お前の気持ちなど

自分が突発性難聴と適応障害になって会社を休むとき、私はみんなに対して相当な不義理をしていたと後になって気づいた。
どうにもこうにも自己肯定感が低かったのだ。それでいつも「きっとみんな、私の使い道がなくて困っているに違いない」だの「こんなにも前向きになれない私なんか、みんなに嫌われて当然だ」だのと考えては苦しくなっていた。「ちゃんとやれてますよ」と慰められても「みんな心配してます」と覗き込まれても不甲斐なくて辛かった。

カウンセラーにそれを話した時も
「全部妄想ですよね」
と言われた。
「いつの話?どんな時?誰がなんて言ってました?」
「どうしてそれを確信したんですか?」
と聞かれると
「だってそうだもん」
としか返事ができない。

今思い返すとマジでで失礼だな!と思う。

同じことを他の人に言われたのだ。
「私ってみんなの迷惑になってますよね」
そんなふうに思わせる何かがあったんだろうか、と思い返すが見当たらない。
「あなたはやれてるよ?」と説得しても納得しないし、「優しいからそう言ってくれるんですね」と言われてしまう。「わたしもそんなだったよ」と経験を話してみたら「あなたは強いし優秀だから、私の気持ちは分からないですよ」と目を伏せられた。

ムキーーーーーッ!!!!!!

私だって強くないし、へたれだし、優しくなんかないやい。
なんだよ、私の気持ちがわからない?
当たり前だよ。あんたじゃないもん。
じゃあ、私の気持ちはどう?
あんただって私の気持ちなんかわからないじゃん。
私の気持ち考えたことある?
あんたには壊れて欲しくない、て思ってんの。
ただそれだけ。
悪いけどさ、あんたが休んだって、みんなでなんとかカバーできるんだわ。
でも、あんたがこのまんま壊れちゃったらどうしたらいいの?
それこそ、代わりはいないんだよ?

私が病んで。誰の言葉も受け取れなかった時、
後輩たちは私の気持ちなどお構い無しに「帰れコール」「休めコール」をした。
「壊れて欲しくないんです」
「かけがえのない人だから」
と訴えてくれた。
そんな人たちに対して「影で自分のことを悪く言ってるだろう」だなんて、よくも言えたものだ、と今は思う。

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