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三つ指、OH! MY BOOKS、ケニヤン 3.25

三つ指を久しぶりについたとき、下手だなと思った。

実家でしかついたことがないように思う。小さい頃は誰かが家に来ると、おばあちゃんが三つ指をついて迎えていたので私もそれを真似していた。

宮本常一さんの本に出てきてもおかしくないような田舎の山間の集落で、そんなにかしこまったものではない。だけどやわらかく丸々と腰を屈めて手に頭をつける姿が綺麗だと思ったので、一緒に迎えた子どもなりにその綺麗に見えた動きを真似てうまくやろうとしていたと思う。
集落の盆踊りで綺麗だと思った動きを真似していたように。

武道のお稽古に行った日、ひさびさに自分が作った手の形を見て、あの頃から進化していないなと思った。大人の手、子どもの三つ指の形。
小さな子どもだったからあれでよかったけれど、なんだか恥ずかしいなと思った。
特に望んでいなかった、今と違う別の人生を送っていたら、私の礼をする姿は違う形になりえていたのかもしれない。その差分を見たような。どこかで成熟しそこねているようで、それが今の人生のルートのようで、でもまたそれもすぐ変わる。綺麗に三つ指をつく人になっているかもしれないし、だけどそれにこだわることなく、そうしている、みたいな。

別に三つ指をついて出迎えるのが良いのであるとかそうすべきであるのだみたいな規範意識が私の中にコードとしてあるわけじゃない。どこかの民族がそうしていて綺麗だったから私もそうした、みたいな感じに近い。文化人類学のまなざしを自分のヒストリーの中に当てているようなものなのかも。

と思い出しながら寝起きの日記。
7時過ぎ。まだ眠い。思い出して書く。

昨日25日は二度寝して8時半だった。色々タスクがある午前だったのでやば、と起きる。
前夜に書きあぐねていた締切日の連載エッセイを仕上げて送る。
記憶のことを書いたらぼろぼろ涙が出た。私本体は悲しくないのに、誰かの記憶のことを書くとそうなることが多い。

(私自身というより私本体と書いた方がしっくりくることに気づく。)

別のゲラの戻しも送る。

むき身コミュニティにチェックイン。毎回本当にありがとうと思う。

今日はある雑誌に掲載される座談会の企画が夕方からあったので、ゆっくりお風呂に入る。昼風呂。いつもはそんなことしなかったけど、最近は風呂が好き。しずかちゃん、というより、映画のドラえもんの何かに出てきた、洞窟の中の温泉に浸かる竜みたいな感じ。

友から連絡があって、妙蓮寺でお茶をする。
糖質に少し怯えながらもホットレモネードを頼む。おいしい。短時間だけどたくさん話す。

初台のOH! MY BOOKSへ。
本当にかわいい。夢の世界。楽しいや好きがうつってくる。だけど置いてある本はひとつひとつ意思を持ってそこにあるようで、こんなお店があって良かった、かっこいいなあと思う。

とても楽しい座談会。誌面でどんなふうになるのか楽しみ。

ネタバレ(?)になるのでここには詳しくは書けないけど、帰り、渋谷のケニヤンで打ち合わせという名のもとドワーーーと話す。声は静かでひそひそ話すのだけど、ドワーーーという感じがするのは、それだけ多くのものが行き来してるのかも。
いつも、言葉で話した以上のことを話して交換している気がする。
ちゃんと打ち合わせもした。トントコトンと決まる。楽しみ。

楽しく駅でわかれて、家に着いたら友と電話がかかってきて、ハッピーオーラをたくさんもらい、いいなあ〜〜〜!と100回くらい言って、その後ちょっと休憩して、夜中になってしまったけど仕事のメールを返して、3時過ぎに就寝。

たくさん話した日だったなと思う。

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