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【2021/9/17】思い出の劇場

タレントとして、役者として、初めて立った舞台と言うのは感慨深いものがある。初めてではないにしても、何かしらの節目だったり、目標としている場所だったり、自分の中でどこか”特別”だと思える劇場やステージはあるものだ。

タレント(MC)業として初めて舞台に立ったのは、通天閣劇場TENGEKIの若手お笑いライブだったと思う。新世界通天閣の真下にあるSTUDIO210という劇場(今思えばその劇場の正式名称は知らなかった)。それから道頓堀角座、心斎橋角座、新宿角座と松竹芸能の劇場にはすべて立たせてもらった。アシスタントとしてもあれば、イベント出演者として、またお芝居もさせてもらった。

役者として初めて立ったのはZAZA HOUSE。道頓堀のくいだおれ人形でおなじみのビルの地下にある。それから関西の劇場には色々と立たせてもらった。どの劇場も思い出深く、また立ちたいと思う。が、今は無き劇場も多々あるが残念だ。仕方ないことではあるけれど。

東京に来て初めて舞台に立ったのは、こちらも今は無き新大久保にある「ホボホボ」である。MAXでも40人くらいの小さな小さな小屋である。どんなに小さくても、今は無くとも、わたしが東京で舞台人としてのスタートを切った大切な場所。そこで過ごした時間は消えない。

そして今日。
サンモールスタジオに久しぶりに行った。そこは、東京に来て3ヶ月後に所属した劇団「山田ジャパン」で、初めて劇団員として出演した劇場。

小屋入りして仕込みして、場当たりして、ゲネプロして、客入れして、楽屋で過ごして、舞台袖へは縮こまって移動して、狭い袖で着替えて、転換して、客出しして、そんな瞬間瞬間が鮮明に思い出された。

キャパは100名のいわゆる小劇場。そこにお客さんの肩と肩が触れるほど近くに密集して座っていた。今では考えられないけれど、2018年の当時はそれが当たり前だった。その満席の舞台で、お客さんを目の前に感じながら、とにかく無我夢中で芝居をした。

その舞台が、まったく違う形になって、今日目の前に現れた。

TOKYOハンバーグの公演「朧な処で、徐に。」の受付手伝いをしに。素敵なセットだった。あの時とは違う舞台、客席、受付。でも間違いなく同じ空間。観劇させてもらったが、個人的にはとても好きな作品と演出だったので、ご興味ある方は是非。

同じ劇場なのに、違う。違うけれど、同じ。

劇場は不思議な空間だ。

行われた公演の数だけ、そこに立った役者の数だけ、観に来たお客さんの数だけ、関わった人の数だけ、劇場は色んなものを吸収して、特別な空間になる。

またサンモールスタジオに立ちたい。演者としても、自分の書いた作品と演出でも。

劇場には可能性が詰まってる。

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