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言葉による影響力

「ずぼら」という日本語が苦手だ。

世の中には自分自身を卑下して「私ずぼらだから」「ずぼら主婦でもできる○○」のようなキャッチフレーズが溢れている。
しかも自分自身のことをずぼらだという人に限って、誰かに「そんなことないよ、部屋がとても綺麗だよ」などと肯定してほしいという潜在意識がある場合が多くてかなり厄介だ。
ずぼらだと先手必勝で言って仕舞えば、評価のハードルが下がるとでも思っているのだろうか。

言霊という日本古来の考え方がある。
解釈は色々あれど、言葉にしたものが現実になっていくというパワーもあり、スピリチュアル界隈やカウンセリング、マネージメントなどにも応用されている。

自分のことをずぼらだという人は一生ずぼらなままだし、どんどんずぼら度はアップして最終的にはずぼらのラスボスのように最強魔神化することだろう。

ここまでに何度もこの3音の単語を書いてしまっただけで背中がゾワりとして寒気がしてきた。良くない。極めて良くない。


どんな人でもなりたい自分に変化していく権利がある。
その変化のスピードに個人差はあれど、向かうべき灯台を見定めて進み続けるならば、確実に日々進化しているはずだ。

そもそも冒頭に挙げた3音のような人になりたいのなら、どうぞどうぞ、ご自由にその状態を追求なさってください、と思う。

もしも卑下しているだけで、本当はそうなりたいわけじゃないと思っているのなら、その単語を使うのは今すぐ、止めるべきだ。

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