shigeru oyama

30歳代の半ば、人生の意味を模索していた頃、瞑想中に、頭の中で「あなたは誰ですか?」と…

shigeru oyama

30歳代の半ば、人生の意味を模索していた頃、瞑想中に、頭の中で「あなたは誰ですか?」という声が聞こえました。その問いかけにどう答えてよいのか解らず、放置していました。 最近、生きる意味を再確認できたらと、文章にしはじめました。 このブログで語りたいのは、人の意識の科学です。

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現実と非現実

全ての現実は、五感の認識の上に在り、すなわち認識できていると信じることにより成り立っています。 信じる根拠は記憶を媒介した五感による認識相互の明白な因果関係にありますが、逆に信じることが出来れば非現実と現実の区別はありません。 更に、認識は人によるものである事から、複数ある人毎の現実が1つの現実であるかどうかは演繹的に推定するしかありません。 現実が、絶対的に1通りではないかもしれないという事は重要な意味を持ちます。 この一連の書き込みは、30数年前に突然、頭の中に聞こ

    • 教育と学び その3

      11月2日にビッグサイトのモバイル・ショウ(昔のモーターショウかな?)に行ってきました。いろいろ斬新なEVが展示されていました。目的は、民放連合とラジコで「未来のラジオ」を展示していると言うのでそれだけを目的に行ってきました。 僕の職業的バックグラウンドは「通信と放送」です。最近、NHKがやっと、インターネットでの放送に重点を置く展開に転進し始め、やっと来たかとホッとしていたところです。 さぞ素晴らしいビジョンを知る事ができるだろうと、期待をしていました。 展示は、申し訳

      • dyson:妥協の無い技術開発

        推したい会社、それはdysonです。 2005年頃でしたか、ピンクの普通紙に黒い文字だけで製品が紹介されているチラシが、何かのDMの封筒に「ついでに」と言う感じで入っていました。商品の写真など無く、広告とも言えないただの紙切れでした。 しかし、そこに、「フィルターの要らない掃除機、サイクロン」と書いてありました。 「フィルター無し」、「サイクロン」と言う2つの言葉で、僕は何故か全てを理解しました。「これは、多分掃除機の最終兵器だ」とインスピレーションがありました。 価格は忘れ

        • 教育と学び その2

          教えられることに学びはなく、出来事に学ぶ。 中学2年生の時だったと思います。数学の授業で、女性の数学専門の教師でした。 彼女が授業の中で、「2つの方向から丸く見えるものは、球体です。」と教えてくれました。しかし、自分は納得できませんでした。その場で反論するべきか、授業とは別の時間に反論すべきかを迷い、その場で、「後で反論」と決めました。 自宅に帰ってから、ケント紙を丸めてパイプを作り、パイプを直径の長さで切ったものを2つ作り、2つを交差する形で余分な場所を切り取り、その2つ

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        現実と非現実

          教育と学び

          現在、自分は75歳。世の中では老人の部類に入りますが、何故かまだ、まだ元気で現役を仕事を続けたいと努力しています。 一昨年(2020年)から教育と言うことについていろいろ考える機会がありました。 人の成長で大切なことは、学びであり、教育ではありません。 自分は、幼稚園から大学院までの教育課程を経て社会に出てきました。今過去を振り返り、自分を形成してゆく中で有難いと思った方々が何処に居られただろうかと振り返る時、その数が非常に少ないことに気が付きます。 幼稚園の頃は、思い出

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          遺伝子の意志

          我が家では大型犬を2匹室内で飼っています。寝る時も一緒なので気心が多分お互いに知れています。毎日朝晩30分の散歩に連れてゆく自分が群れ内の序列として彼らの上なのかどうか判然としませんが、大きな声を出せば言うことを聞きます。 自分が物心つく前から、我が家ではほとんど常に犬を飼っていました。基本的には犬は人に従順です。昔、ものの本で、「進化の過程で犬という種は「人」という霊長類に寄り添うことで自己の種を存続することを選択した」と読んだことがあります。野生のオオカミの数と現存する

          遺伝子の意志

          感情は超高速

          自分は象が好きです。大昔、新宿の西口のビル街の隅でテーブルを置いて、お爺さんが、象の写真のCDを売っていました。多分ご自分がアフリカに行って撮った写真をCDにして売っていたのだと思います。 ダニエル・ゴールマンがEQ(心の知能指数)について沢山の本を書いています。自分の理解では、「自分の感情の動きを適切に観察し、理解し、また他人にも同じような感情の起伏があるとこを理解することで、人生の価値が大きく変わりますよ」というメッセージだと思います。 脳神経科学と進化心理学の成果だ

          感情は超高速

          自分の形

          元々このブロクは昔、35〜40年くらい前に自己探究を目的に瞑想していたときに聞こえた声「あなたは、誰ですか?」について意味を考えるところから始まっています。 その頃、深くその言葉の意味を考えていくうちに、「自分は、出家して探究に専念することになる」という予感がしたために、家族に対する責任を感じてその時点では瞑想をやめることにしました。 最近は、昔と違って良い指導書や、真面目な「瞑想センター」とかあってそういった探究には便利なようです。20年くらい前から、米国での脳神経科学、進

