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<陸自幹部の米陸軍留学体験記> その2

教育開始が12月8日だったので、出国は12月4日と決まった。

出国前に荷物を送るけど、防衛省からは荷物の運送料として5万円分くらい(だったと思う)の切手を貰った。

これをどうしろと?

どうやって使っていいのかよくわからなかったが、前任者からの引き継ぎ資料で『質屋で換金』となっていたので、とりあえず、質屋に行って換金して荷物の送料に充てた。
質屋で換金すると結構安くなったが、特に送る荷物も多くなかったので足が出ることはなかった。

いよいよ出国✈

当時、僕は新婚だったが、妻は実父が海外で手術をすることになって付添で不在。
引き続き、看病が必要とのことで単身での留学となった。

このとき、勢いに任せて数年前に買った『犬』がいた。🐶

妻からの伝言で「私が帰るまでホテルを探して預けといて!」とのことだった。

渡米間際のバタバタしているときにホテルを探して、都内まで車を飛ばして預けに行った。
これがまた高いんですよね😭1週間で10万円くらい飛んでったかな・・・

転勤が多い自衛官は犬を飼っちゃだめだと、買った後に後悔しました

そんなこんなで何とか出国の日を迎えて、誰にも見送られることなく成田空港へ。

丁度、僕と同じ小平学校で準備期間を経て留学の切符を手にした幹部と一緒に渡米することになっていたので、空港で合流。
その人は家族帯同での渡米。
一人で渡米するよりも心強かった。

もちろんエコノミークラスね。
陸上自衛隊では、1佐以上のクラスにならないとビジネスクラスには搭乗できない。

窓際の席で隣が恰幅のいいアメリカ人のおじさんだったので、かなりきつい長旅だった記憶がある。

無事にテキサス州に到着!

そんなこんなで、なんとかサンアントニオ空港に到着。
すでに周りは暗くなっていて、DLIに留学している陸自隊員が空港まで車で出迎えてくれた。
ホテルのチェックイン手続きまでサポートしてくれて大変助かった記憶がある。

初めての米国本土の米軍基地。

「おー、すげー!!!何だこのバカでかい基地は😵」

自衛隊の施設しか知らなかった当時の僕は、興奮しっぱなし!

DLIは、テキサス州サンアントニオにあるバカでかいラックランド空軍基地(Lackland A.F.B)内に所在し、夜景がとても美しかった。
(赤枠の部分がLackland A.F.Bで滑走路を入れると更に大きい。)

DLIに併設されているホテルにチェックイン🏨。
ワンルームのバス付きで、普通のホテル。

飛行機の中であまり眠れなかったこともあり、疲弊しきっていた。

とりあえず、シャワーを浴びてそのままベッドにバタン・・・😪

米国防総省語学研修所(DLI)とは?

ここで、米国防総省語学研修所の概要について紹介します!

✅ 米国防総省が運営するテキサス州サンアントニオにある語学研修所

✅ ラックランド空軍基地のサンアントニオ統合基地内に所在

✅ 世界150カ国以上からの軍関係者の留学生約1,500名が語学教育に参加

✅ 教育は基本的に軍属の職員によって行われる。

✅ 米軍で本課程教育(follow-on training)がある人が受講する専門英語課程は2ヶ月間

他に英語教官課程(Basic American Language Instructor Course (BALIC), Advanced English Language Instructor Course (AELIC))もあり、防衛省職員や自衛官も参加している。
ちなみに、小平学校の英語教官は、BALICやAELICを受講している。

DLIでの教育内容は?

職種によって異なりますが、僕が受講した教育項目は下表の通り。

軍の作戦等に関する各職種ごとの専門的な教育はfollow-on trainingで行われるため、そのために必要な英語力を修得するための教育に過ぎない。
英語ができる人にとっては、この2ヶ月間はお遊びのようなもの。

米軍で教育を受講する人は、基本的にこの語学学校での教育を受講するため、何度も米軍へ留学している人は、この美味しい教育を複数回受講することができる。

教育ごとに参加者が変わっていくので、いろいろな国の軍人と仲良くなれる。
150カ国以上からの軍人、軍属が集まっているため、本当に色々な軍人がいて授業が楽しいんです!

