祖さまがあの世に戻らはる道しるべ」 と、教わり育ちましたので、火が灯ると自然と手を合わせます。 祖母が亡くなってからは、南無阿弥陀仏

          葉月(八月)

          祇園祭も終わると、夏本番。 八月は夏の正月「八朔」から始まります。 一日、この日にお世話になった方々にお中元が届くように手配しておりましたが…。 最近の風潮やと早い。 恥ずかしながら、我が家も右にならえとばかりに梅雨が明けない頃には届けてしまいます。 先日父が(90歳で元気)珍しく高島屋さんに出かけたはったもんで、 「どないしたん?」 「中元送りに行った」「ついたち過ぎてから届くもんや」 昔ながらの人も残っておるかと安堵したんどすが、 なぜなら、 この方にも送ろうか

          葉月(八月)

          ゆかた。

          七月の上旬になると、祖母や母が見立ててくれた浴衣が届きます。 二十歳になるまでは袖丈が少し長くて、肩縫上げがしてありました。 ひと夏に数えるくらいしか着ないのに毎年誂えてくれる。 白地に紺、紺に白やったり毎年違う。 着いひんのに「たとう紙」を開けるのが楽しみどした。 仕事中は基本着物。 それでも暑うて着替えるのもじゃまくそうなると、 「ええか」となって浴衣にさせてもらいます。 帯の結び方は着物と同じお太鼓。 肌襦袢の上に着る日もあれば、竺仙のゆかたやったりすると筒袖の