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期待するのをやめたい時もある

ここ数日SNSをみたり、誰かと話したり、そんななかで考えたことを備忘として残す。

映画、ドラマ、漫画、アニメ、いろんなコンテンツに溺れながら日々を生きていて、そしてありがたくも、そんなクリエイターたちのそばで仕事をするなかで「期待する」ってどういうことだろうと考える。

ワクワク、ドキドキ。
どんな作品なんだろう、どんな世界を見せてくれるんだろう。

はじめはそういう単純な感情だったと思う。

コンテンツに近づけば近づくほど、漠然とした期待から、具体的な期待に変わることがある。たとえば「この作家が描く◯◯は、こうであるはずだ!」とか。

期待と理想の境界は、曖昧になる。

そうした具体化した期待や、個人的な理想像を発信することで、どれだけのクリエイターの創造性が狭められていくのだろうか。

SNS上では、たくさんの作品の感想や批評が、日々流れていく。"流れていく"という感覚こそが、読者や観客…作品を受け取る側の感覚だ。私たちはただ大きな川のようなものの流れを河岸から見ているだけで、そこを流れるものが時々、面白かったり、綺麗だったりして目を止める。それだけ。

クリエイターは、その川を行く船のようなものだと思った。
流れるものを受け止めて、抗ったり、溺れかけたりして、必死で創造という船を漕ぐのだ。

そんな人たちに、なんで私が期待や自身の理想をぶつけることができるんだろうか。

「期待する」って難しい。
正解はないのは分かっているけど、受け取り手の「期待」がクリエイターを傷つけてしまうなら、いっそ期待することをやめたいとさえ思うこともある。

漫画家や小説家、脚本家…クリエイターになるための方法が書かれた本は数多く出版されている。それなのに、良い読者や受け取り手であるための方法は誰も教えてくれない。

あればいいのに、と思った。

そんな葛藤を繰り返している、社会人3年目。
もうすぐ夏が終わる。

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