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それは来世には持ち越せません。

私たちは常に何かに執着しながら生きている。

手に入れた物に執着する。
愛する家族に執着する。
自分の肉体に執着する。
命に執着する。

お金に執着し、
時間に執着し、
存在に執着する。

これは一体、どういう現象なのだろうかと最近考えていた。

一つは物質について。

実家の整理をした際に、
溜め込まれてしまった物に唖然としながら、
これはどういうことなのだろうかと
しばらく考え込んでいた。

自分自身に振り返ってみても、
やはり物が多い。
実家の片付けをきっかけに、更なる物の断捨離を進めたわけだが、
それでもまだまだ多いようにも感じている。

けれどもある時、ふと気がついた。

今目の前にある物質を、私は来世にまで持ち越すことはできないのだ。

一旦、来世というものがある、という仮定でこの話にはお付き合いいただきたいのだが、
私が手に入れた物という物は、今の私の一生が終わってしまえば、
少なくとも私自身が活用することが不可能なのだ。
もしかしたら誰かが再活用してくれるのかもしれないが、それは私自身の関与するところではない。その時に私はこの世にいないのだから。

今世というゲームの中で手に入れたアイテムは
ゲームオーバーと同時に全てリセットされてしまう。

ただ、今世、来世、そのまた先の来世というものがあると仮定し
万が一持ち越せるものがあるとするならば、
今世のアイテムを使用することによって得られた経験のみなのだ。

アイテムを最大限に活用し、
経験値を上げに上げておけば
そのレベルだけは来世に継続されるかもしれない。

わずかな可能性かもしれないが、唯一繰り越せる可能性があるとするならば
この経験値だけなように思うのだ。

つまり、経験値を上げるために使いこなせないアイテムほど無駄なものはないのである。

その考えをもとにもう一度、自分の今の持ち物を見直してみた。

これは私をレベルアップするのにちゃんと役立っているのだろうか

これは今の私を支えてくれているのだろうか。

これを持つことによって今の生活がより快適に、豊かになっているだろうか。

これによって、あと一押しの断捨離がさらに進んだ。

「余計なものは持たない」
「必要なものだけに厳選する」

という言い方だと、殺風景な印象を持たれる方も多いかもしれないが、

「今の自分をレベルアップするのに必要不可欠なアイテムかどうか」

で選んでみると、案外すんなり選別できたりするから不思議である。

言ってることもやっていることも結局は同じなのだけれど
ちょっとした視点の違いで、目の前の出来事の見え方が変わってくる。

アイテムを使って得た学びは来世に持ち越せるけれど
アイテムそのものは、持ち越せません。

それでもあなたは、今、それを持ち続けますか?

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