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幕は上がり、そして下りる。

舞台に立つ者として「幕」というのは特別な響きがある。

コロナ禍になってから、その「幕」が上がることがこんなにも大変だったのだと、そして無事「幕」が下りることが叶わないこともあるのだと、知った。

舞台だけではなく、世の中にはたくさんの「幕」が上がったり下りたり、開いたり閉じたりしている。それは物事の始まりと終わりという意味で。

今日、3年ほど在籍したバイト先であるスポーツジムを卒業した。こちら側の都合ではなく、2月末を持って閉館することになったからだ。そのスポーツジムは昭和61年竣工と歴史があり、設立当初からずっと通っている方も多かったし、10年越えの方はザラにいた。スポーツを通した地元の方々の交流の場ともなっているアットホームな(アットホームすぎる)ジムで、マシンやウエイト器具だけでなく、プールありスタジオあり多目的コートありと、コンパクトながらやれることが多く、利用者の自由度がかなり高く、そこも魅力だったと思う。

とは言え、コロナ。

最初の緊急事態宣言では2ヶ月ほど休業し、その後も退会、休会者が続いた。わたしも半年ほど勤務していなかった。歴史が長い分、会員の年齢層も高い。離れた客足は戻りにくいし、新規の方が入るにも敷居が高い。今は好きな時間に自分だけのペースで、他者と接することなく身体を動かせる無人の24時間ジムも人気である。そういった状況を経て、半年前に閉館が発表され、あっという間に最後の日を迎えた。

たくさんの方がジムとの別れを惜しみ、「元気でね」「またどこかで」と声を掛け合っていた。近所の方が大半なので顔を合わせることもあるだろうが、うちのジムに通うのが生活の一部となっていた方にとっては、やはり何かがスッポリ抜け落ちたような気持ちになるだろうと思う。それは新しいジムに通ったとしてもすぐに手に入るものではないし、手に入れたとしてもカタチは違うものである。

先週のことだが、もともと会員さんだった年配の男性が閉館を聞いて尋ねてきた。わたしが入る前だったようで知らない方だった。

「思い出にスタジオを見せてもらってもいいですか」

奥様とヨガのクラスに通っていたと話してくれ、閉館をたいそう残念がっていた。聞くと、奥様は去年ご病気でお亡くなりになったそうで、閉館前にどうしても見ておきたいと仰った。スタジオから戻ってきた男性は目に涙を浮かべ、何度も「ありがとうございました」と言った。奥様と一緒にヨガをやっていた時の様子が蘇ったのだろう。わたしも胸がギュッとなった。

自分にとってはひとつのバイト先であっても、誰かにとってはかけがえのない場所であり、それが無くなることに喪失感を覚える人がたくさんいる。正直、スポーツジムがそのような場所になるとは想像していなかった。一面的に考えると、ジムは若くて元気で活発で健康な人が集う場所だからである。でも本当はそうではない。ご高齢の方から子どもまで通っている。筋肉をつけたり汗をかいたりするためでなく、病気を改善するために来る人もいる。家族や友人と、同じ時を過ごすために来る人もいる。

そのような場が失われてしまうのはやはり惜しい気がした。どうにかして残せないものかと思ったりもした。でもキレイごとだけ言っていられない。経営側にとっても死活問題であり、いちバイトのわたしには何もできないのが現実。それでもここで働くことが出来て、同じスタッフの方にも恵まれ、最後まで楽しく働かせてもらって、本当に感謝の気持ちでいっぱい。

だからいつも通り、笑顔で会員さんとスタッフの方に挨拶をした。
今までありがとうございました。
どうぞお元気で!

さぁ、それぞれの幕を上げましょう!

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