見出し画像

トラ・トラ・トラ

82年前の1941年12月7日早朝(ハワイ時間 日本時間は1941年12月8日)、第日本帝国海軍の航空母艦艦載機と特殊潜航艇が、ハワイ・オアフ島の真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊艦艇や航空基地を奇襲攻撃しました。『真珠湾攻撃 Attack on Pearl Harbor』として知られる戦闘です。既に中国との間で戦争状態(1937~)にあった日本は、この痛撃によって連合国とも交戦状態に入ることとなり、第二次世界大戦と呼ばれる状態に突入します。この事件についてです。


ワレ奇襲に成功セリ

本日のタイトル『トラ・トラ・トラ』は、空襲部隊の総指揮官を務めた淵田美津雄中佐が、第一航空艦隊旗艦の航空母艦赤城宛に打電した電信の暗号略号で、『ワレ奇襲に成功セリ』を意味します。真珠湾攻撃を象徴することばとして知られています。

この電信は、未曾有の大戦果を挙げたことを報告するために打電したものと私は思い込んでいたのですが、淵田中佐が僚機に対して発した、『ト・ト・ト』(=全軍突撃セヨ)に続いて、攻撃に移る前の現地時間7:52に打電されています。電信は、攻撃開始を意味するもので、攻撃成功を伝達するものではなかったようです。

トラ≠虎

「トラ」は、虎、寅=Tigerを連想します。しかし、史実はそれ程ドラマティックではなく、単なる組み合わせの妙だったとされています。

当時第一航空艦隊の航空甲参謀を務めた源田実によると、小野寛治郎通信参謀が作り、11月24日に部隊が集結していた単冠湾で作戦説明が行われた際に、通信計画に関する説明の中で他の隠語とともに示したという。

航空乙参謀だった吉岡忠一は、ハワイ奇襲攻撃作戦の間だけ使用する通信略語として、自分と小野通信参謀の二人で作ったと述べている。吉岡によると、いくつか略語を作り、「全軍突撃せよ」は「ト」連送(ト・ト・ト…)とした。「我奇襲に成功せり」については、「ト」の次に「ム・ラ・サ・キ」(紫)をつけて「トム」「トラ」「トサ」「トキ」とした四つの略語のうちの「トラ」にたまたま「奇襲成功」の意味が当てはめられただけで、深い意味はなかったという。

Wikipedia『トラ・トラ・トラ』から抜粋

真珠湾攻撃の是非

真珠湾攻撃は、戦術的には日本軍の大勝利に終わっています。用意周到な計画と優れた実戦力を発揮した戦いとして、戦史にも語り継がれるものとなっています。ただ、戦争の戦略面としては最悪の決断であり、モンロー主義の伝統から戦争には積極的ではなかった米国民の怒りを誘発し、参戦に向けて一枚岩とさせてしまった、という評価があります。

日本軍の攻撃によって、民間人37名、軍人2,334名が犠牲になり、負傷者も千名以上出ています。「騙し討ち」と受け取られ、1941年12月7日は、『アメリカ合衆国にとって恥辱の日 』として記憶されることになりました。

真珠湾攻撃について、日米両国で諸々の研究が進んでいます。これからも新事実が、浮かび上がってくることでしょう。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。