カンボジア陸軍で、31歳で将軍の階級を付けている軍人もいました。
31歳で将軍ですよ!!😅
定年までまだまだ期間があるけど、どのような経歴を歩むのか気になります。
きっと将来、軍のトップとかになるんでしょうね・・・

サウジアラビアからの留学生は、あまり評判が良くなかった。
母国から結構な金額の生活費が出ているらしく、派手な車を乗り回し、遊びまくっていた。

話を戻します。

酷い時差ボケ😔

サンアントニオの到着した次の日。
朝起きたら10時位になっていた。
夜中に何度か目が冷めた記憶があるが、アメリカのホテルは部屋が暗いので昼夜がよくわからなくなっていた。
カーテンを開けると晴天だった。

幸い授業は2日後からだったので、DLIに駐在していた航空自衛隊の2佐の連絡官の方に到着報告をした後、その日は荷物の整理をして教育準備を進めた。

ちなみにDLIには、航空自衛官や海上自衛官も留学していた。
航空自衛官は3等空尉の初級幹部が多く、戦闘機や輸送機のパイロットだった。
戦闘機のパイロットは2年くらいアメリカで学ぶんだとか。

羨ましい…

海上自衛官は、イージス艦所属のいわゆるI幹部で、結構遊び人😆
海上自衛官だけあって、海外経験は豊富。
何度か米国留学も経験されてたようで、色々な所に連れて行って貰った。

米国に留学するくらいなので、非常に優秀な隊員なのでしょう。


航空自衛隊の連絡官に挨拶をしたのち、先に留学をして教育を受けていた同期の奥様が、買い出しのためにPXまで車で連れて行ってくれるとのことだったので、初対面だったがお言葉に甘えて連れて行ってもらった。

「スゲ〜左ハンドルのアメ車を運転してる。」

食料が全くなかったので、当面の間を凌げるようなパンと🥐飲み物を買ってすぐに帰った。

何だか体調が悪かったんです。

このとき、これまでに味わったことのないくらい酷い時差ボケに悩まされた。
3日間くらい頭痛がしたり、頭がぼーっとしていた。

ホテルでは食事が出ないので3食、自分で用意する必要がある。

部屋にはキッチンも無いので食事は自分で何かを買って来るか、レストランなどで食べる必要がある。

米国での初めての車両運転🚗

米軍基地はバカでかいので、近くのPX(売店)に行くのにも車両がなければ一苦労。
PXから宿泊施設まで歩いたことがあったけど、1時間近くかかったかな。
アフリカからの留学生は結構歩きで買い物してた。

これまでDLIに留学した陸上自衛官が使ってきたEarnest Harris社のところで車両のレンタルをすることにした。
車両の質はそれほど良くないが、他のレンタル会社と比較して安い。
レンタル料は1ヶ月あたり800USDくらいだったかな。
他のレンタル会社は1,500〜2,000USDくらいだったからかなりお得だった。
そして、他の陸自隊員も使っているため安心だった。

レンタルしたのは、DodgeのSUV車。
一人で使用する分には大きすぎるほどの車両。

follow-on trainingがジョージア州だったが、そこまで同じ車両を運んでくれるとのこと。
(車両で15時間くらいかかるが、本当に同じ車両を持ってきてくれていた)
輸送費が1,000USDくらいだったかな。

レンタカーを契約してから3日後くらいに車両を持ってきてくれた。

初めての左ハンドル、右側通行だったこともあり、初めのうちはドキドキしながらの運転。

まずは、基地の中で運転に慣れるために練習。
ご覧の通り、基地内は見通しがいいため、運転の練習には最高の場所。

ウインカーとワイパーを間違えたり、無意識で運転してたら自然と左車線を走っていたりしてヒヤッとしたこともあったけど、1週間くらい運転したらすぐに慣れた。

次回につづく。


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