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誰かが待ってくれていること

今日は以前仕事でお世話になっていた
友達のお家にお泊まりになった。

東京に行くというと
会いたいといってくれて、
ホテルがあんまりいい場所じゃなくて
落ち込んでいたら
泊まりに来ていいよと言ってもらって
いま友達宅にいる。
彼女たちは2人で一緒に共同生活をしていて
もう2年になるという。

一時期は疎遠になったのだが
いつの間にか戻っていた。
社会人までに関わっている友達とは
コロナになり疎遠になり、
島根っこ以外の連絡は途絶えた。

悲しいけど自分のせいだ。

矢印は全部自分に向いてる今だから
自分のせいだと思える。
恥ずかしいことなのだが、
過去はそうではなかった。

なんでそうなの?と相手に対して
攻撃的なことを思ったこともたくさんあった。
今となったら苦い思い出だが無駄ではない。

ホテル暮らし2日目にして
気がついたことは
とても寂しいということだ。

私は自分の家が大好きで
お気に入りの空間にいれないことが
とても不快だ。

ホテルにいると
なぜか窮屈に感じて
しんどくなってしまう。

早く大阪の家に帰りたい。
なぜだろうか
大阪で誰かと毎日会うわけでもないが
なんとなく誰かがいると思うし安心する。

やはり心を許せる場所が
私にとっては大阪なのかもしれない。

昨日なんてホテルの隣の方の
咳払いが聞こえて
気持ち悪くなってしまったし、
道を歩けばよくわからない標識に
惑わされて変な場所に辿り着いた。
『もう、、東京は難しい』
そう思えばそう思うほど
苦手意識が強くなる。

だから今日友達宅に迎えてもらえることが
とても嬉しかったのだ。
苦手な地でも私を待ってくれている人がいる。
そんな安心感がある。

お家につくと、
ただいま〜と伝えると
友達2人からおかえり〜という言葉が返ってきた

やはりおかえりって出迎えてもらえるって
すごく嬉しいことなんだって
改めて気づく。

百貨店での催事で東京に来ていて、
利用できる食堂もあるのだが
あまり好きではない。
自分が持ってきたおにぎりと
簡易の味噌汁をのんでいる。
味気ないが、それなりに満足できている。

だから、
誰かが私のために作ってくれたご飯が
とても嬉しかった。

私も人のためにご飯を作るのは好きなのだが、
逆の立場になって
こんなに嬉しいことなんだなと気づいた。
自分がその立場になって気づくことは
本当に多い。

心と身体が満たされるって
こういうことを言うんだろうなと思う。
どれを食べても美味しくって
あたたかかった。

久しぶりに会って、
近況を話して食べるご飯は
この上なく幸せな時間だった。
そんなことを忘れていたのかもしれない。
心から叫びたくなるくらい
本当に嬉しかったのだ。

私が今度大阪に戻ったら
2人に来てもらい
料理を振る舞いたいなと思った。

誰かに料理を作る時は
きっとその相手のことを考えてるし
喜んでくれるかなと
そわそわしていたのかもしれない。

私はそうだったから。
彼女たちがどう思って
作ってくれていたのかわかる気がする。

こうして数ヶ月も会っていないのに
私の心が動くのを
待ってくれていることに感謝だ。

私はそこまで寛容ではないから
きっとできないだろう。

彼女たちにつくづく頭が上がらない。
彼女たちは4個くらい歳が離れているのだが
しっかりしている。
4年前の私と比べると全く違う。

将来のことを考えているし
私よりは金銭感覚もしっかりしている。

誰かと一緒に共同生活をすることも
本当にすごいと思う。

私には当分難しそうだ、、
結婚することがあっても
寝室は別がいいと思っているタイプである。
数少ない少数派の1人だ。


大学や社会人のときも
寮やホテルで共同生活はあったが
本当に私には向いていないと思っている。
気づかないうちにストレスが溜まっていた。

きっと今ならうまくやれる気もするが、
集団行動は苦手なのだ。

一人っ子だったということも
理由なのかもしれない。

気ままに育った私だから
なんか気を遣ってしまう。
だが自然と合わせることはできる。

明日も泊まりにおいでよと
言ってくれる。
本当は泊まりたいが、
気を遣ってしまうのでやめておく。
その気持ちが本当に嬉しい。

居心地が良すぎるあまりに
お願いしますと言いそうになる私だが
別の私が止めてくれた。

私がもっと受け取り上手だったなら
泊まっていただろうが、
明日はあのホテルに帰るのだ。

今この時間を過ごしていると
明日家を出る時が
寂しいなという気持ちになっている。

しかし、
別れ際はきっとあっさりしているだろう、
ばいばいは寂しいけれど
またすぐに会える気がしている。

すぐに会えないけど
お互いに健康を幸せを願っている。

また明日ねと言い合えることって
とても尊いことなんだなと
距離が離れている相手だと尚更思う。

相手の嫌なところに目が行くのは
近づきすぎている証拠だと聞いたことがある。

やはり私には適度な距離が必要だ。
今が1番良い距離感を持てているから
相手のことも尊重して大切にできている。

今日は彼女たちから学びをたくさん得た
昔の記憶を懐かしみ、
またそれぞれの明日があることも素敵だ。
別の道に進んでも想い合えることって
尊いから大切にしたいと思う。

彼女たちが
大阪にくることを愛しい気持ちで
待っていたいと思う。
次は私の番だから。










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