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遺伝子の意志

我が家では大型犬を2匹室内で飼っています。寝る時も一緒なので気心が多分お互いに知れています。毎日朝晩30分の散歩に連れてゆく自分が群れ内の序列として彼らの上なのかどうか判然としませんが、大きな声を出せば言うことを聞きます。

自分が物心つく前から、我が家ではほとんど常に犬を飼っていました。基本的には犬は人に従順です。昔、ものの本で、「進化の過程で犬という種は「人」という霊長類に寄り添うことで自己の種を存続することを選択した」と読んだことがあります。野生のオオカミの数と現存する犬の種類と数を(統計を持ち合わせませんが)考えれば多分正しい理解だと思います。

このブログで以前、「哺乳類の子供は皆可愛い、それは、守られる必要があり、自然淘汰の結果、そういう特質を獲得したに違いない」と言うことを書いたことがありました。自分は進化を研究する科学者ではないし、結果として得た特質とそのプロセスの因果関係を立証するのは容易ではないと思います。

以前、コーギーという犬種の犬を飼っていました時、足が短くてまた太っていましたので歩くのが大変そうに見えましたが、早足で散歩すると、一所懸命人の顔を見ながら着いてくる、その顔を見ていると、「この犬はきっと自分のことが好きなのだろう」と自分は勝手に思っていました。また色々な場面でそう思わせるその犬の行為がありました。

そのコーギーは既に他界しましたが、他の犬を見ていても最近思うのは、「犬が種の保存のために「人」寄り添うという手段を自然淘汰の結果得た」とすると。嬉しい話ではありませんが、この犬たちは自分のことが好きなのではなく、単純に、その遺伝子の指示に従っているだけなのだろう、と思うべきだろうと気づきました。

にわかに起こる疑問は、それは「犬の自由意志」で人に慕っているのではなく、意志は遺伝子にあって、犬はその指示に従っているだけなのだ、という事がむしろ真実だろう、という理解です。好きでもないのにニコニコしているような感じって嫌ですね。

しかし、以前、このブログに別な記事でも書きましたが、人が経験する初恋も遺伝子の成せる技とすれば、我々人の持つ自由意志の特権というのは、気がつくと思ったより狭い範囲に限定されているように思います。

そう思って、過去の自分の、大小様々な選択を振り返っって見れば、判断の根っこには自分では多分「自分の性格」と読んでいる何か「基準」とは違うし、「方針」でもないし、何かそういう何かで決めてきています。「自分」と呼ぶべきものは、その何かなのだと思いますが、今はまだよくわかりません。

これも先に書いた記事に、「進化の自然淘汰説」は100%信じられないと、この葉虫の例で書いた事があります。もし、遺伝子に意志があれば、前の話とも合致するのですが、、、

先日、DNAを発見してノーベル賞受賞したフランシス・クリックという方の邦題「DNAに魂はあるか」というちょっと古い1995年の本を見つけて、題名に飛びついて読んでみましたが、それはそれで面白かったのですが「遺伝子の意志」みたいな話は全く出てこないのでがっかりしました。よく見れば原題は「The Scientific Search for the Soul」で邦題は販売を意識した著者にあやかった名前だと知りました。この本は、1995年からニューラルネットワークに着いて既に議論があったことを知りました。クリック博士は、視覚に対する深い研究をされておられて、面白い本です。

ニューラルネットワークに向けて脱線しますが、Googleのクラウド・プラットフォームにCloud Vision APIというサービスがあります。これを使うと、写真の内容を判別してテキストで返してきます。4年ほど前でしょうか、以前、我が家で飼っていた犬の写真を入力したところ、「犬」であるだけでなく、「ジャイアントシュナウザー」という犬種まで正答でびっくりしました。内部的にはニューラルネットワークを使い、参照した大量のデータの蓄積があるのでしょうが、いくら考えてもなぜニューラルネットワークで、答えが出てくるのか、自分は不勉強で、今もまだわかりません。


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