          進化心理学

          先日、ロバート・ライトの「なぜ今、仏教なのか」という本を読んでいましたら、(この本は、瞑想の経過とその先にあるものについての分析についてなのですが)「進化心理学」という単語が出てきて、自分が不勉強なだけですが、心理学にそんな分野があったんだ、確かに納得いくな、なるほどと思いました。 子犬とか、子猫とか、特にほ乳類の子どもは可愛いですね。最近、FaceBookを見ていると、種としての象の保護活動が進んでいる様で、小象の写真や動画をよく見ます。象の子どもも可愛いですね。 これ

          進化心理学

          認識の絶対性

          以前の自分の記事で「色弱」という題のものがあります。これは色の認識の絶対性について疑問を持った思いを書いてあります。35年前に書いたものです。 当時書いた事を要約すると、「僕の見ている色と、貴方が見ている色は同じなのか?」という疑問です。そして、同じでないとすると、「色弱認定の絵(色々な色の点で、数字を表現してあり、8にみえたり3に見えたりするものです)」による色弱判定は意味が無く、判定に意味が在るとすると、全員が赤は、赤として見ていると考えられる。昔から医学界に認知された

          認識の絶対性

          認識と現実

          先日、車でホームセンターから国道に出るときに右から来た車にぶつかりそうになった。右から来た車は、ブレーキを踏んでかつ右にハンドルを切ったので衝突は避けられた。手を振って、お詫びのしるしとして、その場を去りました。 言い訳になりますが、国道に出るときに、右も左もちゃんと見たんです。右から来る車は全く認識していませんでした。右側を見た時の映像は今も記憶にあります。少し植栽がありましたが、車が隠れるほどではなかった。多分、歳のせい?か、何か他の理由で、現実認識が間違っていたのです

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          年齢と夢の見え方

          30歳代の頃夢の日記を書いていました。今(74歳)見ると、内容は殆ど覚えていないので、短編小説を読んでいるみたいで、面白い。 夢の記録を付けるのは、結構タフなので、今は止めていますが、1年くらい前もやっていました。30歳代と、最近とで夢の見方が、いくつかの点で違っています。 <1>若い時は、夢を見ているときに、いつも誰か、自分より偉いというか、指導者というか、そんな存在が斜め後ろに居たように思う。夢の筋書には参加しないのですが誰かに見られているような感じがいつもしていまし

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          虚像の世界

          小学校二年生の頃と思いますが、夜、父に連れられ大井町線に乗っていたときのことです、僕はドアのガラスの所に立っていたのですが、僕の背がちょうど眼の高さでドアのガラスの下のはじの辺りであったと思います。 ガラスの向こうに写る自分の姿を見ていたのですが、突然そのガラスに自分の足の先まで正確に写っていることを発見し愕然としました。 たぶんそれまでは背が低くガラスの向こう側のそんな角度の浅い下のところまで覗いたことが無かったのと、ガラスに写る姿は全て非現実の虚像の世界と思っていたのにそ

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          全人類ロボット仮説

          小学生のころに、[全人類ロボット仮説]という考えというか妄想というか仮説に時々拘った事が有りました。 この仮説は、授業中に先生の話に飽きてしまった時などに、ぼやっとして校庭を見ながらその仮説を否定する材料がどこかに在りはしないかと思考実験をしたりするのに最適な課題でした。 その仮説とはいたって幼稚なのですが、「もしかしたら、何かの理由で自分以外の人達は自分と同じ人類ではなく精巧に出来たイミテーショソかもしれない」というものです。何かの理由とは何でも良くて、世界大戦か、疫病か、

          全人類ロボット仮説

          色弱

          現実立証の問題で、視覚における色の見え方があります。 こちらは、すこし多くの方から同様思考体験があるといわれました。 例えば、「僕に見えているこの赤と君にみえる赤とは同じ赤の様にみえているか?」という疑問です。物の理解の仕方が、生まれてこの方の過去の経験における学習の結果であると仮定すれば、補色関係にある赤と緑の組み合せは例えば茶色と黄色(仮に明度差が同じくらいとして)の組み合せより強い対照を誰にも同じ様に見せることは経験の結果であるかもしれません。 生まれたばかりの猫を縦縞

          多元的現実

          最近、幕張での放送関係のトレードショウInterBEEに行ったら、あるブースで、「VR」を盛んにPRしてました。「VRって何ですか」ってお聴きしたら、「バーチャル・リアリティ」だそうです。 それだったら、1980年代の終わり頃からいろいろ実験を見てきました。 僕自身も、1981年頃、ある研究所に務めており、そのころ初めて市場に出始めたカラーディスプレイのついたパソコソ、富士通FM8でを研究用に購入しました。勤務時間が過ぎたら趣味で、BASICをつかって徹夜で3Dのシミュレータ

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