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愛しい人へ捧ぐ歌

胸に刺さる歌詞邦楽編です。
又、「生きている」という他の記事の完結篇でもあります。

ご紹介するのは桑田佳祐さんの「愛しい人へ捧ぐ歌」Now &Forever より。この歌はなるべく誰かと一緒に居る時は聴きたくない。泣いちゃいそうだから。


おじいちゃんの背中はあったかい。
赤ちゃんの頃の数少ない想い出。
おじいちゃんにおんぶしてもらったとき気持ち良くてウトウトしそうになったときに
「あら、寝ちゃったわ」
おばあちゃんがそう言ってお布団を敷く。(え、寝てないんだけど)と思いつつ、そのまま寝たふりをしていた。

おじいちゃんの背中は広い。
幼稚園や公園に行く時は自転車の後ろに乗っけてもらった。よくネルシャツにキャップ帽を被り、日焼けした腕にシルバーの時計。眼鏡と素敵な白いお髭。アメリカ人みたいなルックス。

おじいちゃんのアイスコーヒーはあんまい。お砂糖と氷たっぷり。
ヘビースモーカー。綺麗な女性の写真に線を描き出し、模写をする。一度私の絵も描いてくれた。「これマリ。」と言って描いたのは、お花畑でピアノを弾く少女。
強運の持ち主で何かしら商品券を当てる。花札、人生ゲームも大抵好成績。鼻筋と背筋がスッと通っていて若々しい。

若い時は遊び人で、浅草と銀座、神楽坂はお庭。箱入り娘だったおばあちゃんと結婚してから、毛皮職人の仕事の為東京下町から札幌へ4人の男の子とお引越し。子供達をお風呂に入れたら部下をご飯に連れ深夜帰り。おばあちゃんは子供達を寝かせてから疲れてそのまま寝ちゃう。

私自身はおじいちゃんとおばあちゃんが仲睦まじい姿をあまり見た事ない。一緒に台所立ってる所とか、よく浅草やら美術館、公園に連れてってくれた事なら覚えているけどラブラブとは無縁。

でもおじいちゃんがおばあちゃんを愛していた事は12歳のときに気付いた。
おばあちゃんが癌で入院中のとき毎日お見舞いに行った。そしておばあちゃんが自分が末期癌だという事は喋るなという約束も守った。

そしておばあちゃんは亡くなった。
よくお墓参りの時は深くお祈りしていた。仏花でなく、フラワーアレンジメントしてお仏壇に食べ物と一緒に飾る。の割には仏壇の上に絵の下書きを積む。
ニューヨークや札幌への旅行の時もおばあちゃんの写真を持って行っていた。

そしてこの歌をいつも聴いていた。
煙草を吸いながら、その背中は小さくて、哀愁があった。とっても寂しそうだった。

そしておじいちゃんも亡くなった。あまりにも壮絶な最期だった。最後の晩餐はお寿司だった。遺品整理するとお菓子やらコーヒーやら本などに紛れ、おばあちゃんの遺品まで持っていた。
そして桑田佳祐のアルバムの歌詞には鉛筆でお気に入りの曲に印を付けたり、ヤニや、涙なのか水なのか涎なのか染みも付いていて、折り曲げた痕もくっきり。

お葬式は2人目の小さな孫(マナミ)も参列した。マナミったらおじいちゃんに抱っこされて大泣きしていたっけ。お経を唱えている時はハッピーバースデーを歌い出した。みんなおじいちゃんらしいやと微笑んでいた。

ポートランド に留学中、家族LINEに大量におじいちゃんの携帯電話に残されていたアルバムが送られてきた。待ち受け画面は闘病中のおばあちゃんと私がピースしている写真だったらしい。

そしておじいちゃん撮影の物はこんなふうに大抵指が写り込んでいる。

緊急事態宣言が発動される少し前に、1人でお墓参りへ行った日のこと。暖かい春の日。
いつも車だったから平井駅から記憶を頼りに商店街を通り過ぎ、お墓へ向かう。

お墓の前に屈み、ふと愛しい人へ捧ぐ歌の歌詞が頭を余儀った。

また生まれ変わって僕と踊ろうよ
二人で寄り添って風になろうよ
こんな駄目な野暮な男の我儘だけど
No, I’ll never cry
もう一度傍にいて

ああ、そうだったのね。
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に風になったのね
おじいちゃんったら、おばあちゃんにいつもあんたねって文句言われて不貞腐れていたのに、居ないと寂しがるんだから

涙が頬を伝う。そして優しい風が頬を撫でる。


#胸に刺さった歌詞
#愛しい人へ捧ぐ歌
#桑田佳祐

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