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メメント・モリ的なGW 2023

ごくまれにする当直での出来事です。人とのご縁の”密度”について。

GWの某日、いつもお手伝いしている病院で当直をしました。いろいろあって、4月から5月にかけて普段よりかなり多く勤務しています。

地域包括ケア病棟の特性、リハビリや地域や自宅に帰る準備中の患者さんがほとんどであることもあり、大きな変化があることは少なく、発熱などの対応をすることがメインの仕事です。お留守番がてら、たまった仕事を片付けるのに良い時間となると予想してお引き受けしたのですが。。。

午後も早い時間にほんの数日前に入られた、末期癌の患者さんをみてほしいと病棟に呼ばれました。数日前に、歩いて入院されたその人は、私が初めてお会いしたその時には、もうあきらかに”お迎えがもうすぐ”という状態でした。身の置き所がなく、辛そうということでしたが、予測指示の安定剤を内服し、穏やかに眠っておられるように見えました。動揺されている奥様と別室でお話をしていると、もう本当に長いこと闘病をしていること、最後の時が近くなり、苦しそうになったら、意識がぼんやりする薬を使ってほしいとご本人が話していたことなどがわかってきました。入院したら半年ぐらいは大丈夫かと思っていたそうなので、この数日の変化にびっくりしていたようでした。

なだらかにその時を迎えることもありますが、階段を一段降りるように急に変化がくることもある。どのぐらい時間が残されているかという質問には、日本でもアメリカでも、医師の予想は半分ぐらい外れるけれど、長くて週単位、短ければ今日でもおかしくないとお答えしました。さらに、旅立ちは、本当に不思議なのだけれど、その人が選んだ時間に旅立つようにしか思えないともお伝えしました。遠方のご家族がいらしたときにという方もおられれば、ずっとお部屋についておられたご家族がちょっと席を外された時のこともあり。旅立った方に確かめる術はないのですが、ご本人様の良いタイミングで旅立たれると私がいつも感じていることをお伝えしたらちょっと安心した表情になってこられました。

そして、望んでおられた鎮静については、いまは、眉間のシワがとれていることから、今はそんなにお辛くないだろうと予想されるといったことやいったん沈静すると今の体力では、そのまま旅立たれる可能性が高く、コミュニケーションが取れなくなることも説明しました。その結果、そういえば、ご自宅と比べたら楽そうにみえるとのことで、沈静はいったんやめてこのまま様子を見ていくことになりました。

何度かお部屋をお邪魔し、お話を伺うと、本当に長期に闘病されていらっしゃること、わたしの30年以上の臨床経験でも、これだけ長期な人はいないぐらいの方だと判明。(寛解されてこの年数を経る方はたくさんいますが、再発転移を繰り返しながらこの年月は奇跡と思えました。)ご本人様はもう言葉を発する体力がなかったので、奥様からのお話で、社会的にも成功されたかたであり、そして詳細は伏せますが、とてもすてきな生活をされていたことがわかりました。思わず、「え~~それは本当にうらやましい」といってしまったら、患者さんがなんと私に向かって、手を差し伸べてきたのです。体力が本当におちておられたので、ただただびっくり。奥様が、「久しぶりにこの話ができてうれしかったのね」とおっしゃってくださったので、遠慮なくガッツリ握手。「素敵なお話ありがとうございます。」とお伝えしました。聴覚はクリアに残りやすい感覚なのだと改めて、そして人の”生きる”力を感じました。ちょっとだけれどお話伺えてよかったなと心から。きっかけを作ってくれた看護師にも感謝です。

 深夜、内線電話がなったときには、かなりびっくりしましたが、やはり旅立つ時はご自身で決められたるのだなと。そしてそれがいまだったのだと自分自身の言葉を反芻しておりました。寝起きでぼんやりした頭を切り替えて病室に向かい、宣告。本当に穏やかなお顔で、よかったと時計をみたら2時22分。あらゾロ目。しばらくして、お迎えがこられ、病院を後にされました。その際に奥様から、ちょっとだけだったけれど先生とお話しできてよかったとおっしゃっていただき、この日に私が当直をしたのも、何かご縁だったのだなと。明日は寝不足で予定の仕事片付かないだろうけれど、このような深い時間を過ごさせていただいたことに感謝しながら当直室にもどったら3時33分。またゾロ目。

ただの偶然。そう片付けてもいいのだけれど、たった12時間だけ、ご一緒したあの紳士からのありがとうというメッセージだとと勝手に思っております。

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