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照見五蘊皆空 度一切苦厄

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
観音さまは、悟りを深く実践され、
照見五蘊皆空
五蘊は全てが『空』相であると観て、
度一切苦厄
一切な苦しみから人々を救済している。


照見五蘊皆空


五蘊とは、私たちが持っている肉体と精神を指します。

(これは上記記事にも書いた内容ですが、また開き直すのも面倒でしょうから、コピーしておきますね。)

色・・・物質的に『形あるようにみえる』もの。まさに今も肉体機関によって認識しているもの全て。
受・・・それらを受け取り込む器官。目や耳、鼻?
想・・・それらを何であるか見極める働き。判断力?
行・・・心がある方向に働く働き。喜び、悲しみ、怒り?
識・・・自らの状態を知る働き。認識力?

人は、これらから刺激を受けて、様々な考え方でそれぞれに行動しています。
でも時には、欲が更なる欲を生んで、”底なし沼”状態。
あるいは、一つの考え方に傾くと他のことに目や耳がいかなくなる・・・”恋は盲目”とか。
それが『自分にとらわれている』状態であり、やがて「苦しみ」の原因になっていきます。

度一切苦厄

『全てが、永遠不変ではなく、常に移り変わり続けるものでしかない。また、それぞれ単独では存在を維持することが出来ないものである』と観るならば、それらから生じる苦悩・煩悩もまた移り変わってしまうものでしかないのだ!と、観音さまは説かれるのです。

『見』と『観』

さて、皆さんも般若心経では「みる」という言葉に、『』と、『』という2つの漢字があることにお気づきかと思います。

『見』が普通の『みる』なのに対して、観』には、内面的なものまでもみるという意味が含まれています。
〈watch とsee の違い・・・と言っても良いのかどうかは、私には判断がつきかねますが。〉
それは、お経を訳した玄奘三蔵の意図であり、大きな功績の一つです。

物事は、必ずしも自分の目に入ってくることのみではない。見えない面もあるものだ。だから、そんな『あやふやな自己感覚・自己判断』だけに頼るな!見えていない部分や本質までしっかりと観よう!
それが仏教の考え方です。

物事を多角的に『観る』

たとえば、今ここに三角錐さんかくすい があるとしましょう。工事現場や道路上に置かれるコーンのような、あの形です。
あれは、見た目が角度によって変わる典型的な良い例です。三角だったり円になったりしますね。それと同じことが、全てに当てはまるのです。

具体的な例も挙げましょうか。
高齢者や障害者に、子供言葉で話し掛ける人がいます。タクシー乗り場で乗車拒否したドライバーに遭ったこともあります。最近はだいぶ減ったかな・・・。
「アンタね~!」と言いたくなるのを抑えて、「あ~ぁ、この人は、見た目でしか判断出来ないんだな。」と思ってます。

多角的な視点で『観る』ことを常に心がけて、より心豊かな生き方をしていきたいものです。

そして同時に、
ありとあらゆるものは、常に移り変わっていて、永遠不変ではない。どのような『苦しみ悲しみ』であろうとも、消える時は必ず来る。それどころか却ってそれが良いことの土台になるかもしれない。過大には受け止めず、固執したり、ずるずると引きずったりもせずに、どんなこともただ受け流して先に進む・・・。

それによって、人は安らぎを得る。・・・それが救いとなるのではないでしょうか。


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