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人との付き合い方 #25

スーパー知り合いが多い、というわけでもないが、多分そこそこ知り合い/友達はいると思う。会社を辞めようと思い始めたあたりから、自分の行動範囲は少しずつ少しずつ広げてきたから。結局1回会ったきりって人も相当数いただろう。一方で、数年に一度しか会わなかったりするのに、なんだかすごい気になったり、どこかで繋がったりって人もいる。

ずっと一緒にいたのに、人生のステージが変わって自然と離れて行った人もいたり。

10代の頃とか若かりし頃は、友達には私をわかってほしい!!みたいな気持ちがあっただろうが、今や、わかりあえるなんて不可能だし、部分的になんかちょっとわかってもらったらラッキー、くらいな感じである。この30日ブログだって、どの30日も”私”を切り取った、まあ分身みたいなものだが、どのブログも全く刺さんない人だっているし、どこかには共感してくれる人もいて、そのポイントは人それぞれだ。それに、仮にどこかに共感してもらえたとしても、それは私の意図とも違う読み方をしてもらった結果かもしれない。この30日どこを切り取っても、全然共感できないし、嫌悪感すら感じるって人がいたら、まあ私とは合わないだろうし、そんな人はそもそもこれを読んでいない。でも、かりに共感してもらわなくても、カケラでも私という存在に興味を持ってもらえて、私も相手に何かしら興味がもてれば、人間関係は成り立つと思う。

私に嫌悪感を感じる人がいるならば、逆も真で、私が嫌悪感感じたり、こいつはヤバイとセンサーが通知する場合は、さっと離れる。

ヤバイセンサーが発動した時以外の人付き合いの場においては、上記の通り、相手に私のことをすごい理解してもらおう!とかあえてそういうことは期待しない。相手がどう理解するかなんて、私の預かりしらぬところだし、相手と仮に対峙している場所ならば、その場の空気で、自分が言いたいと思ったことをただただ話したり、黙ったりするだけである。そこで形成される言葉のキャッチボールやその場の空気を通じて、私と相手の関係性が見えてきたりする。

私は多分どちらかというと単細胞気味で、表裏を使い分けられたりするほどは器用では全くないので、自分と相手のバウンダリー(境界)をどこに引くかだけを、その見えてきた関係性の中で、なんとなくイメージしている気がする。

自分をどこまで出すかとか、どこまで話すかとか、どこまで関係するか、それが自分にとって心地よい・大丈夫なラインを超えないようにする。それだけしとけば、なんか特段人間関係で悩んだりすることはないように思う。(自分を出す、に関して、単細胞気味なのもあり、割と曝け出しても平気な傾向にはあるが・・)あとは、流れに身を任せるというか。離れる人は離れるし、出会う人は出会うし、その繋がりの濃淡も様々で。

そんな私は、下のmgramで#ドライって言われました・・







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