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学習不可な”人間力”に頼りすぎない仕組み #26

うちのNPOでは、Feeling meetingという名のミーティングが月に一度ある。コロナのちょっと前くらいから始まったものだが、決まった型はなく、ただただみんながその場にいて、自分の気持ちなど、言いたいことを話すだけの1時間である。コロナ・ロックダウンで在宅になり早7ヶ月、雑談等の余白もなく、皆がオンラインに疲れているのを察したダイレクターが、会議やメールでアイデアを募ったところ、Feeling meetingの重要性が再確認され、あとはみんなでリラックスできる動画やサイト等のtipsの共有をする、ミーティング前に10-15分ブレークアウトルームを設け、おしゃべりの機会を設けるということに落ち着いた、というのは先週の出来事だ。

今日はその月一のミーティングだったが、難民メンバーの緊急対応で、ダイレクター含む3人が出席できず、金曜日夕方の仕事終わりの最後の1時間に、セラピスト2人、ケースワーカー1人、クリニカルアドミニストレーターになったカミラと私が参加した。ルールはないから、みんなポツポツと話す。着任して5週間というキャットが、今週もクレイジーに忙しい一週間だったと言う。彼女は、今日午前中のケースワークミーティングでも、あるメンバーとちょっとまだうまくいっていないと話していた。前のケースワーカーで、今セラピストになっているスージーとの関係が良好すぎたため、そのメンバーがまだキャットに慣れず、問題を感じているという。そのメンバーは私の電話サポートリストの中の一人で、特段問題を感じたことはなかったのでちょっと驚いたが、なるほどまあまだ5週間だしなあと思う。「ケースワーカーの仕事はすごい大変だと思う、スージーをずっと見てきて、ケースワーカーもある種セラピスト的要素を持つものなんだと思った」と私が話すと(どう言う風に物事をすすめるかも、トラウマに関わってきたりするから)、キャットが、自分はセラピストの知識は持ってないから、日々勉強だと思うと話した。スージーはケースワーカーの仕事の傍で、臨床心理の修士課程を終え、この秋からセラピストの産休代替でケースワーカーからセラピストに鞍替えしている。

前任との違いと、変遷期間とでもいうのだろうか、この移り変わりの時の難しさを感じているキャットを見ながら、私はこれから自分が日本で働く時に感じるであろう壁について考えていた。私は今までフルタイムワーカーとして、福祉職についたことはない。細々ボランティアやインターンとして、NPOにいくつか関わってきたけれども、スタッフとして責任を負ってたわけではない。だから、まず、経験の差は他の人に比べてあるだろう。それより恐れているのは、経験や知識だけでは埋まらない、天才的な”人間力”みたいなもので、その場をまとめている人がいて、到底こうはなれないと私に思わせるのではないかということである。芸術の才能とか、ユーモアのセンスとか、超おおらかな人柄とか(ふわっといつもニコニコしていて太陽みたいな感じ)、そういうのは自分に足りてないとちょっと自覚しているので、なんかそういうものの集合体として、学習不可能な”人間力”がないといけないとなると、困る。日本の福祉セクターの私の勝手なイメージでは、そういう”人間力”のあるカリスマ的な代表がポツポツいて、そのひとたちの、場を作ったり、問題を解決の方向にもっていく方法は決して継承されることもなく、明文化されもしない、というのがある。でも、そういう、個人の才能みたいなものに頼るのっていうのは、サステイナブルでないと思う(この前の話に似ているが・・)。

前述のキャットとスージーの場合で言えば、スージーは心理士の勉強をしていたので、キャットも何か心理士的な考え方を今後学べば、完全にスージーと同じでないにしても、それなりのレベルに到達できるかもしれない。そして、そういう知識が勉強できる仕組みが団体にあればよいし、現にうちの団体だとそういう仕組みはそれなりにあるだろう。

飛び抜けた誰かの才能に頼らなくても、スタッフが学習すれば十分なサービスを提供できるような「仕組み」を作らないと、日本の福祉セクターの発展は望めないような気がする。そういう意味で、このイギリスは、まあ完璧でないにしろ(白人至上主義とか学歴至上主義とか日本と全然違う問題を抱えているけど)、福祉セクターは学習の機会に溢れていて、それはすごくいいことなのではないかと思う。

写真は、この夏行ったアイルランドのモハーの断崖。昨日の写真はアイルランドのゴールウェイ。どちらも、もう二度と行くことはないだろう。

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