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私なりの愛の定義とは

今日は久しぶり有意義な時間を過ごしてきた。

私は余白の時間がすきで
友達であっても家族であっても
好きな人に対しても
余白の時間を大切に過ごせる人が
素敵だと思っている

それは誰に何を言われようと
譲れない思いだ。

自分がいろいろお話ししていて
気がつくことも多い。

今日話していて気がついたのは
『私にとっての愛とは』ということだった。

パートナーがいない
私なりの愛のあり方について
ここに記したい。

『愛とは相手を思い浮かべて過ごす時間』
だと思う。

例えば
毎日ラインや連絡を取ることよりも、

美味しいものを食べとき
夕暮れの空を美しいと思ったとき

心が動いた瞬間に
この人にも教えてあげたいと
誰かを思い浮かべることだと思う

その対象は
家族かもしれないし、
友人、先輩、関わる人すべてにおいて。

または、
誰かを思い浮かべ、
元気にしているかなと私も頑張ろうと
思う時間の方についてだと考えている。

それは私が今思う見解である。

私の親友は島根の高校教師をしている友達で
お仕事が忙しく以前よりも返事が遅かったり
待っていることが増えた。

その中でも
既読がついていて、
返事がないことはとても心にくるし
ダメージを受けていた。
昨年から返事がない文面を見ては
ため息をついていたくらいだ。

昨日思い立って
連絡をしてみたら
返事できてなくてごめん
忘れていた
という返事が来た

こちらはもう、嫌われたのだろうかと
思っていたことだが、
相手からすると
ただの忘れていただけだった。

ああ、彼女のことを
待っていて良かった。と思えた

自分の考察と
相手の考えや行動には
必ずズレが生じる

しっかりと相手の考えを聞かない限りは
断定はしてはいけないのかと
改めて身をもって感じた

私たちが感じる感情や断定は
不確かなものではないからこそ
自分が一歩進む勇気が大切だ。

自分のことを信じて
私はこう思っていたけど
あなたはどう思うのかなど、
答え合わせをして
ちゃんと自分の気持ちを
ありのまま伝えることが大切なのだと思った。
それもまた愛だ。

昔の私であれば
きっと彼女のことを大切に思っていたからこそ
返事を待ち続けて
あー、私を嫌っているのかなと
勝手に自分で判断していただろう

しかし本当に大切だったのは
一歩踏み出して自分の感情や
相手に対しての想いを伝えるという
意思であった。

傷つくかもしれないが
行動して自分を納得させてあげることも
自分に対する愛かもしれない。

実際、昨日の私のように
ただの一方通行の想いを抱きながら
人生を歩む人は少なくないと思う。

もしそこに勇気を出しての
歩み寄りがあれば
きっと関係は変化をしくのかもしれない
もしかしたら、
できないことの方が多いかもしれない

だから
相手にとっては何気ない言動が
時としてダメージを
与えるということもあるから
日々自分を偽らず過ごす
という心意気が大切だ。

今日はミホミュージアムの
古代ガラスの展示を見てきたのだが

圧巻で、とても心が満たされた。
私が好きなものの特徴は
別の世界を知れることなのかもしれない。

古代ガラスは3000年も前から
この世に存在して
緻密でとても美しかった。

割れやすくもろいガラスが
時代とともに変化していき
いまのガラスのあり方をしていることは
強くて逞しく変化していくことの
表れでとても心に響いた。

私だって弱くて泣き虫だったのに
今は少しだけ逞しく生きている
たった28年でそうなったのだから
すごいことだと思う
誰か褒めてくれないか。

もともと自己肯定感が低い私が
自分のことを大嫌いだった私が
今はこんな変わった私でも
愛してもいいかなと
思えるようになったのだから
時間ってすごいと思う。

特に古代ガラス展でみた
『ガラスの銀化の現象』は、
とても美しかった。
何年もかかって自然に起きるものらしく
とても美しい輝きを纏っていた。
輝きを放つというよりも
作品自体が纏う美しさだった。

時間をかけて
美しい輝きを纏えることは
変化して輝きを手に入れる美しさに見えた。

私もいつか古代ガラスのように銀化して
輝きを纏える存在になれますようにと
美しい作品の前で
心の中で祈ってしまった。
きっと誰にもバレてない。

話は戻るが、
誰かとの連絡で
秒で既読がついて返事が返ってくる
瞬間は苦手だ。

なぜなら余白がないから

相手に返事をしている途中に
既読が付いていると
どうも待たれているようで
心からの返事ではなくなる気がする

相手のことを思って
丁寧に返事をしたり

相手のことを思って
プレゼントを選んでみたり

そんな誰かを思い浮かべる時間は

ゆっくり流れていて
まるでパステルカラーの
優しい色合いが空間に流れている心地がある

心の余裕、余白が
愛には欠かせないと思っている

今では連絡が簡単に取れる時代だ
ビデオ通話で顔すらみることもできる。

そんなお手頃にできてしまう時代だから
アナログのものが好きだ

プレゼントに添える小さいお手紙

退職時に渡すお手紙

お誕生日に贈るお手紙 など

相手のことを思い浮かべて
文字を綴ることは
とても優しくてあたたかい時間だ。

わたしはこんな時代だからこそ
手書きの文化が大好きで、
カフェに置いてあるメニューや
ポップたちが手書きだと
あたたかいカフェだなと思う。

手書きのものをみると
時間をかけて私たちに
届けようとしてくれたのかと
心があたたかさで包まれる。

何度もいうが、
誰かを思い浮かべは時間は
やはりあたたかい。

いつだって誰だって
できる愛ある行動だと思う。

私はこれからも
パソコンのメモよりも、
画像をつくることよりも、
手書きで自分の言葉で
文字で誰かに届けていきたいと思う。

愛のかたちは人それぞれだ。
以上が私が考える
愛についてであった。

明日も誰かを思い浮かべながら
時間を過ごすことだろう。
その時間に愛だなと認識して
時間を抱きしめて、過ごしたい。






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