車両

専用車両は居場所がない。⑤両目

 わたしは子ども専用車両が嫌い。

 ママはわたしが喜んでここに乗っていると思っているみたいだけど、ここで出来た友達と楽しく遊んだフリをしているだけ。ママがそうしたほうが喜ぶから。今日はひとりでいる時間が長くなりそうだから、お気に入りのピンクのワンピースを着せてくれた。そんな風にお洋服を選んでもらうくらいなら、このワンピースなんて着られなくてもいいのに。わたしはママを心配させたくないだけ。
 ママは耳が聞こえなくて、お話も出来なくて、それでも一人でわたしを育ててくれている。お友達(と呼んでいる子たち)には、パパとママがいる子もいるけど、パパだけの子もいるし、ママだけの子もいる。親って呼ばれる人たちが2人いることが当たり前だなんて、思ったことはない。わたしはママしかいなくって寂しい思いなんかしたことない。なのに、ママはママしかいないことをとても申し訳なさそうにする時がある。ママはいつも忙しそうにしているけれど、わたしはそんなママが大好きだから、嫌いなこの車両にもちゃんと乗っているんだよ。

 でも昨日、この車両で初めて会った少し太ったミノリ君って言う同じ年の男の子に言われたことがある。

「小学生になったら、乗りたい車両を自分で探さなくちゃいけないんだぜ」

 乗りたい車両?乗ることができる車両じゃなくって?わたしは意味が分からなかった。ミノリ君はみんなの気を引くために適当な出まかせをいっているんだと、思った。でも、よく考えてみたら、わたしはこの車両以外、乗ったことも見たこともなかった。そう気付いた瞬間、わたしの体にドキドキとムズムズが一緒に襲ってきて、笑いたいような泣きたいような気持ちになってしまった。あの隣へ続く扉の向こうにはどんな世界があるのだろう。どうせわたしは来年からは小学生になる。だったら、今からでもその「乗りたい車両」を探してもいいのではないだろうか。いつか見た謎解き探偵が出てくる映画みたいに、わたしの頭にはヘンテコな帽子の乗っている気分。

 わたしはいつの間にか、今日の先生に見つからないように、電車が駅に着いた途端、ホームに飛び出した。それからホームを通って、となりの車両に乗った。

 乗っている大人たちが一斉にわたしを見た。でも大人たちは気にも留めない様子ですぐに目を逸らして、スマホに視線を戻した。どうして大人たちはあんなに小さな機械に心を奪われるのだろう。お相撲さんみたいに大きな人、塗り絵みたいなお化粧をしているお姉さん、頭の後ろだけまんまるにハゲているおじさん、直っすぐ同じ場所を見つめて立っているおじいさん、お友達と大きな声で話して内容が全部聞こえちゃう女子高生、こんなに面白い人たちがたくさん乗っているのに。でもスマホが欲しいと思ったこともある。ママのスマホを触らせてもらったときだ。色んな画面や写真が出てきて、喋りかけたら返事もしてくれて、テレビみたいに何でも映る。ママは「小学生になったらね」と言ってくれたけど、わたしはまだいらない。あの機械はわたしの心をきっと掴む。掴んで離さない。そしたらきっと離れられなくなる。なんだか怖かった。何でもできるけれど、言うことを聞いてくれるけれど、私のことを考えてくれていない、あの人はお仕事でやってくれているだけだから。

 スマートフォン利用車両。

 わたしが乗っている車両は、これだった。だからみんなスマホを見ている。誰かと電話で話している。わたしはスマホを持っていないはずなのに、電波が襲い掛かってくるような気がして、逃げるように隣の車両へ移動した。

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 ただでさえ、時間的に電車は混み始めていた。そしてこの車両は全部で18両ある。隣の車両へ移動するにも、なかなか思うように進めない。誰とも知らない人の、見たこともない子どもを探すなんて出来るのだろうか。特徴はピンクのワンピースとポニーテール、そして目元のほくろ、それだけ。

 とりあえず僕は、その子ども専用車両へ行くことにした。案内図を見ると、さっきまでいた仕事専用車両からは3両離れていて、全体の真ん中くらいにあるようだ。子ども専用車両までに通る車両が何なのか、この際どうでも良かった。あの耳の聞こえない、口も利けない母親から与えられたミッションをクリアすることに集中している。してはいたが、何だか物足りなさを感じていた。乗客たちが、何と言うか、普通なのだ。身体的特徴もなく、行動も至って普通。静かに電車に乗っている。これは当たり前のことだったはずなのに、様々な車両を見てきた僕は、逆に違和感を持ってしまっていた。ふと表示を見ると「普通車両」。帰宅ラッシュが始まる少し前の時間から、どうやら普通車両が出てくるらしい。3つの普通車両を通り抜け、ようやく子ども専用車両にたどり着き、その扉を開いた。すると保育士のような恰好をした女性が、すごい勢いで近づいてきた。

「お名前伺えますか」
「え、僕の?」
「もちろんです」
「羽田光、ですけど」

 女性はタブレットを操作した後、

「ありませんね。お引き取り下さい」

 冷たく言い放った。どうやら僕は不審者に思われているようだ。確かにそうかもしれない。自分の子どもを預けてもいないのに、この車両に来てしまったら、誰だってそう思うだろう。

「あ、星野ひかりちゃんを、迎えに来たんですが」

 女性はチラッと僕を見て、再びタブレットに目を落とした。

「ひかりちゃんとのご関係は」
「その、頼まれて。お母さんに」
「星野さんに」

 女性がどう対応しようか考えている間に、素早く車両にいる子どもたちの中にひかりちゃんがいないか探したー正確にはピンクのワンピースの女の子を。しかし20名程乗っている子どもの中に、それと思しき女の子はいない。そして相変わらず目の前の女性は疑いの目を僕に向けてくる。

「僕はひかりちゃんの、叔父なんです。星野さんのご主人の弟で」

 僕がそう言うと、女性は振り返って子どもたちを眺めた。すると急に右左に首を振り出した。探しているのだろうが、その動きは焦っているように見えた。すぐに車両の向こう側にいた男性の元へ行き、コソコソと話し始めた。僕はもう一度、ピンクのワンピースを着ているポニーテールの女の子を探した。が、やはりいなさそうである。女性が僕のところに戻ってきて、明らかに困った表情でこう言った。

「ひかりちゃん、いません」

🚋


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